第15話 それ錯覚よ
感謝が欲しかったわけではなく、人に囲まれた経験のないブラッドには当たり前の光景だった。クレスとシャリアも別に憤ったりはしていない。
「ありがとう、ブラット。おかげで村を守れた。私を殺して目的を達しているのなら、例の女魔族がこの村を襲うことはもうないだろう。個人的には今回の戦闘で、是非相まみえたかったのだがな」
生前のクレスであれば、独学で培った剣の技術しかなかったので敗北濃厚だった。しかし、今はブラッドのおかげで不死に近い肉体を得た。肉を切らせて骨を絶つ戦法も使え、勝負にはできる自信があった。
何より殺された自分の仇を討ってやりたかった。だが、それを望むのは贅沢だともわかっていた。もっとも守りたかった家族を救えただけでもよしとしよう。クレスは考えを整理し終えて、満足げに頷いた。
「よかったね。それじゃ、一度館に戻ろうか。次に女魔族が行きそうな場所も探さないといけないしね」
「それなら見回りついでに、デイククへ寄ってみたらどうかしら」
ブラッドに異論はなく、クレスからも反対意見は出なかった。シャリアの案が採用され、三人は館へ帰る途中にデイククへ立ち寄るのを決めた。
夜はすでに深まり、風で木々が揺れる音もほぼしない。まさに草木も眠っているかのようで、不気味さだけが募る。
ブラッドは光が苦手で、いわば不死人となったシャリアとクレスは獣以上に夜目がきく。ライトは荷物になるので不要だった。
可能ならおんぶでもしてもらいたいところだが、二人の肉体は極端に冷たくなっている。ブラッドを持ち運びする際は、超厚手の手袋がなければ凍死させかねない。
触れた途端に凍りつくというわけでもないが、長時間触っていれば話も変わる。現にクレスの纏う鎧は内部から冷やされる形になっていて、迂闊に誰かに触ったり、触らせたりもできなかった。
町に到着する。降りた闇に包まれてシンとしている中、人々を誘うように小さな明かりが灯っている。何だと思ってブラッドがそちらを注目すると、シャリアが短く声を上げた。
「あそこ……私の家だわ」
念のためにと持ち運びしていた布で、目だけを残して顔を隠す。小走りで近づいたシャリアが見たのは、葬儀をとりおこなっている自宅だった。
家の前では彼女の両親が、親しい知り合いと会話をしている最中だった。
「今日は娘のためにありがとうございました」
「いや。それにしてもまだ遺体は見つかってないのかい?」
「はい。ただ現場を見た衛兵の話では、とても生きていられる出血量ではなかったそうです。恐らく獣が持ち去ったのだろうと」
「それは……あまり気を落とさないでくれ」
人のよさそうな中年男性が、シャリアの父親の肩に手を置く。年齢は同じくらいで、シャリアが幼い頃からよく家に遊びに来ていた取引先の男性だった。
「実は……少々、安堵している部分もあるんです」
「安堵?」
中年男性が眉をひそめる。
「ええ。あの子は私たちへ常に愛情をくれました。度が過ぎているのではないかというくらいに。最初は嬉しかったのですが、徐々にプレッシャーになってきて、最近は重苦しく感じることもありました。いなくなって寂しいと同時に、落ち着いたといいますか、表現が難しいのですが……」
シャリアが聞いていられたのはそこまでだった。隠した目元から涙をこぼし、愛していた両親に背を向けて走る。
駆け出したシャリアを、ブラッドとクレスが追いかける。彼女の足が止まったのは、町はずれの共同墓地だった。
ポツリポツリと雨が降ってくる。月明かりが見えないと思ったら、いつの間にか分厚い雲が空を覆っていた。
「私ね、小さい頃から思っていたことがあるの。なんとなくだけど、自分は他人と違うんじゃないかって」
返答を期待していないのは、話し続けるシャリアの態度でわかった。ブラッドもクレスも聞き役に徹する。
「漠然とした思いは段々と恐怖に変わったわ。今の私が偽者であるかのような感覚。それがたまらなく怖かった。でもね、誰かを愛している時は強く自分の存在を感じられた。私はここにいるんだって。もしかしたら他人を通して、自分自身を愛していたのかな」
腰を下ろし、シャリアは完成したばかりと思われる自らの墓に添えられた花を撫でる。かけるべき言葉を、ブラッドは見つけられなかった。
「笑顔を浮かべていても、心は不安で一杯。他人と違うかもしれない自分は愛されるに相応しくない。愛し続けていないと、皆と一緒にはいられない」
「だからかな。他人に愛を囁かれると弱いんだよね。簡単には何もかもを許したりしないけど、心がグラッときちゃうの。ガラハドの時もそうだったな。それまではなんとも思ってなかったのにね」
述べられるのは、まるで懺悔だった。それまで黙って聞いていたクレスが、おもむろに口を開く。
「私も似たようなものだ。両親に捨てられた私は、養女としてあの村のガガーン家に迎え入れられた。自らの子供たちを世話させるためであったとしても、拾ってくれた義両親に恩義は尽きない。食事の内容が違うのは当然で、面倒事や厄介事を押しつけられるのも構わなかった」
「人によってはどうしてと疑問に思うだろうが、私には必要とされる理由になったんだ。要求がある限り、捨てられない。そんな思いで日々を暮らしていたよ。弟や妹を愛していたのも、自らをそこにいていいと思うための防衛反応みたいなものだったのかもしれないな」
今度はシャリアが無言になる番だった。
ブラッドを始めとして、この場にいる三人は順風満帆な人生を送っていなかった。だからこそ、この場にいるのかもしれない。
しんみりとする中、ブラッドは妙案を思いついたとばかりに瞳を輝かせる。
「そうだ。愛することで存在を肯定できるなら、僕を愛せばいいんだよ」
いきなりの提案に、シャリアもクレスも目を丸くする。
「僕はさ、似ているようでシャリアと逆なんだ。告白するのは恥ずかしいけど、誰かに愛してほしい。きっと両親との間に溝があったからかな」
「僕は次々と禁魔法を成功させた。少しでも母さんに喜んでほしかった。でも、母さんの態度はよそよそしくなった。表面上は変わらなかったけど、愛情以外に不安や不気味さといった感情が混ざり出しているのがわかったんだ」
そんなブラッドは、両親の頭痛の種となった。誰かに見つかれば忌まわしい儀式を行っていると通報されかねない。
外で力を使うなと執拗に念押しをして、顔を表へ出さないようにしてこそこそと森の中で隠れ住んだ。それはとてつもないストレスを発生させた。
どうして自分たちばかりが肩身の狭い思いをしなければならないのか。血が薄まっている両親は館での生活を当然とは思えず、外で自由に暮らしたい願望を抱えていた。
「でも、できなかった。ネクロマンサーの血が怖かったんだろうね。祖先の思いに背けば、災いが降りかかると危惧したのかもしれない。外へ出たとしても、ネクロマンサーの一族だと知られれば、周囲の反応も変わる。誰だって不気味に思うよ。死者を使って儀式をする一族なんてね」
誰かを愛しても拒絶される。一族の中には館を出た者もいるが、失意の果てに結局は戻ってきた。一般人と交じり合うのは不可能。長い年月を経たデスライズ家が得た教訓だった。
「僕にとって母さんは世界のすべてだった。だから蘇らせようとした。でも拒絶された。僕は世界に捨てられたんだ。生きる意味を見失っていた時に出会ったのがシャリアだった。まあ、僕が到着した時には遺体になってたから、出会ったと言っていいものかはわからないけどね」
「出会ったでいいと思うわよ。運命の出会い。だって、そうでしょう。誰かを愛したい女と、誰かに愛されたい男。偶然だなんて思えないわ」
「フフ。シャリアは意外とロマンチストなんだな」
「あ、酷い。意外って何よ。そういうクレスこそ、凛々しい女戦士でありながら、実は小動物が好きだったりするんじゃないの?」
「なっ――!? そ、それが悪いのか。だ、だって、可愛いじゃないか。ハムスターなんて手に乗るんだぞ。私を見て微笑みかけるんだぞ!」
「あ、それ錯覚よ」
「う、嘘だ――っ!」
大げさに頭を抱えるクレスを見て、最初に冷たいツッコミを入れたシャリアが笑う。もちろん冗談なのは皆がわかっている。
続いてクレスが笑い、ブラッドも笑う。墓地に場違いな笑い声が響く。涙が流れるほど笑ったのはいつぶりだろうか。それはきっと三人ともが抱いている思いだった。
「……帰ろうか。僕たちの家に」
「うん、帰ろう」
「そうしよう」
雨が本降りになり、家の外に出ていたシャリアの両親も姿が見えなくなっていた。残像を思い出すように、彼女はそちらを向いて目を細めた。
「私、重荷になっていたんだね。ごめんね、お父さん、お母さん。でも、私、二人の子供でよかった。だって、愛しているもの」
周囲に誰もいないのを確認して、フードを脱いだシャリアは努めて明るくそう言った。家族の今後の幸せを祈るように、数秒ほど目を閉じた。
その時だった。驚愕に満ちた声が三人に届いた。傘を差し、若い女性と腕を組んで歩いている男が目を見開き、震える手でシャリアを指差す。
「そ、んな……シャリア……? ど、どうして……」
「……ガラハド」
シャリアが口にした名前で、正体が判明した。事あるごとに無事を確認したがっていた、森へ一緒に入ったという男である。
隣にいる女は黒髪で、溢れんばかりの妖艶さに満ちていた。露わにした胸元を押しつけ、屋外だというのガラハドの情欲を煽っているみたいだった。
ブラッドは眉間にしわを作る。表面化していないだけで、女の方がガラハドより動揺している印象を受けた。気のせいである可能性も否定できないので、とりあえずは様子を見るにとどめる。
シャリアはガラハドの隣にいる女をチラリと見たあと、とても優しく穏やかに微笑んだ。
「幸せになってね」
恨みなんて微塵も感じられない。本心からのひと言だった。
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