第16話 愛されるって素晴らしいよね
突然の対面に困惑していたガラハドの両目から、膨大な量の涙が溢れる。
「ご、ごめんっ! お、俺……俺は……!」
女に傘を持たせ、突然に土下座するガラハド。濡れた地面に頭を擦りつけ、何度も謝罪の言葉を繰り返す。
どうして森へ入ったあと、シャリアを残して姿を消したのか。聞きたいことはたくさんあるが、質問したがるブラッドを制したのは、もっとも答えが知りたいはずのシャリアだった。
「いいよ。さっきも言ったけど、彼女と幸せにね。私は大丈夫。愛してくれてもいいと言ってくれた男性を見つけたから」
そう言ってシャリアはブラッドの腕を取る。雨の冷たさを上回る冷気が腕に発生するも、身じろぎひとつせずにブラッドは耐える。そうするのが、男として当然なのではないかと思った。
雨と土で顔をぐしゃぐしゃにしたガラハドがブラッドを見る。
「俺が言えた義理じゃないけど、シャリアを幸せにしてあげてください」
「もちろんだよ。僕らはもう離れられないんだ」
罵詈雑言を浴びせるより、そう返すのが誰よりシャリアのためになると思った。
「さあ、早く帰ろう。ガラハドも風邪をひかないようにね」
シャリアがガラハドに背を向けたのが、二人の完全なる別離の合図となった。
ガラハドも立ち上がり、女と何事かを話す。聞き耳を立てたりはしない。シャリアはもう吹っ切れた顔をしていた。
隣を歩くブラッドも彼女に倣い、帰宅への歩を進める。すぐ側にはクレスもいる。
途中でぶるりと身を震わせると、シャリアが慌てて腕を離した。
「ごめんなさい。冷たかったよね」
「大丈夫だよ。シャリアの愛情をたくさん感じられたからね」
「もう、ブラッドったら」
語尾にハートマークでもつきそうなほど、シャリアの声は甘い音色を含んでいた。その様子に、クレスがやれやれと肩を竦める。降りかかる雨も蒸発しそうな熱々ぶりだった。
「私を無視しないでほしいな」
ブラッドの右隣はシャリアが占拠中なので、クレスは彼の左隣へ移動し、触れない程度に体を寄せる。
「無視なんかしないさ。僕はクレスを必要とする。だからクレスは僕を愛してよ」
「わかった。それがブラッドの望みならそうしよう」
「ん?」
笑顔ながら、一人疑問の声を出したのはシャリアだ。彼女の疑問に答えるように、ブラッドは声を張り上げる。
「愛されるって素晴らしいよね。一人より二人、二人より三人。数が増えるたび、幸せになれるよね!」
子供みたいに無邪気な喜びを爆発させるブラッドへ、何も言わずにシャリアが抱きつく。首に手を回し、これでもかと体を密着させる。
当然のごとく腕を取られた時とは比べものにならない寒さが発生して、鳥肌どころか全身は凍りつきそうになる。
「もう、ブラッドったら。いきなり浮気宣言しちゃうんだから。そんな気になれないよう、たっぷり愛してあげないと」
「むう。ならば私も負けないようにしよう。ブラッド、背中を借りるぞ」
「え!? ちょっと待って! ちょっと……あ――っ!」
悲鳴を上げたブラッドは、去りゆく意識の中で考える。自分が死んだら、誰が復活させてくれるのだろうかと。
※
「あー……とんでもない目にあった」
ベッドで仰向けになっているブラッドの側には、申し訳なさそうにするシャリアとクレスの姿もあった。
危うく氷漬けになりかけたブラッドを、シャリアが脱いだ服をロープ代わりに、クレスが脱いだ鎧を担架代わりにして家まで運んだ。
どことなく幸せそうな顔で意識を失おうとしているブラッドに、寝るなと叫びながら温かいシャワーを浴びせて事なきを得た。
ブラッドが完全に目を覚ました時には、もう朝になっていた。窓を覆う厚手のカーテンが直射日光を防いでくれているが、漏れてくるかすかな光でわかる。
「確かにやりすぎたけど、ブラッドだって悪いのよ。私に愛してほしいって言っておきながら、クレスにもってどういうつもりなの?」
「僕はたくさんの人に愛されたいんだ。そうすればきっと幸せになれる」
「私は一人にすべての愛情を与えたい。ブラッドは私が他の人を愛しているのを見ても平気なの?」
やや考えてから、ブラッドは不満を表に出した。
「確かに。あまり好ましい気分ではないね」
「そうでしょ? だからブラッドも――」
「――仮にシャリアとクレスが僕を愛してくれるとするよね。でも僕を愛せるのが一人だけだと、もう一人がかわいそうだよ。僕の愛はあくまで、与えられたものへのお返しなんだ」
ブラッドは至極真面目に言ったのだが、シャリアは頭痛がするとばかりに頭を抱えた。
「なんだか、駄目男に引っかかった気分だわ」
「同感だな。しかし私たちはブラッドから離れられない。死してなお、心を持っていられるのも彼のおかげだ。それに、二人の人間を生かす魔力というのはどれほどだろう。個人が常に供給できるものなのだろうか」
「言われてみれば、そうね。もしかしたら、もの凄い負担を彼に強いてるのかもしれない。私たちに心配をかけないように平然としているのであれば、それはとてつもない愛だわ」
シャリアがうっとりした表情を見せる。
「私は彼に恩がある。ガガーン家を離れた今、ブラッドこそが私の居場所。愛してほしいというのなら、喜んで捧げたい」
「ウフフ。私もクレスも、意外と簡単に口説かれちゃうのね。でも、いいかな。ブラッドには都合の良すぎるハーレムみたいだけど」
「違いない。まあ、度が過ぎるようであれば私たちの抱擁で考えを改めさせればいいさ」
「その点については大賛成だわ」
背筋を凍らせるような二つの視線に、ブラッドはベッドの上で身震いする。
「お手柔らかにお願いするよ。でも、寒くて凍えそうなのに、二人に抱き締めてもらえると嬉しいんだ。不思議だよね」
とても和やかな雰囲気が流れる。普通の恋人同士なら、いつ唇を重ねてもおかしくはない。
だがせっかくの空気もすぐに壊される。ドンドンと強くドアを叩く音が館中に響いたからだ。
シャリアやクレスほど聴覚が鋭敏になってないブラッドにも、はっきりと聞こえた。
「誰が来たかは確認するまでもないね。嫌だけど、仕方ないかな。あ、でもエンジェルちゃんに会えるかも!」
期待で瞳を輝かせたブラッドは、シャリアとクレスが驚くスピードでベッドから離脱した。
生身の人間でありながら、ブラッドが恐怖も苦手意識も感じない女性こそが、リリアルライト・エンジェル・ロッケルベルだった。
「ようこそエンジェルちゃん! ついでに歓迎しますよ領主様!」
金銭的な支援を受けている身でありながら、敬意の欠片もない態度で客人を出迎える。
いつもは反応がなく、仕方なしに鍵のかかっていないドアを開けて入るだけに、領主のケールヒは戸惑いを見せる。
「あれ? 今日は――うわあぁぁぁ!」
響いた悲鳴に驚いて、シャリアとクレスも玄関ホールへやってくると、そこにはもうブラッドの姿はなかった。
憮然とするケールヒが指差した応接室では、相変わらず露出度の高いローブ姿のマリーニーが、嬉々としてブラッドを追いかけていた。
何が起きたのか察したシャリアも、クレスとケールヒを連れて応接室へ入る。今は壺の中のブラッドが、マリーニーにからかわれている最中だ。
「ああ、今日も素敵なポンコツぶりですわ。私、胸の高まりが止まりません。これが恋心なのでしょうか」
「知らないよぉ。怖いよぉ。あっち行ってよぉ」
「かしこまりました。ですが、その前にブラッド様の惨めな泣き顔を私に見せてください。んはっ、はああ……早く! もっと……もっとくださ――おうぶっ!」
暴走し続けるマリーニーの後頭部へ、上司であるケールヒが握り拳を落下させた。衝撃で頭が揺れ、覗き込んでいた壺の縁に額を打ち付ける。それが決定打となり、マリーニーがぐったりする。
物言わなくなっても苦手は苦手らしく、ブラッドは壺の中でぷるぷる震えるばかり――かと思いきや、時折顔を出して、乱れたミニのローブの裾から覗く太腿をチラ見したりしていた。
「マリーニーが失礼をした。私は遊びに来たのではない。それとリリアルライトは家で留守番をしている」
襟首を掴んだマリーニーを壺から引き離すと、ケールヒは中にいるブラッドを見下ろした。
「私はお前を叱責しに来たのだ。真犯人を探すと言っておきながら、いつまでのろのろと調査をしている。さっさとしないから昨夜、二人目の犠牲者が出てしまったではないか! それにお前たちも昨夜は留守にしていたらしいな」
ギロリとケールヒの視線が鋭くなる。
「僕たちを監視させていたんですね。それなら、どこに行って何をしていたかもご存知でしょう。申し訳ないですが、僕たちは犯人じゃありませんよ」
監視の目を欺くどころか、尾行にも気づいていなかった。そんなブラッドが、監視の目を盗んで犯行を働くのは不可能だった。
「確かにな。だが怪しくはある。何せ犠牲者は昨夜、お前たちとデイククで会っていたのだからな」
瞬間的にシャリアの顔が青ざめた。見かけただけを数に含めないのであれば、ブラッドたちが遭遇したのはガラハドとその彼女しかいない。
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