第9話 まさに君は僕の天使だよ!

「貴様がやったのだろう! 得体の知れない実験に領民を使うとは何事だ! 私が出せと言ったのは結果であって死人ではない! 絶対に許せん! 館は解体、お前は断罪してくれる!」


 館へ戻るなり、装備を整えた領主のケーヒルとマリーニー他数名の私兵がブラッドを出迎えた。友好的な態度ではなく、もしかしなくともシャリアの件を憤っているのだろう。


 外で話す内容ではないと、ブラッドの館にもかかわらず、強引に応接室へ連れ込まれると同時に怒鳴られた。それが現在の状況だった。


「館へ帰るなり受けた報告で目が飛び出るかと思ったぞ。この森で殺害が行われ、死体が消えたというではないか。そのような変質的な事件を起こす奴など、お前以外にはいない。さあ、大人しく捕縛――むむむっ!?」


 台詞途中でケールヒが、露骨に訝しむ。話している間に、かぶっていたフードを脱いで応対していたブラッドが姿を消したせいである。


「奴め、どこへ行った! 逃げたか!」


 憤るケールヒに、全身鎧に身を包んだ数名の私兵の一人が困惑気味に告げる。


「もの凄い速度で、あそこの壺の中に入ったようです。逃げたのか避難したのか……」


「何だとっ!? 各員、警戒を怠るな! ここは奴の館。どのような仕掛けがあるかわからぬからな!」


 ケールヒの指示を受け、私兵たちが兜の中から緊張を漂わせる。ネクロマンサーという肩書は、それだけ他者に不気味さと恐怖を与えるのである。


 魔術学院を主席で卒業したというマリーニーも、魔法詠唱の準備に入っている。


 一触即発の雰囲気の中、いまだフードで顔を隠したシャリアだけがおろおろしていた。


「あの壺に一体何を仕込んでいる。近づけば我らを頭から食らう何かが這い出てくるのか……? くう、だが私は負けぬ! 領民の安全と平和は、領主である私が命に代えても守ってみせる!」


 目つきを鋭くし、腰に携えていたレイピアを抜き放つ。高身長とオールバックな髪型がマッチして、かなりの腕を持つ人物に見える。


 誰もが臨戦態勢に入る中、酷く申し訳なさそうにシャリアが事情を説明する。


「あ、あの、ブラッド――様は、女性が苦手でして、近くに家族や特定の女性以外がいると、ああして隠れてしまうみたいなのです」


「な、何……? いや! 私は騙されぬぞ! 大体、お前だって女ではないか。まさか女の声をした男だとでもいうのか! 怪しいぞ、ひっ捕らえろ!」


 死からの復活を果たしていても、常人を圧倒できる能力を得たりはしていない。


 フルプレートアーマーの私兵たちは体温の低さに驚くこともなく、シャリアのフードを脱がした。


「ほら、見るがいい。やはりお前は女――」


「――ああっ!」


 発言を妨害された形になったケールヒが、配下の一人にジト目を向ける。


「いきなり大声を出すな。一体何事だ」


「も、申し訳ありません男爵様。そこの女、死体が消えたと報告にあったシャリア・イィルウにそっくりなのです!」


「何だとっ!?」


 ケールヒの声が裏返る。


 驚いたのは彼だけではなかった。私兵のみならず、マリーニーも魔法詠唱の準備を中断して、シャリアの顔をじっと見る。


 どうやって説明すべきかわからず、ブラッドの隠れている壺を見るも、その前にケールヒが壮大な勘違いをし始めた。


「そうか。死んだというのは嘘だったのか。しかし、かなりの傷は負っていたはずだ。それはどうした」


 すでに治ったとは言えず、やはりシャリアは困るばかり。


 段々とケールヒの声がイラついたものに変わっていく。


「黙っていたらわからぬ! 早く答えないか!」


「おやめください、お兄様。そのように威嚇なさっては、どのような者も素直に答えられなくなってしまいます」


 鈴を転がすような声がしたと思ったら、ケールヒの背後から小さな影が音もなく現れた。


「お、おお、そうだな。少し落ち着くとしよう。だからリリアルライト、お前は少し避難していなさい」


「わかりました。ですが、ご挨拶はさせてください。初めまして、シャリア・イィルウ様。私はリリアルライト・エンジェル・ロッケルベル。ケールヒお兄様の妹でございます」


 優雅にお辞儀をすると、リリアルライトのウェーブがかかったブロンドのロングヘアーが流れるように頬へかかる。


 右手で髪の毛を耳にかけ、顔を上げて微笑む。名前にある通り、天使と見間違いそうになるほど純真で愛らしい。


 白をベースとしたゴシックタイプのドレスを身に纏っているが、彼女が着ていると清純さの象徴にしか見えない。


 誰からも愛される美少女と有名なので名前は知っていても、常に護衛に囲まれているので、デイククで暮らす住民でも間近で見た経験のある者は少なかった。


 身長はシャリアよりも低く、スラッとした体形はまるで高級人形のようだ。その割に上半身のふくらみは巨大で、はちきれんばかりに上衣を押し上げている。


 正確な数字はわからなくとも、パッと見の印象だけで胸元を露わにしているマリーニーよりも大きいのがわかる。


 だというのに、顔立ちはあどけない少女そのものだ。シャリアの持つ情報が間違っていなければ、彼女はまだ十五歳になって間もなかったはずである。


「あ、あの、初めまして。ど、どうしてリリアルライト様がこんな館に?」


「私もロッケルベル家の娘。デスライズ家との古くからの付き合いは知っています。前々から一度訪れてみたいとお兄様にお願いしていたのですが、今日までお許しを頂けなかったのです」


 リリアルライトの説明に、実兄であるケールヒがぶすっとする。


「今日だって許した覚えはない。出立のどさくさに紛れて、お前がついてきたのに気づくのが遅れていなければ、どうしてこのような忌まわしき屋敷になど……!」


「ですが、お兄様。デスライズ家をこの地に招いて拠点を築いたのは、私たちの祖先です。相手方を責めるのは少々好ましくないと思われます」


「わかっているとも。だからこそ私も、今日まで減額はしても支援の打ち切りはしてこなかった。なのに奴は――いや、待て。シャリアと言ったな。お前は今朝、私に使用人だと告げた。もしやデスライズ家の当主に脅されて、嘘をついたのか?」


 シャリアは慌てて首を左右に振った。奇妙な性格をしてはいるが、復活させてくれたブラッド恩義を感じていた。


「違います。私の意思です。それに私を殺した――殺そうとしたのは彼ではありません。自らを魔族と名乗る女性でした」


「魔族?」


 真っ先に驚愕の声を上げたのはリリアルライトだった。


 だが可愛らしい唇が他に何かを言う前に、言葉が遮られる。障害となったのはシャリアでもケールヒでもなく――。


「信じられない。どうしてなんだろう。生身の人間の女性だというのに、恐ろしさをまったく感じない。凄いよ。ほら!」


 歓喜の表情で、リリアルライトの目の前に現れたブラッドだった。


 それまでマリーニーを恐れて壺の中に引きこもっていたはずが、興奮で我を忘れ、口早に様々な言葉を発しながら両手でリリアルライトの右手を握る。


「触っても平気だよ。女性恐怖症みたいなものだと気付いてからは、交際とか結婚を諦めてたけど、その必要はなくなった。まさに君は僕の天使だよ!」


「まあ、ありがとうございます」


 ケールヒどころかシャリアもポカンとする中、リリアルライトはさして動じもせずに笑みを返していた。


「シャリア様やリリアルライト様は大丈夫なのに、女性恐怖症なのですか?」


 マリーニーの接近する気配を察したブラッドは、こんなにも速く動けるのかというスピードを披露し、まるで宙返りでもするかのような動作で壺の中に舞い戻った。


 その様子を見てさらにケールヒらが呆気にとられるも、マリーニーだけは何故か目を輝かせる。


「ぼ、僕、本当に人間の女性は駄目なんだ。たまたまエンジェルちゃんが大丈夫だっただけなんだよ。だから僕に近づかないでぇ」


 泣きそうな声が壺の中から聞こえると、扇情的な格好の女魔術師はさらにうっとりとする。


「壺に隠れたのは、本当に女性が苦手だったからなんて……。そうとは知らずに格好をつけてたケールヒ様のポンコツぶりも素敵でしたけど、こちらはさらに上をいってますわ。あアン、常軌を逸したポンコツぶりにキュンキュンしちゃう」


 欲情を隠さないマリーニーに、シャリアの問題を忘れて誰もがドン引きする。


 魔術学院を主席で卒業するほど優秀だったマリーニーが、どこの国や機関にも所属しなかった理由はこの性格にあった。


「やっぱりケールヒ様にお仕えして正解でしたわ。見事に新たなポンコツを引き当てるなんて流石です」


 領主に対する適切な態度もすっかり頭から消え失せているようで、己の欲望にのみ忠実になっている。


 呆然とする場の空気を引き締めるように、そんなマリーニーを放置して、リリアルライトがシャリアへの質問を再開する。


「貴女を狙った方は、本当に魔族だと名乗ったのですか?」


「はい。爪や角、それに羽と尻尾もありました。とにかく色々と真っ赤で、ブラッドに助け――あっ! ブラッド様に助けてもらわなければ危険なところでした」


 慌てて言い直したシャリアに、リリアルライトがクスリとする。


「普段は名前でお呼びしているのですね。シャリア様が使用人でないのは承知しています。無理に様をつけずとも構いませんよ」


 ケールヒを始め他の私兵たちも、わざと近づいた壺を揺すって、ブラッドに泣きべそをかかせるマリーニーを見ないようにして、会話へ参加する。


「にわかには信じられん話だが、当人が証言しているのであれば戯言だと決めつけるわけにもいくまい。そこで、自分たちで無実を証明してもらいたい。その女魔族なる真犯人を探し出すのだ」


「私とブラッドの二人でですか?」


「無論だ。さもなくば罪を逃れるための嘘と断定し、罪人として処罰させてもらう」


 そんなの駄目です、とシャリアの声が大きくなる。


「ならばせいぜい役に立ってもらおうか。ただ飯くらいと言われたくなければな! 期限は五日。その間に進展が見られないようであれば、私も新たな行動を起こさせてもらう。わかったな!」


 迫力に押され、シャリアは反射的に「はい」と返事をしてしまう。


 頼みのブラッドは壺の中で、涎を垂らしそうなほど口元を緩ませているマリーニーに絶賛虐められ中だった。


 帰るぞという言葉にリリアルライトが頷き、もう少し滞在したそうにしていたマリーニーも従う。残りの私兵たちもフルプレートアーマーをガチャガチャ鳴らし、応接室から出て行く。


「見送りは不要。そんな暇があるなら、さっさと己の潔白を証明するために調査を開始するんだな」


 最後に部屋へ残された台詞の残骸も消える頃、ようやくブラッドは壺から這い出た。


「酷い目にあったよ……」


 床の上をなめくじみたいに進むブラッドに、シャリアが駆け寄る。


「生身の女性がそこまで苦手なのね」


「うん。近くにいるだけで全身がゾワッとするというか、耐え難い恐怖が身体の内側から出てくるような感じなんだよね。まるで変な呪いみたいだよ」


「そっか、大変だね。私のこともバレちゃったし。死者から復活したのには気づかれなかったみたいだけど」


「外見は普通の人間と変わらないからね。触れたりしなければ大丈夫だと思うよ。じゃあ、とりあえず寝ようか。眠いし」


 太陽が苦手なブラッドは、普段は夜まで寝ている。朝から外に出て動いたのなど、いつぶりかわからないほどだ。


 その点も説明すると、徹夜はよくないとシャリアも理解してくれた。


「そういえば私も徹夜してるようなものなのに、眠気を感じない。これも復活した影響なの?」


「シャリアのエネルギーとなっているのは僕の魔力だからね。肉体を維持するための食事や睡眠は必要ないんだ。本来ならシャワーもいらないだろうけど、気になるなら浴びても大丈夫だよ。肉体に影響が出ないよう僕の魔力が守るはずだし。感覚的に気持ちいいかどうかはわからないけど」


「わかった。じゃあ、ブラッドが起きるまでお留守番してるね。どこで寝るの?」


「二階の奥だよ。基本的に二階は書庫みたいになってるけど、空き部屋だから好きに使っていいよ。でも、シャリアの場合は誰かが狙ってきた場合に備えて、僕の両親の寝室をそのまま使うのがいいかもしれないね」


 シャリアの部屋が決まったのを受け、ブラッドはその手前の部屋を新たな自室に決める。そこにも昔誰かが使っていたベッドがあるので、新たに運び込む必要はなかった。


 パジャマというものもないので、灰色ローブ姿のままでブラッドは眠る。


 誰かが側で眠りにつくのを見守ってくれるのは、幼い頃に母親にしてもらって以来だった。

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