最終話 愛する人が待つ世界へ

 半透明になった肉体で宙を漂う。いや、ここには大地や空といった概念はない。


 歩くという行為も必要としない。見果たす限りに続く世界。そこに色はない。ただ存在するだけだ。


 衣服もないが、肉体はかろうじて人間だった頃の形を留めている。恐らくは魂を判別できるようにするためだろう。


 ブラッドの正面には、同じく全裸のガーシュインがいる。さすがの彼も混乱しきった様子で周囲を確認していた。


「ここはどこだ。俺に何をした」


「魂の世界だよ。上でも下でもない真ん中。いわばニュートラルな世界。誰もが知らないだけで、ここはいつでも人間の世界に寄り添っているんだ」


「どうやって元に戻る! 早く言え! さもなければ殺すぞ!」


「魂の消滅は完全なる死に繋がる。だからこそ、ここでは誰もが漂うだけの存在となる。もしかしたら、魂の牢獄とも呼べるかもしれないね。僕は君をここへ閉じ込めるためにゲートを開いたんだ。死者の魂と繋がる術を持つ、僕でなければできなかった。それは君が滅ぼそうとしたデスライズ一族の力でもある」


 納得できないとガーシュインは首を振る。だが彼自身も理解をしていた。先ほどからどんなに力を発動させようとしても、何ひとつ応える反応が返ってこないのだから。


「ここでは取り込んだ因子も無駄になる。因子は肉体に連なる記憶に宿るもので、魂とは関係ないからね」


「フ、フン。俺は騙されんぞ。これでは貴様はただの自殺となる。戻れる方法は必ずあるはずだ」


「うん、あるよ。でも、君には無理だ。他者を利用するだけの存在と嘲り、すべてを一人で手に入れようとした君にはね」


「だったら貴様から奪えばいい。逃げるための方法ですらもな」


 ガーシュインの目つきが鋭くなる。だがブラッドに襲い掛かることはできなかった。


「怒ってばかりじゃつまらないわよ。せっかく遊びに来たんだし、私が歓迎してあげるわ。楽しんでいきなさい、永遠にね」


 驚きでガーシュインの目が見開かれる。背後から彼に腕を絡ませたのは、自らの手で因子を奪った女魔族のアリヴェルだった。


「あれ? 領主様にガラハド?」


 アリヴェルの側には、何故か彼女に殺された二人の男性がいた。ブラッドに見つかると、少しだけばつの悪そうな顔をする。


「う、うむ。彼女の中に入ろうとして跳ね返されたせいなのか、一緒にこちらへ来てな。以来、行動を共にしているのだ」


「殺された相手と?」


 今度はガラハドが答える。


「そ、そうなんだけど、色々とその……凄くて……」


「凄い?」


 ケールヒが頬を赤らめる。


「う、うむ。確かに凄い。離れられなくなってしまうくらいにな」


「……とりあえず深くは聞かないでおくよ」


「そうしてくれ。それより、そろそろ戻った方が良いのではないか? あの娘が呼んでおるぞ」


 ブラッド――。


 届く声が色のない世界に七色の道を作る。それは虹に似ていた。


「ついでにマリーニーって女への伝言を頼まれてくれる? 子供をしこたま産んで、私が現世に復活するまで魔力を太らせておきなさいとね」


「わかった。彼女ならきっと、その力で子孫に撃退させると言うだろうけどね」


「かもしれないわね。それならそれで新たな楽しみにするわ。もっとも今は、こいつで遊ぶ方が大事だけど」


 アリヴェルだけでなく、ガラハドとケールヒにも捕まったガーシュインは身動きが取れないでいた。


「くそっ! 離せ! 俺はすべてを手に入れるんだ! そしてすべてをなくした者たちを笑ってやるんだ。俺がされたみたいに! 俺は……俺は……!」


「はいはい、さっさと行くわよ。向こうで可愛がってあげる。この世界も慣れると意外に楽しいものよ。それじゃあね、ネクロマンサー。せいぜい限りある生を楽しみなさい」


 アリヴェルたちの姿が消えた。


 寂しさは感じない。ブラッドの耳には、繰り返し自分の名前を呼ぶ声が届いてくるから。


 シャリア。クレス、マリーニー。それにリリアルライトまでが想いを込めて名前を呼んでくれている。


 それらが一本一本の道を作り、虹のように輝いている。


「じゃあ、戻ろうかな。愛する人が待つ世界へ」


 シャリアたちが作った虹の道を真っ直ぐ歩く。


 すぐに扉が見え、開けるとそこは愛の溢れる世界だった。


     ※


 ガーシュインとの一件から、一ヶ月以上が経過した。


 現在、ブラッドはロッケルベル領の領主の館にいる。元のデスライズ家の大半が、過去の書類共々、シャリアルライトのランク五白魔法により破壊されてしまったせいだ。


 修復が終わり次第、ブラッドは戻るつもりだったが、リリアルライトの提案――半ば強制に近かったが――により、新たな領主となったのである。


 ネクロマンサーに堕天使、不死人にクォーター魔族。天界から討伐隊が派遣されてもおかしくない面々だが、普通に生活を許されているのは、監視者としてリリアルライトが同居しているからだった。


 ガーシュインみたいに因子を奪い返せないらしく、天使ならば二つあるはずの因子はひとつが欠けたままだ。


 天界はそんな彼女を戻すのをよしとせず、新たな任務としてブラットたちの監視を命じた。もし何かあれば、リリアルライトともどもブラッドたちを滅ぼすつもりなのだろう。


 元々信心の不足しているブラッドは何も思わず、当のリリアルライトも天のご意思なればと受け入れている。


 天使になっている期間は極端に短く、すぐに堕天使となったシャリアも特に気にしていない。


 皆で暮らせるなら万々歳で、元より問題を起こすつもりなどさらさらなかった。


 ブラッドに足枷をつけるつもりだったのかは知らないが、天界の意を受けたミューナイル教が動き、正レイスリー王国に働きかけて、正式に領主の変更が認可された。それがつい先日の話である。


「まさか本当にブラッドが領主様になっちゃうなんてね」


 領主の部屋にお茶を運んできたついでに、そのままソファでくつろぎだしたシャリアが笑いを含んだ声で言った。


「僕だって驚いているよ。務まるわけないのになあ。まさかこれを減点対象にするつもりなのかな、天界は」


「いえ、それはないでしょう」


 補佐役となっているリリアルライトが否定した。彼女はブラッドが座る領主の椅子の右後ろに立っている。前領主の妹として、現領主をサポートする役目を担っていた。


 シャリアもリリアルライトも普段は翼を隠し、人間と変わらない姿で生活している。


 すでに死んだとされているシャリアは見つかると面倒なので、外出の際はフード付きの服を着るなどで顔を隠す。


 デイククに行けば両親の元気な姿を見て、安心するように微笑む。彼女のことだから、生まれ変われるとしても同じ両親の子がいいと言うだろう。


「天使が領主だといざという時動けないかもしれませんわ。それなら事情を知っている人間に領主をさせようと思ったのでしょう。ネクロマンサーとはいえ、ブラッド様は私たちの中で唯一の人間ですので」


 私見を述べたのはマリーニーだ。ケールヒに仕えていた時と変わらず、現在もロッケルベル領主の、つまりブラッドの秘書をしている。


 高ランクの魔法を使う際にアリヴェルの魔力を用いない限り、彼女も人間だった頃の姿のままだ。


 相変わらず露出度の高い服を着ているせいで、日に何回もブラッドは視線を吸い寄せられる。そして、そのたびに鬼の形相をしたシャリアに怒られる。


「勝手な連中だと言いたいところだが、天界の勢力と全面衝突という事態にならないだけマシなのだろうな」


 クレスは体温の冷たさもあり、ブラッドが魔力を注ぎ込んだフルプレートアーマーを着用している。新領主の護衛を務める黒騎士といえば彼女の事だ。


 ブラッドの公務が終わり、領主の館に来客がなくなって身内だけになれば鎧を脱ぐ。


 暑さをほとんど感じないはずなのに、鎧の中は下着姿なクレスは、プライベートくらい解放感を味わいたいとネグリジェで行動する。注意するのは般若の化身となるシャリアだ。


 母親の愛情を求めて、森の奥の館で一人泣きながら暮らしていたはずなのに、気がつけばブラッドは領主となって個性豊かな仲間――それも人間ではない美女ばかりに囲まれていた。


「大抵の仕事はマリーニーとリリーがやってくれるし、少しは楽観的に考えてみようかな」


 同意を示したのはマリーニーだ。


「英断ですわ、ブラッド様。楽観的になって、私と子作りをしましょう。後継者は必要ですわ。私とブラッド様の子であれば、立派なポンコツが誕生するはずです。アリヴェルの伝言にもありましたし、お手伝いしていただきませんと」


「立派でもポンコツなんだ……」


「そこじゃないでしょ。何で断わらないのよ、ブラッドは!」


 バンバンと両手で机を叩くシャリア。愛するがゆえに嫉妬に燃えるのも、彼女の中では当然の行為らしかった。


「前にも言ったでしょ。僕はね、たくさん愛されたいんだ」


「だからって――」


「――でもね。真ん中にいてほしいのはシャリアなんだ。ずっと側にいてくれるよね」


「……ブラッドはずるいわ。はあ。これが惚れた弱みというやつなのかしら」


「駄目?」


「フフ。まあ、いーんじゃない?」


 微笑むシャリアとブラッドが見つめ合うが、良い雰囲気になりかけたところで、邪魔をしたかったわけではないだろうが、館のベルが鳴って来客を知らせた。


 素早く対応に出たマリーニーが、執務室に戻ってきて、ブラッドに王国の使者だと告げる。新しく領主になって以降、挨拶に来る人間が絶えなかった。


 いつものようにシャリアは顔を隠し、クレスとともにブラッドの机を挟むようにして左右に立ち、ブラッドの後ろでは、とある物を真ん中にマリーニーとリリアルライトが立つ。


 やがてドアが開き、王国の使者だという若い女性が入室する。


 丁寧なお辞儀と挨拶をして、新領主を見るために彼女は顔を上げた。


「は、はは初めまして。領主のブラッドです」


「――壺が喋った!?」

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人間の女が怖いネクロマンサー、死者なら大丈夫と寂しさに耐えかねて見知らぬ女を生き返らせる。 桐条 京介 @narusawa

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