第7話 実は僕、生身の女性が苦手なんだ

「行くぞ、マリーニー。このような埃まみれの館に長居すると、病気になってしまいそうだ」


 興味もなかったので気付いていなかったが、ロッケルベル家の現当主の背後には誰かが控えていたらしい。


 ブラッドがなんとなくそちらを見ると、目が合った。


 領主の背後から顔を出したのは、ブラッドより多少年上と思われる若い女性だった。軽く頭を下げた際に、栗色のショートボブの髪の毛が、細長いフチなし眼鏡に数本かかる。


 太っているわけではないが、肉感的な女性だった。着用しているのは魔術師用の上下一体となった若草色のローブだが、ブラッドの記憶にある書物に描かれたのとは大きく異なっていた。


 彼女が身に纏うローブは胸元が露わになっており、スカートの丈も膝上と短く、太腿が見えている。蠱惑的なボディラインと相まって、とても扇情的だ。


 腕部分には籠手のようにローブと同じ色の生地を身に着け、脚は膝までのロングブーツを履いていた。


「かしこまりました領主様。それではこれで失礼しますわ、デスライズ家のご当主――あれ?」


 丁寧にお辞儀をして顔を上げた直後に、マリーニーは狐に包まれたようにポカンとした。


 それもそのはず、つい先ほどまでソファに座っていたブラッドが、いつの間にかいなくなっていたのだ。


 唖然とするのは領主も同じ。何かを喋るのも忘れ、二人は揃って似た表情を浮かべて立ち尽くす。


 そこへ頭からフードを被った何者かがやってくる。


 ドアをノックし、失礼しますと開けたのは、どこからか探し出したらしいフード付きの灰色のローブを、服の上から着たシャリアだった。


 足元まで隠れるタイプのものだったが、下に履いていたのがロングスカートだけに、ローブの下から裾が見え隠れする。それが余計に正体不明というか、怪しさを濃厚にしていた。


 お前は一体何者だとも、当主はどこへ行ったとも聞けずに、領主はひと筋の冷や汗を頬に流して唾を飲む。


 良好とは呼べない雰囲気を察したシャリアは、フードで顔を隠しながらも務めて明るい声を出す。


「白湯しかなくて恐縮ですが、よろしければどうぞ」


 持ってきたお盆に乗せていた白湯入りのカップを、二つのソファの間に設置されているガラステーブルへ置く。


 客人にお茶を出そうとしたが、茶葉を見つけられなかったので、苦肉の策として白湯になった。


 領主相手では失礼になるかもしれないと思ったが、何も出さないよりはいいと考えたのだ。


 ブラッドにもと思ったところで、シャリアは首を傾げる。客を迎えるべきデスライズ家の当主が、応接室から姿を消していたのである。


「あ、あの……ブラッド君はどこでしょう?」


「……我々もそれを知りたいのだがね。ところで君は何者だ」


 ネクロマンサーの屋敷に現れた得体の知れない人物。


 警戒して当然だが、脅威はさほどないと判断したのか、領主は冷静さを取り戻すように咳払いをすると、シャリアに言葉を返した。


「私はその、あの……し、使用人です。つい先日、雇われました」


「ほう。研究の成果は出せないが、金を使うのは一人前というわけだ」


 フンと鼻を鳴らした領主に、シャリアは反射的に頭を下げる。


「申し訳ありません」


「……お前は多少、話が通じそうだな。私が誰かは知っているか?」


 尋ねられたシャリアはすぐに頷く。


 聖レイスリー王国の南端に位置するスパロー地方はロッケルベル領と呼ばれ、シャリアとガラハドの生まれたデイククの町は領地でも一番栄えており、領主の館も存在する。


 加えてシャリアの家は商売をしている。万が一にも失礼があってはいけないので、領地の主要人物の顔と名前は、対面した経験がなくともほぼ憶えていた。


「ロッケルベル領、領主のケールヒ・ロッケルベル様でございます。私はデスライズ家の使用人の……シャリアと申します」


 悩んだ末にシャリアは本名を名乗った。どこから使用人に来たのかは明らかにしていないし、顔も見せていない。シャリアという名前だけで、商売をしている家の娘だとはわからないはずだ。


「そうか。ではシャリアよ。お前の主に伝えておけ。支援は減額。元に戻してほしければ結果を出せと。まあ、無理な話だとは思うがな」


「かしこまりました」


「用件は済んだ。帰るぞ、マリーニー」


 ケールヒに了解の意を示したマリーニーは、顔を上げると立ち去る前に自己紹介をする。


「私はケールヒ様の秘書をしているマリーニー・デュンナですわ。デスライズ家のご当主様にもよろしくお伝えください。何度かケールヒ様のお供で参っているのですが、本日初めてお会いしたものですから。いつの間にやらいなくなっておりましたが」


 右手の人差し指で眼鏡をくいと上げ、マリーニーは微笑む。


 同性でもドキッとする妖しい魅力に、シャリアは軽い眩暈を覚える。その時に決して自分の胸を見たりはしない。悲しくなってしまうから。


 伝えておきますとだけ返す。満足したマリーニーが背を向けようとするも、館に来て以来初めて笑みを見せたケールヒが制した。


「このマリーニーは優秀だぞ。純ワイズリー帝国の魔導学院を主席で卒業した逸材だ! どこぞのネクロマンサーの当主とは違うわ!」


 高笑いをするケールヒの背後で、こっそりと笑うマリーニーを目撃して、シャリアは背すじが寒くなった。


 言葉でこそ「そんなことはありません」と言っているが、扇情的なボディラインに相応しい恍惚の表情を浮かべ、唾液に濡れた舌で自らの下唇を舐めている。


 妖艶を通り越し、まさに淫靡。背後の様子に気づかないで自慢と高笑いを繰り返すケールヒを蕩けそうな瞳で見つめ、無意識といった感じで言葉を漏らす。


「学歴だけで評価した人間を自分事のように自慢し、他人を見下す。ああ……なんて素敵なポンコツぶりなのでしょう」


 今にも達しそうに肢体を震わせるマリーニー。彼女の甘い声での呟きが聞こえたシャリアは、ドン引きしそうになるのを堪えるのがやっとだった。


 そのマリーニーが、興味深そうにシャリアを見た。悦楽にまみれた視線で汚されたら敵わないと、相手の視線から外れるように少しだけ移動する。


 そのあとでシャリアもあれ? と不思議に思った。マリーニーのすぐ近くにいる領主のケールヒが、彼女の発言にまったく気づいていなかったのだ。


 聞こえていないのがありえないくらい、結構大きな声だったはずである。ここまで何の反応も示さないと、二人でシャリアをからかっているのではないかとさえ思える。


「どうした。私の話は退屈か?」


 反応がなかったのを気にかけたケールヒに見下ろされ、シャリアは慌てて肩の上あたりで両手を振って否定する。


「そんなことはありません。とてもためになる話でした。聞かせていただいて、ありがとうございます。是非、またお願いします」


 微かに見える口元を有効活用し、にっこり笑ってみせる。少しは不満も和らいだのか、ケールヒはそうかと頷いた。


「私くらいの者になれば、向こうから優秀な者がやってくる。お前も肝に銘じて立派な人間になれるように――いや、デスライズ家の使用人をしているようでは無理だな。フッフッフ」


 まるっきり悪役みたいな台詞と笑い声を残し、ケールヒはマリーニーを連れて応接室を出て行った。あの様子では勝手にどこかへ立ち寄ろうなどとはせず、真っ直ぐに帰るだろう。


 一人残されたシャリアはしばらく呆然としたあと、人けがなくなったのを確認してフードを脱いだ。


「……帰った?」


 直後に、どこからともなくブラッドの声がした。シャリアは慌てて周囲を見るが、やはり彼の姿はない。


「ブラッド君? どこにいるの?」


 視線で探していくと、部屋の隅にある大きな壺が目についた。気になったシャリアが近づくと、足音に気づいたブラッドがひょっこりと顔を出した。


 丸くなれば人が入れるくらい大きな壺に隠れて、ブラッドは怯えていたのである。これまでにはなかった反応に、シャリアは驚いて問いかける。


「一体どうしたの!?」


「実は僕、生身の女性が苦手なんだ。家族だったり、死んでたり、人間でなかったりすると平気なんだけど……」


「もしかしてマリーニーさんの姿が見えたから?」


「うん。怖くなっちゃって。どうも僕、恐怖を感じると壺の中に隠れる癖があるんだよね」


「……どんな癖なの、それ」


 床にへたり込みそうになるをシャリアが必死で堪える中、のそのそとブラッドは壺から出た。


「また減額されちゃったね。もっとも食堂で話した通り、貯蓄分があるから、支援が止まっても三十年は大丈夫じゃないかな」


「え? でもブラッド君のお母さんは暮らすだけで精一杯って言ってたんだよね」


「うん。家族三人でね。家族が減れば支出も減るし、何より母さんも贅沢をする人じゃなかったしね。むしろ父さんも母さんも、デスライズ家に生まれなければって自分の運命を恨んでたくらいだよ」


「子供時代の僕はそこを勘違いして、頑張って成果を上げてデスライズ家に生まれて良かったって思わせてあげようとしたんだけど、逆効果だったよ。当人たちは力なんていらなかったし、普通の人間として生きていきたかったんだ」


「そっか。でもブラッド君がご両親のために頑張っていたことは、きっと理解してもらえていたと思うよ」


 シャリアに言われると、本当にそうだった気がしてくるから不思議だった。心が温かくなるのを感じて、ブラッドは彼女にありがとうと言った。


「どういたしまして。それでこれからどうするの? 私としては、ガラハドの無事を確認しに行きたいんだけど」


「……やっぱり夜じゃ駄目?」


「ブラッド君が強く望むなら構わないけど、どうしてか教えてほしいな」


「お日様苦手」


「もしかして……ブラッド君って吸血鬼?」


「違うよ。単にお日様というか光に弱いんだ。魔法の明かりとかも出力が強すぎると、眩しくて頭痛がしてきちゃうし」


 そっかとブラッドに従う姿勢を見せてくれてはいるものの、シャリアは明らかに残念そうだ。


 不思議なもので、悲しみに暮れた顔を見せられると、どうにかしてあげたくなってしまう。


 生きた人間の女性が苦手なブラッドにとって、一度死んでいるからとはいえ、初めてまともに会話した母親以外の女性だからかもしれない。


「どうしても、すぐにそのガラハドさんが無事だったかを確かめたい?」


 是非ともという返事が、輝くシャリアの瞳にはっきりと刻まれていた。


 それを見たブラッドは、顎に指を当てて考えたのち、仕方ないとため息をついた。


「わかったよ。ただし、変装はしていくからね」

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