第26話 とても優しい嘘だ

「要するにリリーの因子が、主となる肉体の崩壊を食い止めようと必死になった結果、魔族の因子とも結合して異形の存在を生み出したってこと? 彼にとってはラッキーだけど、僕らには最悪な偶然だね」


「従来、相反する天使と悪魔の因子は同居できないはずなのですが、肉体の変化によって強引に成し遂げたのでしょう。ですが、やはり奇妙な感じもします。私のも含めて天使の因子の方が多く、拮抗せずに内部バランスが崩れているのが、逆にガーシュインにとって幸いとなったのかもしれませんね」


 呆れたようにクレスが「どんな強運だ」と呟く。仮説を言い終えたばかりのリリアルライトも、同感だとばかりに頷いた。


「何にしても、厄介だよ。彼に自分の意思が残っていようとなかろうと、危険な存在に変わりないからね。リリーも天使として放置できないんでしょ?」


「そうですね……さすがにあれを人間だけで処理しろとは天界も言わないでしょう。私の力が制限されていないのが証拠です。しかしながら、新たな助力はないみたいですね。私たちで何とかできなければ、ロッケルベル領の壊滅には目を瞑り、ミューナイル教あたりを動かして退治するでしょう」


 すでにその準備に入っている可能性もあると、リリアルライトは付け加えた。


「私たちが助かるには、三人でなんとかするしかないということか」


「そうとは限らないよ。僕の予想が正しければね。だからリリー、君はマリーニーさんに回復魔法を使わないでね」


 リリアルライトがマリーニーの様子を窺っていたのに気づき、ブラッドはあえて彼女を制止した。


「まさか、不死人として戦わせるために彼女を見捨てるおつもりですか? だとすれば幻滅しました。ネクロマンサーとはいえ、ブラッドさんは純粋な心の持ち主だと思っていましたのに……」


「理由はあるんだけど、お喋りはここまでだね。あれから視線を離すと、すぐに殺されちゃうかもしれないし」


 ブラッドの視線の先には、変貌しきったガーシュインがいた。二メートルをゆうに超える体格と狂暴な筋肉。額から生えた黒い一本角に、白い輪が三つほど重なっている。天使と悪魔の翼を左右に広げ、灰色の巨体を宙に躍らせる。


 金色に輝く細長い瞳が、対峙するブラッドたちを捉えた。


「よくも俺を追い詰めてくれたな……と言いたいところだが、この力に目覚めたのはお前らのおかげでもある。礼として、たっぷり甚振ってやる。死ねないのを後悔するくらいにな。ねぇ、お姉ちゃん。さっきは痛かったよぉぉぉ?」


 唾液を滴らせる醜悪極まりない笑みは、例外なく見る者におぞましさを覚えさせる。


 先ほどまでの会話が嘘みたいに、ブラッドたちは声を出せなくなる。そこへガーシュインが落ちていた剣を尻尾で拾い、軽い動作で投げた。


 向けられた剣先が、数秒も経過しないうちにクレスの心臓を貫通する。後ろに立っていれば、ブラッドにも届いていただろう威力と勢いだった。


 不死人となっているクレスは意識を失わずに踏みとどまれるが、並の人間なら立派な鎧に身を包んでいても、一撃のもとに命を失っていた。


「ククク。まあ、お姉ちゃんと言っても血の繋がりはないし、俺が勝手に設定したんだけどな。拍手喝采ものの演技だったろ?」


 ニタニタと笑うガーシュインの顔が実にいやらしい。心の底から、姉として振る舞っていた当時のクレスをコケにしている。


「お前が恩義を感じている母親な。アレを脅して息子ってことにしたのさ。妹が生まれる前にな。不気味だったろうな。俺の面倒を見させるために、よそ者は受け入れないはずのあの村にお前を招いたんだよ、クレス」


「なん……だと……」


「あのクズどもに感謝しているお前を見てると、笑いが止まらなかったぜ。お前はまだ小さかったから気づいてなかったんだろうが、お前の父親は盲目だったのさ。彫刻家として名を馳せてはいたが、邪魔になって捨てたわけじゃない」


「母親を事故で失った当時、自分が大切な愛娘を育てられるか自信がなかったんだ。それで泣く泣く手放したのさ。だが、少しでも娘に豊かな生活を送らせてやりたいと、毎月かなりの金額をあの家に送っていた」


「連中、かなり溜め込んでいたぜ。お前に一切贅沢させないで、妹にばかり高い服やら買ってやっていたろ? それにデイククには奴らの別荘もあったんだぜ? たまに町へ出向いてはそこで豪遊よ。娘も一緒になってなァ!」


 天井を見上げたガーシュインは、愉悦に顔を緩ませる。


「所詮、人間なんざそんなもんよ。いや、人間だけじゃねえ。すべての存在は奪うか奪われるかしかねえのよ。お前とお前の父親は奪われる側だった。ただそれだけのことさ。だが真実に気づけば、奪う側にも回れる」


「どうだ? 俺の配下となって、父親が騙し取られたも同然の金を回収してみねえか。お前に懐く演技をしながら、裏では嘲笑って贅沢三昧していたあの妹とまとめて一家を血だるまにしてやれよ。スッキリするぜ、クハーハッハ!」


「その必要はない」


 傷を回復させたクレスは、自身の腹部を貫通した剣を拾い上げる。彼女の瞳に、恨みや怒りといった感情はなかった。


「仮に事実だったとしても、私が今日まで生きてこられたのは今の両親のおかげだ。それに、一緒にボール遊びをしている時などに、妹が見せてくれた笑顔に嘘はなかった。あれが偽りだったというのなら、とても優しい嘘だ。むしろ私は感謝の気持ちを伝えるだろう」


「……ハア? 何を言ってんだ、お前は」


「かわいそうだね。奪うか奪われるか。それは欲望のみを追い求める者の真実だ。だから僕には当てはまらない。愛を望む僕のすべては与えるか与えられるか、そのどちらかだよ」


 ブラッドの発言を聞いたガーシュインは、空中で唾を吐き捨てる。嫌悪感を隠そうともしない。


「愛だと? それだって欲じゃねえか。女なんざ権力になびくもんだ。実際に俺のガキを孕んだ女もそうだった。くだらねえ妄想を口にしてんじゃねえよ!」


「確かに欲のひとつかもしれない。けどね、単純な損得勘定じゃないんだよ。誰かの側に寄り添っていたいという感情はね」


「僕はそれをシャリアに教えてもらった。態度や行動のひとつひとつでね。それは決して脅しでは得られない。力ずくで奪ったりもできない。手に入れられたと思っているのなら、ただの幻。愛とは呼べないまがいものだよ」


「くだらねえ。なら俺はあくまで奪ってやろう。お前のいう愛とやらをな。人間だった頃から、俺はずっとそうしてきた。生まれてすぐに捨てられ、物心ついた時には闘技場で剣闘士をしていた。殺さなければ奪われる。そんな世界だ。そこで俺は勝ち続けた」


「そうしたら貴族が声をかけてきた。そいつに従って戦場で武勲を上げた。当時の国王にも名前を憶えられるようになった。次に取り立てた貴族をどさくさに紛れて殺した。その娘に力を見せつけ、俺の女にした。子を孕ませ、俺が殺した貴族の後釜に座った。愉快だったぜ。奪えばすべてが手に入るんだ」


「本当にそうなのかな」


「黙れ! 何も持っていなかった俺が、持っている奴らから奪って何が悪い! 俺はすべてを手に入れる! そのために魔族に魂だって売ったんだ。その魔族から力を奪ってやったがな! 国も金も物も人も、お前の愛とやらも、ひとつ残らず俺のもんだあァァァ!」


 床に落ちていた闇の大剣を、器用に尻尾を使ってガーシュインは手元に戻す。振るうだけで闇の衝撃破を発生させる恐るべき剣だ。


「変貌したことによって、欲望がよりストレートに出ているみたいだね。外見からしてそうだけど、彼はもうエターナルチルドレンでもない。ただの魔獣、ただの……魔物だ」


 クレスがブラッドに同意を示す。


「そうだな。だが少しだけ感謝もしている。私の父の情報をくれた。フフ、障害で成長が遅いかわいそうな弟か。何から何まで私は騙されっぱなしだ」


「いいじゃない、それでも。騙され続けた先に未来があるのならね。死人に言うべきじゃないかもしれないけど。人を信じられるのは、クレスの魅力だよ」


「ありがとう、ブラッド。お前に出会えたきっかけが死だというのなら、私はその死にすら感謝しよう」


 唸りを上げて飛んでくる黒い剣波へ、真っ直ぐにクレスが突撃する。


「先ほどからずっと、私の裸体を見ているも同然なんだ。ブラッドを――私の主を守る力を与えてくれ」


 ブラッドの禁魔法によって意思を与えられている魔剣が、クレスに呼応する。


 手にした当初は不愉快な言動ばかりで腹立たしかったが、敵がどれほど強大でも戦闘意欲を失わない。今となればクレスの痴態に興奮して、能力を高めてくれる点もありがたかった。


 正面から剣を振り下ろす。魔力と魔力が剥き出しでぶつかり合うような衝撃で、クレスの全身はバラバラになりそうだった。


 しかしクレスは一歩も退かない。短い期間ではあったが戦友であり、ライバルでもあったシャリアは天界へ送られてしまった。ブラッドを守れる人間は、もう自分一人しかいない。足に力を入れて、後退どころか強引に前進する。


「うわああぁぁぁ!」


「無駄だ。守ろうとした男ごと斬り裂かれろ。最後は天使の女だ。ゆっくり因子を食らってやる」


 舌なめずりをするガーシュインが再度剣を振るう。一発の衝撃破だけでも必死で堪えているのだ。追加されたら、クレスには太刀打ちのしようがなかった。


「私は守る……ブラッドを……守ってみせるっ!」


「クークック! 残念だったな!」


「――ええ。貴方の頭が。とても残念で、同情すら覚えますわ」


 豪炎の大波が、クレスの横を通り抜けて正面の黒い剣波へ突撃する。弾け飛ぶ魔力の衝撃は至近距離にいるクレスにも及ぶ。


 視線をかすかに背後へ向けると、そこには瀕死だったはずのマリーニーが立っていた。破けた服を結んで肌を隠してはいるが、元々露出度が高い衣装だっただけに、かなりキワドイ状態になっていた。


「い、生き返った? ブラッドの力か?」


 驚いているのはクレスだけではない。リリアルライトも信じられないと、口元を手で押さえている。


 そんな中、ブラッドは「僕じゃないよ」と右手を小さく振る。


「マリーニーさんを回復させたのは、アリヴェルの血さ。倒れたところが彼女の血だまりだったのもあって、体内に取り込まれたんだろうね。魔族の回復力は凄いね」


 倒れたマリーニーを見て最初はすぐに助けようと思ったが、彼女自身の目が回復を拒絶しているように見えた。


 肉体の下に女魔族の血があるのに気づき、一か八かの賭けをしているのだと理解できた。


 マリーニーは自身の体内に、女魔族の血を取り込もうとしたのである。混ざり合った血が、寄生するように傷口から肉体へ移動するのではないかと考えた。


 もちろん結果が真逆になる可能性も相当にあった。その場合はブラッドが不死人にするつもりでいた。


 入り込んだ血がマリーニーの肉体を修復し、主たる女魔族の魂が戻るための器にしようとした。しかし血の総量が少なければ意思の力でなんとかなるかもしれない。彼女はそこまで計算していた。


「私だけが足手まといだなんて耐えられません。それにアリヴェルも、貴方に恨みを晴らしたいみたいですわ。そうでなければ、いきあたりばったりの作戦がこうも上手くいくはずありませんもの」


 何より……とマリーニーは言葉を続ける。


「私一人がブラッド様の横に立てないなんて、耐えられません。これで私も人間をやめたポンコツ。ウフフ。初めて自分を好きになれたような気がしますわ」


 戦闘継続中にもかかわらず、蕩けそうなリアクションをするマリーニー。


 フンとつまらなさそうに鼻を鳴らしたのはガーシュインだ。


「たった二発の攻撃を回避できたからといって、調子に乗るのは早すぎねえか? 雑魚が一匹増えたところで、何の影響もねえんだよ。それを教えてやる!」


 口を開いたガーシュインが炎を吐いた。予測してなかった攻撃にブラッドたちの反応が遅れる。

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