人間の女が怖いネクロマンサー、死者なら大丈夫と寂しさに耐えかねて見知らぬ女を生き返らせる。

桐条 京介

第1話 どうして泣いてるのかな

 いつからか、その森には夜通しで男のすすり泣きが木霊すようになったという――。


「嘘じゃないって。本当にそんな噂が町でされてるんだ。薄気味悪い森だけに、ありえそうな話だろ」


 少しだけ前を歩いていた女が、お尻の辺りで両手を組んで振り返る。視線の先には、驚かそうとする口調で怪談じみた森の噂を話した男がいた。微かに歪んでいる口元は恐怖の影響ではない。笑みを堪えているせいだ。


「だから、肝試しをしようなんて言ったの? ガラハドったら仕方ないんだから」


 男をガラハドと呼んだ女はそう言いつつも、どこか嬉しそうな顔をする。肝試しであろうと、二人で外出できているのが楽しいのだ。


 二人の前には深い森。今は夜だが、日中でもほとんど日の光を感じられない場所だ。


「幾つになっても、男にはロマンが必要なんだよ。怖かったら頼ってくれていいぜ、シャリア」


 女はシャリアと言った。ツインテールにしている光沢のあるピンクの髪が、闇の中でも存在感を放つ。一挙手一投足に元気さが溢れ、髪の毛が飛び跳ねるみたいに上下する。


 大きな瞳が特徴的で、好奇心旺盛な輝きとともにガラハドの姿を映している。春というのもあって、白のワイシャツの上に髪の色とお揃いのピンクの薄いカーディガンを羽織っただけの服装だが、夜の森は日中とは大違いで肌寒い。


 それでもシャリアは不満を言わない。急に連れてこられたのは、彼女を喜ばせようとしたからだとわかっている。それに少し動けば暖かくなる。


 軽いステップを踏むように、シャリアはガラハドへ近づく。ベージュのロングスカートが動きに合わせてふわりと揺れた。


 ヒールではなくスニーカーだったのが幸いした。白がベースなので付着した土の汚れは目立つだろうが、帰宅後に乾いた布で拭けば問題ない。


 夜の散歩もなかなか乙なものだと、首から下げている長円のガラス玉をはめ込んだブローチペンダントを胸の上で弾ませる。


 シャリアはこれがお気に入りだった。幼い頃に愛する父親が、髪の色と同じだよとプレゼントしてくれた物だからだ。


 上半身をわずかに屈め、後ろ向きで歩くシャリアに、森へ行こうと誘ったガラハドが笑顔を見せる。


 彼とは恋仲ではないが、少し前に想いを寄せていると告げられた。今のところ、シャリアは返事を保留している。嫌いなのではなく、自分が愛される側に回ってもいいのかという思いからだった。


「転ばないように気をつけろよ」


 注意したガラハドは二十二歳。十七歳のシャリアより五つ年上だ。よく見れば顔立ちが整ってるとは言えないのに、パッと見はイケメンだ。


 布製の袖の長いシャツの上に茶色のベストを羽織り、革製のズボンのポケットに両手を入れている。


 茶色の髪の毛はしっかりセットされており、風にもあまりなびかない。今時の若者らしくお洒落に気を遣っている。


 二人が暮らす町でも、仕事で稼いだお金をお洒落に費やす若者は多い。そうした方面に、ほとんど興味を示さないシャリアの方が珍しいくらいである。


 値段は教えてくれないが、高価そうなガラハドの黒の革靴にも汚れはつく。見ていたシャリアは、あとで自分が拭いてあげようと決める。彼女は誰かの喜んでいる顔を見るのが何より好きだった。


「少し、風が強くなってきたね」


 シャリアは自分自身を抱きしめるように、両の掌を腕に当てる。先ほどまでは無風に近かったのに、本格的に森へ入るなり視界も体感温度も一変した。


 来訪者を待ち受けるように開いていた木々の合間から森に入った二人は、月明かりを頼りに歩く。木の枝がたくさん落ちているのか、ひっきりなしに足元でパキンと割れるような音がする。


 右を見ても左を見ても木ばかり。ガラハドの身長はシャリアよりも頭一つ高いが、木はその彼よりもずっと空に近いところで覆い茂っている。おかげで月明かりは頼りなく、自分がどこにいるかも怪しいくらいに闇が濃くなる。


 目を開けているのに、目を瞑っているかのようだ。矛盾する感覚に、シャリアは若干の不安と薄気味悪さを覚える。


「夜の森を探検するなら、マジックランプを持ってくればよかったね」


 マジックランプは通常のランプと同じ形ながら、光を火種ではなく魔法によって発生させる。軍や魔法施設に就職できなかった魔術師が、商人と一緒になって開発した商品のひとつだ。


 否定的な意見も世の中にはあるが、彼らのおかげで庶民の生活が楽になったのは確かだった。シャリアの両親が子供だった時代とは雲泥の差だと、以前に教えてもらった記憶がある。


「それじゃ、肝試しにならないだろ。大丈夫だよ。俺は意外に夜目がきくし、そんなに奥まで行くつもりはないからさ」


 数日前に約束していた通り、ガラハドが予約したレストランで一緒に食事したのが二時間ほど前。高級そうなお店は慣れていなかったが、たまにはエスコートさせてほしいという彼の願いを叶えて全面的に任せた。


 結果、シャリアは歩んできた人生の中でも、トップクラスに楽しい時間を過ごせた。だからこそ、レストランを出た直後の、森での肝試しの誘いにも応じた。


「そっか。じゃあこのままガラハドにお任せするね」


 微笑むシャリアの心の中に、温かな感情が広がる。普段は誰かの世話をする機会が多い。仕事や強要をされているわけではなく、彼女の性格の問題だった。


 友人のガラハドにもあれこれと世話を焼いているうちに仲良くなった。役回りが逆の今晩に若干の落ち着かなさはあるが、彼の気持ちを無下にはしたくなかった。


 任せとけと胸を叩くガラハドの隣に、シャリアが移動した時だった。


 ううう。おおお。


 噂の通り、誰かのすすり泣きが木々を揺らす風のごとく森全体に木霊す。


 声の感じからして若い男性だろうと推測できるが、誰のかと問われれば首を左右に振るしかない。


「どうして泣いてるのかな」


 泣き声はあまりにも悲しげだ。まるで世界のすべてに拒絶されてしまったかのようだった。


 恐怖よりも切なさを覚えたシャリアは、無意識に泣いている人物と原因を気にした。


 質問するように発した呟きに返答はない。不思議に思って彼女が隣を見ると、少し前までそこにいたはずのガラハドの姿が消えていた。


 闇が隠したせいで見えないだけかと思ったが、すぐに違うと理解する。ガラハドの気配や息遣いがまるで感じられない。温かだったはずの気持ちが急速に冷え、穏やかさが不安と焦りに変わる。


 大きな声でガラハドの名を呼ぶも返事はない。先に進んだのであれば、さすがにシャリアも気づいたはずだ。


 忘れ物をして戻ったのか。それとも驚かせようとしているのか。


 不思議に思いながらも、彼女は来た道を戻る。幸いにして方向音痴ではないので、視界が不自由な黒一色に近い世界でもどこから来たのかは把握できていた。


 いなくなったガラハドの姿を見逃さないようにしつつ、早歩きで戻る。


 だが、森の出入口に着くどころか、同じ場所をぐるぐる回っているような気さえする。


 迷ったのだろうか。


 息を切らすシャリアは、立ち止まって周囲を確認する。猫じゃあるまいし、人並み外れた夜目はない。明かりも持ってはいない。自身の方向感覚だけが頼りだ。


 一人きりの心細さを必死に抑え込んで、森の中を動き回る。脱出目的ではない。最優先としているのは、行方不明になったガラハドの発見だった。


 どこにいるの。


 不安が寂しさを上回る。案じるガラハドの細身ながらも、それなりに筋肉のついた立ち姿を思い出す。たまらず泣きそうになる中、弱まる気持ちを押し返すように前を見る。


 獣道とも林道とも呼べる土の上を真っ直ぐに歩く。一本道だとは思うのだが、何せこの暗さである。他の道に迷い込んでいないとは言い切れない。段々と自信があったはずの方向感覚にまで迷いが生じ始める。


「ガラハド! どこにいるの!?」


 かなり大きな声を出したはずなのに、まるで吸い込まれるように闇の中へと消えていく。すぐにシンとする森の中、急に風が生暖かくなる。


「あら、可愛らしいお嬢さん。こんな夜道に一人で出歩いては危険よ」


 背後から急に聞こえた声にゾッとして、振り向いたシャリアの瞳に怯えが宿る。


 立っていたのは、闇の中でも肌の白さが際立つ一人の女。髪の毛も瞳も唇も赤く、まるで白地に血を流し込んで作られたようだった。


 身長はガラハドと同程度だろうか。女性にすればずいぶんと高い。ただし人間と比較する意味はないのかもしれない。艶のある赤色のボンテージ衣装を身に着けている女は、明らかに普通ではなかった。


 類を見ないほど美しい顔立ちのすぐ上、前頭部を巻くように、頭部の左右から真紅の角が二本生えている。子供の腕程度の太さはあり、一見しただけでも立派なのがわかる。


「あ、貴女は……誰……?」


 震えるばかりの唇を動かし、なんとかそれだけを言葉にした。


 体勢を変えたシャリアの正面に立つ角の生えた女は、右手をお腹の前で水平にし、貴族が王族へするような挨拶を見せる。


「はじめまして。私は魔族の女でございます」


 動作に相応しい口調を披露した数秒後、状況を理解できず困惑するシャリアの前で、魔族と名乗った女が吹き出した。


「今のは人間の挨拶を真似てみたの。どうだったかしら? 自分ではなかなかだったと思うのだけど」


「魔……族……?」


「ええ、そうよ。この立派な角と羽を見ればわかるでしょう」


 見下すように僅かに顔を上げた女が、右の口角を吊り上げる。


 例えようのない迫力に、シャリアは吐き気を催すほど恐怖する。涙目になり、両足が震える。内腿の付け根に力が入らず、失禁すらしかねないほどだった。


 自らが言った通り、彼女の背から生えていると思われる大きな羽が二枚広げられている。そのすぐ下には、それより半分以下の小ささの羽が二枚ある。こちらは腰から生えていた。


 視線をさらに下へ移動させれば、揺らめく尻尾も見える。どれもが彼女を表す色であるかのように、真っ赤に染まっていた。


 混乱と狼狽の中で、シャリアは女が本物の魔族であることを理解する。そして、姿を見せなくなったガラハドがどうなったのかを不安に思う。


「ガ、ガラハド……は? 私と一緒にいた男の人はどうしたの? まさか殺したの!?」


「自分の身より男の心配? 人間と魔族の違いはあれど、少なからず好感は持てるわね。けれど、あの男にそれだけの価値はないわ。貴女を置いて逃げたのだから」


「そっか。良かった」


 心の底から安堵し、シャリアは満面の笑みを見せた。


 禍々しい雰囲気を持つ女魔族が怪訝そうにする。


「何が良かったのかしら」


「彼が無事なことよ。それだけ知ればもう十分。ここで私が犠牲になれば、その時間だけガラハドは安全な場所へ逃げられるもの」


「変わった人間ね。普通は死にたくないと泣き叫ぶなり、逃げた男を恨むなりするものなのに。まあ、いいわ。必ずしも貴女である必要はないのだけど、その血を貰い受けるわ。私の野望のために」


 殺意の衝動を愉悦に変え、蕩けそうな表情の女魔族が右手の甲をシャリアに見せる。


 直後に赤塗りの爪が、三十センチはあろうかというくらいまで伸びた。不安定さはなく、軽く素振りをして女魔族は感覚を確かめる。


「では、さようなら」


 迫る女魔族の姿を確認後、すぐに瞼を閉じる。シャリアは最後まで悲鳴を上げなかった。聞いてしまったガラハドが、間違ってもこの場へ戻って来ないように。


 黒一色だった闇色のカーテンに赤い水玉模様が浮かぶ。気がつけば、森に木霊する何者かのすすり泣きはやんでいた。

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