第11話 もしかして……当たり?

「この世界には魔法があるのは知ってるよね?」


 シャリアが頷く。


「黒魔法と白魔法だったよね」


「うん。普通の魔術師が使うのが黒魔法。教会関係者が祈りの力で使うのが白魔法。そのどちらにも属さず、禁忌とされているのが禁魔法」


「黒魔法は攻撃系。白魔法は回復や防御系。僕が使う禁魔法は特殊系で、魔法陣と触媒が必要になる。魔法より儀式に近い感じですぐには発動させられない。攻撃系のもあるけど、利便性では黒魔法や白魔法に劣るね」


「おまけに禁忌扱いだから、教会関係者と顔を合わせるのはあまりよろしくないんだよ」


 ブラッドはそう言って笑った。


 結局のところ、名前も知らない女魔族を探すには足を使うしかない。見つからなくとも、最悪は館を捨てて旅に出ればいい。


 母親を失った瞬間に家はブラッドにとって意味のないものになっていたし、未練はまったくなかった。


 一方のシャリアも死んだ情報が噂として町に広まっている以上、知らない顔をして家に帰るわけにもいかない。


 ケールヒが、シャリアは実は生きていたと公表すれば事情も変わるが、やはり同居は難しい。いつ何がきっかけで普通の人間と違うとバレるかわからないのだ。


「ある程度のお金とかを持って準備したら館を出よう。すぐに女魔族を見つけられるといいんだけど」


 首尾よく発見できた場合も戦闘は行わず、すぐにケールヒへ報告するつもりだった。盗賊でも分が悪いのだ。魔族を相手にしたら一瞬で二人とも殺される。


 可能ならケールヒに護衛を派遣してもらいたかったが、その場合はブラッドが苦手とする女性のマリーニーが立候補していた可能性が高い。四六時中つきまとわれて、嫌がらせのような真似をされるのはごめんだった。


 日中に買った食材の残りや多少の着替え、あとはお金を持って屋敷を出る。


 デイククの町を北に行けば、小さな農村があるらしい。シャリアの案内でそこを目指すことにした。


「私が生きてるのを知ったら、犯行現場に戻ってこないかな」


 森の中を歩いている最中、シャリアがそんなことを言った。すぐにブラッドは否定する。


「シャリアが狙いならまた殺しに来るだろうけど、必要なのは誰のでもいいから命……というより血だったんでしょ? それなら血が流れて目的はもう達してるから、この地に戻ってくることはないんじゃないかな。あくまでも推測だけど」


 館からデイククまでは一時間もかからない。夜のうちに町を抜け、さらに北へ移動する。


 歩くこと数時間。朝になる前に目的の農村が見えた。


「さすがに疲れたよ。情報を聞いたら、どこかで休ませてもらおう。日の光を防げるなら、馬小屋でもいいしね」


 情けないことにバテバテのブラッドは、途中から自分の荷物を疲れ知らずのシャリアに持ってもらっていた。普通なら逆なのだが、この場合は仕方ないと割り切っていた。


 棒のようになった足を引きずりながら村へ入ろうとすると、シャリアが急にブラッドを引き止めた。


「待ってブラッド。あっちの方で争う音がする」


「もしかして……当たり?」


 耳がよく聞こえるようになっているシャリアに先を歩いてもらい、背中に隠れるようにしてブラッドが続く。


「――はああっ!」


 直後に威勢のいい声が闇夜に響き、肉を斬り裂く独特の音がブラッドの耳に飛び込んできた。


「あれは……」


 視界の先にいたのは長い青髪を風になびかせ、宙を舞う一人の女性だった。


 月明かりを背中に浴び、手にしたロングソードを振るう姿は格好いいのひと言なのだが、生身の女性が苦手なブラッドは小さく悲鳴を上げて、近くに壺がないか探してしまう。


 ブラッドが何をしたがっているのか察したシャリアは、落ち着かせるように穏やかな声で、自分の背中に隠れているように言った。


 その間にも長身でスラリとした美女は、右手に持つ剣で対峙するゴブリンを一匹また一匹を切り倒していく。


 そのたびに背後に守っている小さな木造の家から子供たちの歓声が上がるが、当人にはほとんど余裕がなかった。


 左手に装備した革のガントレットは、ゴブリンの爪で引き裂かれたのかボロボロ。肩から少なくない血が指先にまで滴っている。ダメージの大きさを表すように、左手は垂れ下がったまま。ろくに力も入らないようだ。


 上半身はポロシャツの上に革鎧だけを装備。下半身は灰色のズボンをブーツに入れて動き易くしている。


 吐く呼吸は荒く、凛々しくも美しい顔には苛立ちと焦りが滲む。次から次に襲ってくるゴブリンの群れになんとか対処し続けるも、残念ながら敗れるのは時間の問題に思えた。


 シャリアがブラッドに助力を提案したその時、暗闇の中に浮かび上がるように人影が現れた。


 闇を血で濡らしたような赤が目を引き、隣で息を呑む音が聞こえる。急に現れた、羽を広げた女が何者なのかを確かめる必要はなくなった。バッファローを連想させるような漆黒の角を持つ女こそが、シャリアを殺害した魔族だ。


「よく頑張るじゃない。ご褒美にそこらでうろうろしてた他のゴブリンの群れも連れてきてあげたわ。さあ、大切な村を守って見せなさい」


「く……! 貴様は一体、何のために村を襲うっ!」


 女が魔族を怒鳴りつけた。


「私の野望のためよ。おとなしく血の生贄になりなさい。そうだ。抵抗せずに私に殺されたら、子供たちは助けてあげてもいいわよ」


 動揺が女剣士の瞳を揺らす。相手は魔族で、約束を守るとは限らない。けれどこのまま戦い続けても、いずれは力尽きる。そうなれば結局、彼女が守っている小さな家に避難中の子供たちも犠牲になる。


 目を瞑り悩む女剣士がギリッと奥歯を噛んだ。隠しきれない悔しさに顔を歪めるも、選んだのは自らの死だった。


「約束は守ってもらうぞ」


 目を開けた女性は革鎧を脱ぎ、ガントレットを外し、装備を次々と地面に放り投げていく。ロングソードも手放し、好きにしろとばかりに動く右手だけを広げるように横へ伸ばす。


 ブラッドたちが現場に到着して、ここまで一分も経過していない。助けに入る暇もなく、唇を横に細長く伸ばした女魔族が、名前も知らない女剣士に爪を突き立てた。


「がはっ!」


 鋭く長い爪で心臓をひと突きにされた女剣士が、血の塊を吐き出す。全身がガクガクと痙攣し、命の炎が急激に痩せ衰えていくのが傍目にもわかる。


 死に行く者への慈悲など持っていないとばかりに、女体を貫いた爪を女魔族が回転させる。だが、女剣士は苦悶の表情を浮かべなかった。


「フ、フン……私の命ひとつで、両親や弟が助かるなら……安い、ものだ。ま、魔族よ……いい取引……だった、ぞ……」


「それはよかったわ。せめて今夜だけは良い夢が見られるといいわね。あの子たちも明日には貴女のあとを追うんだから」


「な、何……だと……!? や、約束を……破る、のか……」


 最後の力を振り絞り、女剣士は輝きが消えかけている瞳で女魔族を睨む。


「まさか。約束通り、子供たちは助けてあげる。だから私は手を出さないわ。もっとも、この場に集めたゴブリンたちがどうするかは、彼らの意思次第だけどね」


「ウフフ。安心するといいわ。彼らが動き出すのは明日の夜。それまでせいぜい避難するなりしなさい。でも、貴女は死んでしまう。村人に注意喚起できる者は誰もいない。ああ、大変。どうしましょう。アハハハハ!」


 高笑いを繰り返す女魔族に、心臓をひと突きにされている女剣士が恨み言をぶつけることはできなかった。


 その前に瞳から意志が失われ、右手が力なく落ちる。ただの人間が防具もなしに、魔族の一撃を急所に受ければ、すぐに命が失われるのは当たり前だった。


 小さな木造建ての家から「お姉ちゃん」という悲痛な声が飛ぶ。窓から顔を出しているのは、年端もいかない少年少女ばかりだった。


 絶命した女剣士から爪を引き抜くと、滴る血を美味しそうに女魔族がひと舐めする。愉悦に満ちた表情は、まさに魔族そのものだ。


「私の目的は達せられた。それでは皆様、ごきげんよう」


 貴族みたいに腕を前に出し、腰を深く曲げ、状況を見守っていた村人たちに一礼する。


 その後、女魔族は笑いを堪えきれなくなり、手の甲を口元に当て、曲げていた上半身を反り返した。


「――なんてね。アハハ! どう、面白いでしょう? 私の人間の物真似は。アハハハハ!」


 狂ったような笑い声を残し、女魔族の体が掻き消えるように闇夜へ溶けた。


 あとに残ったゴブリンたちも後退する。


 村人たちは一難去ったと安堵しているみたいだが、シャリアに死んだ女剣士と魔族の会話を教えられたブラッドは知っている。明日の夜になれば、ゴブリンたちだけでまた村を襲うのを。


 ブラッドと同年代か、少し上程度の女性が剣を握って一人で戦っていたくらいだ。頼りになる自警団も衛兵もいないのだろう。守り手を失った村は、次に狙われればなすすべもなく蹂躙される。


 まだ様子を見ようと考えていたブラッドを押し退けるように、シャリアは力尽きた女性のもとに走り出していた。


 同時に、家の中の子供たちも飛び出していた。全員が泣きながら、お姉ちゃんと叫んでいる。


「クレスお姉ちゃん! 寝てないで目を開けてよ。怖い人たちはいなくなったよ。朝になったら、また一緒に遊ぼうよ!」


 四、五歳程度と思われる少女が、地面に血溜まりを作る女の死体にすがりつく。


 号泣する少女の肩を掴み、強引に引き剥がしたのは同じ家から出て来た中年の女性だった。加齢によりしわが目立ち始めた顔には感謝ではなく、忌々しげな感情を宿らせている。


「離れな。そいつはもう死んだんだよ。とっとと捨てちまおう。きっとこいつのせいで、あの魔物たちもやってきたんだ。私が生まれてからずっと、この村は襲われることもなく平和だったんだからね!」


 そう言って中年の女は、息絶えた女剣士に蹴りを入れた。助けてもらったとは思えない所業に、さすがのシャリアも足を止めて呆然とする。

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