第18話 利息をつけて返してやる!

「ご帰宅をお待ちいたしておりましたわ、ポンコ――ブラッド様」


「……今、ポンコツ様と言おうとしたわね」


 何故か玄関ホールで待っていたマリーニーに、館の主ではなく、シャリアがツッコミを入れた。


 ブラッドは、両手を広げて満面の笑みを見せるマリーニーを目撃した瞬間、常人を超えた速度で応接室の壺の中へ到達していた。


 揃って応接室へ移動したあとも、ブラッドは時折壺から顔の上半分を出すだけで、マリーニーに近寄ろうとしない。その代わり、彼女から接近を図るのだが。


「こっちに来ないでよぉ。来るなら死人になってよぉ」


「生身の人間より死人を愛する腐れポンコツぶりがたまりません。まさしくブラッド様は運命の殿方ですぅ」


 瞳を潤ませ、マリーニーは肢体をくねらせる。


 今朝なら領主のケールヒがお仕置きをしたのだが、生憎と現在はいないみたいだった。ブラッドに言っていた通り、自宅に戻ったのだろう。


「ところで、どうして貴女がここにいるのだ」


 クレスの問いに、マリーニーはよくぞ聞いてくれましたとばかりに胸を張る。


 露わな谷間ごとふくらみが揺れるのを、ブラッドがこっそり覗く。そしてそのブラッドを、シャリアが睨んでいた。


「もちろん、ブラッド様と愛を育むためですわ。ライバルは多そうですが、死人と……そちらも女性なのですか?」


 勝手な勝利宣言を仕掛けた途中で、マリーニーが疑問をぶつけたのはクレスだ。


 フルストーンアーマーを着用しているせいで外見での判別は不可能。加えて声もくぐもって聞こえ、正体を知らない人間は自信を持ってクレスを女性だと断言できる状態ではなかった。


「もちろんだ。私はブラッドに必要とされる女、クレスだ」


 兜を脱ぎ、挨拶をする。復活後体温が極端に低くなっているので、額には汗ひとつ滲んでいない。それでも窮屈さは覚えるのか、クレスは鎧も脱ぎ出した。


「せっかく帰宅したのだ、自由にさせてもらおう。この場には女性と……ブラッドしかいないしな」


 意味ありげに壺へ視線を向けたクレスが、フルストーンアーマーを外していく。中から現れたのは、下着のみを身に着けた女体だった。


「おぶぅ!」


 壺の中から奇妙な悲鳴が発生すると同時に、慌てた様子でシャリアは自分の体を壁にして、クレスを隠そうとする。


「ど、どうして服を着てないのよ! 私と同じ状態なら、暑さはほとんど感じないはずでしょ!」


「そうなのだが、暑苦しいというか息苦しいというか、閉塞感みたいなものを覚えてな。服を脱いでいるとそれが薄らぐんだ」


「だ、だからって……」


「構わないだろう。ここにいる男は、私を必要と言ってくれたブラッドだけだ。彼になら……すべてを見せても、そして捧げてもいい」


「見せ……捧げ……んぼぉ」


 またしても冗談にしか聞こえない悲鳴を上げ、ブラッドが壺の中で崩れ落ちる。鼻からは血が流れていた。


「ちょっと、ブラッド。エッチな目でクレスを見ない! それじゃネクロマンサーじゃなくてエロマンサーじゃない!」


「たいして上手くないな」


「クレスは黙ってて! それより服を着てきなさい!」


「承知した。そこまで言うのなら、服を着てこよう」


 シャリアが想定していたよりも、素直にクレスは指示に従った。


 鼻血を指で止めながら、がっかりしたため息をついたブラッドを、シャリアが睨みつける。先ほどよりも鋭さが増していた。


 慌てて顔を引っ込めたブラッドを見て、またしてもマリーニーが恍惚の喘ぎを漏らす。


 般若の面を被ったかのようなシャリアがマリーニーを怒鳴りつける中、先ほど出て行ったばかりのクレスが応接室へ戻ってきた。


「これでいいのか」


 どこにあったのか、素肌が透けて見えるネグリジェを身に着けて。


「へぶらっちょ」


 もはや悲鳴かもわからない言語を残し、ブラッドは壺の中で盛大にひっくり返る。


 下着を外してネグリジェを着たため、たわわな乳房の形どころか先端まで見えそうだった。


「ク、クレスは一体、何を考えてるのよっ!」


「わ、私だって恥ずかしいのだ! しかし二階の書斎に、このような格好をした婦女子の描かれた本が数多くあったのだ。さらにいえば、シャリアが適当に渡してくれた衣類の中に混ざっていたから、着なければならないと……! 親に捨てられた私を必要としてくれたのだ。裸になる覚悟だってある!」


「そういう問題じゃないでしょっていうか、ブラッドのお母さんはどうしてこんなスケスケのを持ってたのよ! それにクレスも変よ。生前も裸で過ごしてたりしたわけ!?」


「村ではなかったぞ。家族は私にそういう役割を求めなかったからな。求められていれば、応じていたかもしれない。捨てられるのは……もう嫌だ……」


「クレス……。大丈夫よ。私はもちろん、ブラッドが貴女を捨てるはずがない。そうでしょ!?」


 壺を見たシャリアが目にしたのは、噴水のように噴射され続けている赤い血だった。発生源はブラッドの鼻である。


「た、大変。すぐに血を止めないと。クレス……に手伝ってもらうと悪化するし、マリーニーさんは戦力外だし、私が何とかするしかないわね」


「私も負けてはいられません。愛すべきポンコツ当主のために一肌……いいえ、一枚でも二枚でも脱ぎましょう!」


「これ以上、事態を悪化させないで! ブラッド! 鼻血を流してるくせに覗き見ようとしない!」


「……ふうん、なかなか楽しそうねぇ。見覚えのある女が二人もいるし」


 ギャーギャーと喚く女性陣の輪に、新たにもうひとり加わった。顔は知っているが、友人ではない。招かざる客だが、会いたくもあった人物。昨夜にガラハドと一緒にいた女性――アリヴェルだった。


 マリーニーに負けじと露出度の高い服装のアリヴェルが、わざとらしく上半身をかがめて部屋の隅の壺に向かって豊かな谷間を強調した。


「おかしいと思ってたんだよ」壺の中からブラッドは言う。「生身の女性が苦手な僕が、何の問題もなく君の前に立てたんだからね」


「はべらせた女の痴態を、好き放題見てたくせに女が苦手なの?」


「……誰しもに事情があるんだ。放っておいてよ」


 姿勢を戻したアリヴェルは上唇を扇情的に舐める。


「そうね。私にも事情があったの。だってガラハドったら、そこの女に事情をすべて告白すると言い出したんですもの。どうせ面倒事になるなら、殺すしかないわよねぇ」


 親指を中心とした三つの指を頬から顎に滑らせ、わずかに隙間を見せた唇を顔筋で引っ張り上げる。


 直後にアリヴェルの姿が変わった。角と羽、それに尻尾が生える。髪と爪、さらに唇や瞳まで血よりも濃い赤色に染まる。


 服はボンテージみたいなのに変わり、切れ上がった股の付け根までもが露わになる。


「私の名前はアリヴェル。見ての通り魔族よ。短い付き合いで終わるでしょうけど、よろしくね」


「一応よろしくと返しておくね。で、君の狙いは何かな」


「極上の美女と対面できるのに、いつまでも壺の中にいたら駄目でしょう? 私が出してあげる。ただ、その際に死んでしまったらごめんなさいねぇ」


「――貴様がな!」


 横から体当たりをかましたのは、フルストーンアーマーを装備したクレスだった。


 アリヴェルが応接室に姿を現すなり、クレスは行動していた。


 相手がブラッドに気を取られている間に部屋へ戻り、ネグリジェの上から鎧を身に纏った。おかげで不意をついた先制攻撃も可能になった。


 魔力で強度を高めた鎧ごとの体当たりに、アリヴェルは顔を歪める。すぐにはクレスの勢いを止められず、壁に激突する。


 激しく打ちつけた背中に走る痛みに、女魔族が苦悶の声を漏らした。


「よくも私を騙してくれたな。あの時の借り、利息をつけて返してやる!」


 吼えて、押す。硬い石鎧と壁とでサンドイッチにされたアリヴェルが、体勢を立て直せないままに呻く。


 壁にひびが入る。命を奪われたクレスに、敵を容赦するつもりなど砂粒ほどもなかった。このまま全身の骨を砕き、肉を潰す。怨恨と憤怒を力に変えて、ひたすら押し続ける。


「調子に……乗るなァ!」


 一時的に筋肉を増強させた右腕で、アリヴェルが強引にクレスを振り払った。押し負けたクレスが後退した隙に、がら空きとなった胴部へ蹴りを見舞う。


 人間とは比べものにならない脚力が放った一撃は、あっさりと逆の壁まで石鎧を纏ったクレスを吹き飛ばした。


 だが、クレスが攻撃を仕掛けていた間に、シャリアは自室から弓を取ってこられた。倒されたらマズいブラッドの前に立ち、狙いを定めて絞る。


 マリーニーはやや離れた位置にいる。あまりに近づきすぎるとブラッドが行動不能になってしまうため、敵と戦う場合はやむを得ない。


「せっかく、私の魅力でポンコツブラッド様を虜にしようと思っていましたのに。邪魔立てするとは許せませんわ。さっさと塵と消えて、心安らぐひと時をお返しください」


 詠唱を終えたマリーニーが開いた手のひらから火球を放つ。対象にぶつかった直後に、内部に詰め込まれていた豪炎が炸裂して燃やし尽くすファイアーボールの魔法だった。


 スピードも乗っており、攻撃動作後の硬直で止まっているアリヴェルには確実に命中する。


 そう思われたが、女魔族は折りたたんだ羽を盾とした。


 衝撃で館全体が揺れるも、致命傷どころかダメージすら与えられなかった。

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