第25話 ざまあみろ

 通常なら強化されたリリアルライトの光の盾を貫ける魔法などそうそう存在しないのだが、ガーシュインが発動中の魔法は違う。


 軽く触れただけで倒れたクレスが、ブラッドの魔力を注がれているにも関わらず、いまだ意識を取り戻さないことから威力の凄まじさがわかる。


 伝説級と呼ばれるランク四――いや、もしかしたらランク五の神話級にまで届いているかもしれない。


 天使の力と魔族の力を使った魔法など前例がほとんどないため正確な判断は難しいが、およそ普通の人間では相手にならないのだけは確かだった。


 ブラッドとリリアルライトが準備を終えるまで、ガーシュインは動かなかった。いつでも上方に浮かんでいるエネルギー体で攻撃できるのにだ。


「絶対的王者の前では、すべてが無駄な努力にしかならないことを知れ! さあ、灰になる時間だ。希望を絶望に変えて黄泉の世界へ旅立て!」


 自分の力を誇示するために、ブラッドたちを待っていたガーシュインが、ついに凶悪なエネルギーの塊を放った。


 周囲の空気さえも従わせるような圧倒的存在感で、ブラッドたちに迫る。


 最大近くまで高めた魔力で発動した光の盾が、正面から受け止める。バリバリと音が聞こえ、外側が破裂したみたいにエネルギーの塊が規則正しい円形ではなくなる。


「く……! やはりライトシールドでも防ぎきれません。ブラッドさん、今のうちに貴方だけでも――」


「――逃げるわけにはいかないよ。誰かを見捨てるのは嫌なんだ。描かれし魔法陣よ、捧げしゴムを触媒として、その力を術者たる我に示せ」


 ブラッドの声に応え、魔法陣の中央に置かれていたゴム手袋が巨大化する。ひとつは手のひらを敵に向けるような盾となり、もうひとつはブラッドとリリアルライトを乗せて床の上にいる。


「デスライズ家の役立たずどもが、代々研究してきた禁魔法か。誰一人として発動させた者はいなかった。所詮は理論だけのものと嘲笑っていたが、なるほど。発動に膨大な魔力が必要となれば、易々とは扱えぬか。とんだ計算違い――いや、初代当主だけは見越していた可能性もあるな」


「現に俺は油断し、立ち塞がっているお前の誕生と存在を今日まで許してきた。だが、それも終わる。床で無様に転がっているこの女のように、貴様も焼けただれて死ぬがいい!」


 とうとう光の盾が破壊された。当初より幾分かは弱まっているものの、脆弱な人間程度を殺すには十分すぎる威力は保っていた。


 隣で焦るリリアルライトが驚く。迫る凶悪な雷光を前に、ブラッドが余裕の笑みを浮かべた。


「僕の予測が正しければ、これで防げるはずだよ。素材がゴムというのが大事なところだね」


 冷静に解説をするブラッドの前で、巨大なゴム手袋に雷球が衝突する。


 一瞬でゴムの盾は消滅させられるかと思いきや、ビクともしない。代わりにブラッドとリリアルライトの周囲で眩い光の発生と衝撃音が響いた。


「ようやく理解できました。ゴムで雷を逃がしたのですね」


「その通り。魔法とはいえ、魔力で作られた雷ならゴムを使えば床に逃がせるんじゃないかと思ったんだ」


 ブラッドとリリアルライトは、巨大化させたもうひとつのゴム手袋を足場にしているので、床に逃げた雷に再度襲われたりもしない。


「フン。それで勝ったつもりか。俺が使える魔法はまだま――」


 途中でガーシュインの口が止まる。腹に刺さった一本のロングソードのせいだ。


「どうだ、クソ野郎。ざまあみろ」


 ピクリとも動かなかったクレスが、先ほどのどさくさに紛れてガーシュインに攻撃を仕掛けていた。


 注意を向けておらず、完全な不意打ちとなっただけに、ガーシュインは防御魔法を使う暇もなかった。


 天使と魔族の因子を体内で結合させた強烈な実力を持ってはいるが、強化されたのは魔力だけで肉体はエターナルチルドレンだった頃と変わっていなかった。


 従来は不死でもあったが、現在は契約者たるアリヴェルはすでに死滅している。


 がほっと、開かれたガーシュインの口から真っ赤な液体が吐かれた。血だと理解し、不愉快そうに顔をしかめる。


「貴様……俺の油断を誘うために、ずっと死んだふりをしていたのか」


 敵意と殺意に満ちた視線が、剣の柄を強く握るクレスに向く。


 クレスは臆さないで、さっさと死ねとばかりに、ガーシュインの心臓を貫いた剣を右に左にねじる。


「ぐ、おおお……! がはっ! あぐ……ぐうう……!」


 脅威から逃れたブラッドとリリアルライトも、ガーシュインの悲鳴を聞いて状況を理解する。


「クレス! 生きていたんだね」


「無論だ。ブラッドある限り、私は朽ちない。必要とされるだけ、側にいて守ってみせる!」


 クレスが魔剣に力を入れるたび、ガーシュインの肉体が軋む。


「お、弟を殺そうとするなんて酷いよ、お姉ちゃん」


「黙れ! この期に及んで弟のふりをするな! 私をどこまで愚弄するつもりだ!」


 可愛さ余って憎さ百倍。全力で愛し、守ってきた弟は純粋な弟ではなかった。


 肉体を乗っ取ったわけでもないのは、魔族と契約した際に今の姿になったというガーシュイン本人の説明で明らかになっている。


「観念しなさい、悪しき魔族の手先よ。因子をその身に宿そうと、真なる天使や魔族になれるわけではありません。契約者たるアリヴェルが死した今、滅びは貴方の上にもあります。裁きは、天に座す我が主の代わりに私が行います。覚悟をお決めください」


「ぐう、ふ、ふざけるな……お、俺は……すべてを手に入れるんだ。こんな……くだらない女の剣で終わるなど……あって、たまるものかあァァァ!」


「な、何っ!? うわっ!」


 両手を上げ、激昂の叫びを放ったガーシュインの全身から衝撃破みたいなものが放たれ、クレスは剣を握っていることもできずに、ブラッドたちのところまで吹き飛ばされた。


「な、何が起こってるの?」


「わ、わかりません。私にも」


 ブラッドの問いかけに、リリアルライトは小さな顔を左右に動かした。人間の肉体を与えられて地上に遣わされる前から、このような事態への遭遇はおろか、見聞きした経験すらなかった。


 咆哮のあとに唸り声を漏らすガーシュインの口が、亀裂が入るように横へ裂ける。顔が内部から盛り上がり、全体的に大きくなる。目はつり上がり、瞬く間に外見の子供らしさが減少していく。


 肉体も急激に筋肉がつき、身長も体重も増加する。まるで本当は獣の人間が、正体を現そうとしているかのようだった。


 内側から服が破け、露わになった筋肉が灰色に染まる。手足の爪が伸び、口には刃のごとき牙が覗き、背中では大きな翼が四枚生える。左右で色が違う。左二枚が白。右二枚が黒だ。


 腰の少し下に伸びる尻尾は白と黒のまだら模様で、先端は蜂の針みたいな形状をしていた。


 変貌を遂げたガーシュインは、どう見ても人間ではなかった。灰色の魔獣とでも言った方が正しい。


「何なんだ、あれは……」


 周辺に散らばっていた、もはや誰のかもわからない衣服の切れ端を集め、クレスは最低限の大事なところを隠す。へそ出しのタンクトップに、超ミニのスカートを履いているような格好だ。


 いくらブラッドが興味を覚えても、じっくり見ている時間はない。前方に立つガーシュインが、どうなっているのかを考察する必要がある。


「もしかして……器が耐えきれなくなったんじゃないかな。血の魔法陣とやらを発動させて、ようやくガーシュインは天使の因子の力をフル活用できるようになったと言ってたし」


「十分に有り得る考察です」


 納得するリリアルライトに対し、クレスは余計に首を傾げていた。


「どういうことだ?」


「エターナルチルドレンといっても、契約した魔族が自分を上回る力を与えるはずがない。ガーシュインの肉体は確かに年を取らなかったかもしれないけど、強度自体は人間の子供とさほど変わらなかったんだよ。アリヴェルが契約を解除すれば、いつでも始末できるようにしていたのかもしれないね」


「それがわかっていたからこそ、彼も女魔族に従っていた。でもそれでよしとは思っていなくて、状況をひっくり返すために天使の因子を集め出した。だけどそれらの力は、ガーシュインという人間に近い器では制御しきれなかった」


「そのせいで……暴走をした」


 結論を引き継いだクレスが唾を飲んだ。正面では異様極まりない雰囲気を撒き散らすガーシュインの変化が、いよいよ終わろうとしていた。


「確証はないけど、正解に一番近いんじゃないかな。問題はここからだよ。人間の体なら耐えきれず崩壊を起こして終わりだったろうけど、彼の場合は事情が違う。エターナルチルドレンという、魔族に力を与えられた常人とは異なる肉体の持ち主だった」


「崩壊と修復を繰り返すうちに、ガーシュインは中に詰め込んだ因子を制御できる肉体に進化した。生命の危機を乗り越えるためにね。でも理解ができない点もある。アリヴェルが死んだ時点で契約は無効。不老不死ではなくなっているはずなのに……」


「……申し訳ありません。恐らくは私の因子の力でしょう。因子に目覚めた人間は純粋な天使になるのではなく、神の力を借りて高ランクの魔法という形で奇跡を起こせるようになります」


「その後、天寿を全うして天界へ入り、そこで初めて天使となるのです。シャリアさんの場合は天界に許可を得ていましたので、強制的に天界へ戻して天使になったのです」


 因子は天使の力の源であり、存在証明と同意になる。それを奪われれば力を使えないのはもちろん、死後に天使となることもできない。文字通り普通の人間と同じになる。


 ただし因子を奪われた者は命も失っているので、人間世界で継続して生きていくのは、ブラッドみたいなイレギュラー要素を与えられる人物が側にいない限り不可能だ。

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