第10話「聖法術の使い方」


 四人が徒歩で移動を開始してから二○分と少し。ラウルがざっと、足を止めた。即座にフリーダとアルフリードが周囲を警戒する。レヴィはできる範囲で魔力を感知しようと、集中力を高めた。


「……特に気配は、しない、か?」

「ああ、変な魔力も感じない。今だとせいぜい二○メートル先までしかわからねえが、少なくとも近くに魔族や魔獣はいない」


 フリーダとレヴィがそれぞれ小声で報告し合う。四人の速度は徒歩にしては早いが、それでも馬を連れて周囲を警戒しながらの進行だ。距離にして数キロ程度しか進んでいない。目的地の廃坑まではまだ距離がある。。


「ラウル」


 後ろに就いているアルフリードが問う。内容は言わずともわかるだろう。ラウルは獣道から少し外れた森の奥、一点を指さして言った。


「血の匂いがする」

「!」


 その言葉を聞き、頭の中で地図を描くアルフリード。


「その方向は、まずいね。きっと廃坑と川の中間あたりだ」


 四人は一瞬だけ目を合わせると同時に、ラウルの指差した方向へと走り出した。


「今まさに襲われてるってーのか!?」


 木々や草花が生い茂る中を駆け抜けながら、現状を確認するレヴィ。


「わからない、でもいくらラウルの感覚が鋭いからと言って、何十メートルも先の血の匂いをかぎ取れるくらいだ。出血量が多いか、数人のけが人がいるか……」

「もしくはその両方、か」


 答えながら、最悪の想定をするアルフリードとフリーダ。そして二人が出した結論も、また同じだった。


「ラウル!」

「先に行け」

「りょーかいっ!」


 二人の声を背中に受け、ラウルは森の中を突っ切ってゆく。木々をすり抜け、倒木を軽く飛び越し、時には障害物を利用して、ぴょんぴょんと跳ね回るように進んでゆく。四人で走っていた時の数倍の速さが出ているだろう。ものの数秒で、三人からラウルの背中は見えなくなった。


「……猿かよ」

「いやはや、身体能力もそうだけど、驚くべきは視野の広さと判断力だね」

「判断力と言うか、動物的本能……勘でしょ」


 ラウル一人のほうが身軽に動けると判断しての指示だったが、その指示を出した二人ですらあっけにとられるほどの身のこなしを見せたラウルに、三人は少々失礼な感想を抱いていた。


 そしてラウルの姿が見えなくなってから十秒ほどたった時、


『ぎゃあああああ』


 森の中でこだまする一つの悲鳴が聞こえ、それに続いて響いてくる、どかっ、バキッという何発もの打撃音。


「こりゃ間に合ったっぽいかな」

「まだわからないよ。けが人がいるのは間違いないだろうし、早くしないと手遅れになるかもしれない。フリーダは回復の用意をしてくれ」

「わかってる」


 険しい森の中を走りながらも、フリーダは意識を指輪に集中させる。森の中を超高速で駆け抜けたラウルもそうだが、この状況で聖法術に意識を向けながら一歩も遅れないフリーダ、収納魔法を使ったまま軽口を叩ける余裕を持ったレヴィ。みんな化け物ぞろいだなぁと思いながら、アルフリードは走るスピードをさらに一段上げた。



 ラウルが到着した場所は、少々広めの獣道、とでもいうべき場所だった。


 そこには巨大な水桶が乗った荷車と、それを運んでいただろう四人の人族。そして、今まさにそれを襲っている三人の魔族の姿があった。人族は四人とも傷を負っているが、中でも一人は満身創痍だ。脇腹のあたりに深い傷があり、ひゅう、ひゅう、と荒い呼吸を繰り返している。


「さあ、残りのやつらはどこにいる!?」

「くそっ、死んでも言うなよ。まだ隠れ家は見つかってない。犠牲は最小限にするんだ!」


 魔族の言葉に、人族が頷き合う。どのみち、魔族に見つかった時点で殺されるのは確実だ。なら、隠れ家にいる仲間を巻き込むわけにはいかない。逃げているところをつけられて、隠れ家がばれるなんてあってはならない、と。


 そんな人族の反応に、魔族の一人がペッと唾を吐いた


「生意気言いやがって。そんな高尚な生き物じゃねぇだろう、人族は」

「最後の一人になってもそう言えるかどうか、試してみようぜ?」

「おおー、いいねいいね。じゃあ仲間がどこにいるのか、そっちも答えてもらおうかなー」


 そんな中、底抜けに明るい声が一つ。


「……は?」


 魔族は振り返り、目を丸くする。それもそうだろう。魔族の目に映ったのは、いかにも人畜無害と言った人懐っこい笑顔を浮かべる、金髪の少年だったのだから。


「てめ――いつの間に!」


 焦りとともに振るわれたこぶしを難なくかわすと、少年は魔族の顎を手のひらで打つ。それだけであっさりと魔族は倒れた。


「なめた真似しやがって!」


 仲間をやられて我を取り戻した二人目、三人目の魔族が、少年を挟むように移動する。そして互いに邪魔にならないよう、時間差で攻撃を仕掛けてくる。


「よっ、はっ、ほっ」


 しかしそれを、体を少しずらすだけで躱していく少年。しかも途中からは片目をつむり、何か考え事をしながら軽々と避けていく。


「な、なんなんだこいつはっ!」


 息を切らしながら攻撃を続ける魔族たちだが、そんな隙だらけの攻撃が当たるはずもなく。


「んー、アルみたいにはいかないなー。ま、いいか」


 無造作に繰り出された少年のつま先が一人の魔族の鳩尾をきれいにとらえ、魔族は「うっ」と声にならないうめきを漏らして地面に倒れこむ。


 残った一人の魔族は、得体のしれない少年を恐怖のまなざしで見つめていた。


「んで、なんだっけ? 仲間の場所を吐いたら命だけは助けてやる、でいいのかな」


 笑顔のまま、残った魔族ににじり寄っていく少年。魔族は腰を抜かし、地面に倒れこんだ。


「わ、わかった! 言う、言うから!」

「ま、仲間の場所は探せばいいだけだし。あんたを見逃す理由もないからさ、言わなくていいよ」


 その直後、すさまじい悲鳴とともに数回の打撃音が森の中に響き渡った。



 フリーダたちがラウルの元にたどり着くと、そこには三人の魔族が泡を吹き、白目をむいて倒れていた。


「一応、生きてるな。目が覚めたら尋問するから縛っておいて」


 そう言い、荷物から出したロープをラウルに手渡すと、フリーダは負傷者のほうへと目を向ける。アルフリードが一足先にけがの具合を見ているはずだ。


「アル、負傷者の様子は――」

「おい、目ぇさませ! 助かったんだぞ……ライナー!」


 だがアルフリードから状況を聞くよりも早く、悲痛な叫びが耳に届いた。無事だった三人の男が誰かに必死に呼びかけているのだ。


 表情を厳しくゆがめながら、男たちの元へと歩いていくフリーダ。


「……これは」


 そこには、もはや虫の息とでもいうべき男が、血にまみれて横たわっていた。


「おい、ライナー……おいってばッ!」


 ライナーと呼ばれたその男に、当然意識は無い。だが無事だった男の一人は必死に呼びかけ、肩をゆする。だが脇腹から胸にかけて大きな傷を負ったライナーの肉体は、ゆすられるたび、ちぎれそうに揺れるのだった。


 呼びかけを続ける男の肩にアルフリードがそっと手を添える。アルフリードと目を合わせたその男は惜しむように体から手を離すと、今度は地に手をつき大地をえぐるようにその手を握り締めた。


「残念だが、さすがにもう手の施しようがない」


 絞り出すようなアルの言葉に男はきつく目をつむった。


 魔法にも治癒の術式がある。だがそれは傷や火傷を治す程度。ここまで大きな傷を治すことは不可能だ。仮に治せたとしても血を流しすぎている。アルフリードの言ったことは残酷だが、事実だった。


「そうね、もう救えない。――魔法では、ね」


 男たちが絶望に顔を伏せる中、不敵に言い放つものが一人いた。


「死にかけの人間の一人や二人、救えなくちゃ聖女なんて名乗れないのよ」


 そう言って、フリーダはライナーのぱっくりと割れた脇腹に手をかざす。


「な、聖女!?」


 その行動ももちろんのことだが、何よりも無事な三人を驚かせたのは、フリーダが自ら口にした「聖女」という言葉だった。


「できるのか?」


 レヴィが確認するように問う。治癒魔法を使えるがゆえに、レヴィはこの場にいる誰よりもライナーの治癒が奇跡に近い技術だということを理解していた。


「ま、わたしだけじゃ無理だけどね」


 フリーダは自嘲気味にそう言うと、「ラウル」と奇跡に必要なもう一人の名を呼んだ。


「おう、聖剣だな!」


 待ってましたと言わんばかりに、ラウルはフリーダから聖剣を受け取り地面へと突き立てた。聖剣はラウルが持つときは武骨な直剣に姿を変える。しかしこの時だけは、フリーダが持ったままの形である、反りのある細身の刃の形を保っていた。


 フリーダの聖剣に、ラウルが己の魔力を注ぐ。そして――


「忌むべきは力。されどその混沌こそ我らが生きる礎なり。命の根源を揺るがす赤をその力で癒したまえ。聖法術・慈愛『あなたに捧ぐ、癒しの力をクラスト・デア・ハイロウ ディア』」


 起句を唱えたその瞬間、薄緑色の柔らかな光がライナーの体を包み込む。そしてその一瞬の後、明らかに致命傷だったライナーの傷は、まるで最初から傷などなかったかのようにきれいさっぱりと消え失せていた。


 荒かった息遣いが落ち着いたものに代わり、顔色も心なしか温かみが戻る。


「な……」

「これは……奇跡でも見ているのか……?」


 呆然とする人族の男たち。だがそれも当然の反応だ。事実、聖法術の規格外さを知っているレヴィとアルフリードですら、この結果には驚きを隠せないでいた。


「まさか、聖法術はあんなこともできるんだね」

「こいつは、後で詳しく聞いたほうがよさそうだな」


 魔力を操る者としては見逃せないとばかりに、レヴィがにやっと笑みを浮かべる。そんなレヴィに苦笑するアルフリードだったが、その気持ちは理解できた。ただ、アルフリードが抱いているのはレヴィが思っているような純粋な興味ではなく、もっと疑念に満ちた感情だった。


「そんな大げさなもんじゃない、ちょっとした応用みたいなものよ」

「応用?」

「そう。魔力への直接攻撃が聖法術の基本。それは魔力そのもの作用する力があるということ。その方向性を少しいじっただけ。もとになった魔力は――」


 フリーダが視線をラウルの持つ聖剣へと向ける。

「なるほど、聖剣はラウルとフリーダを繋ぐパスとして利用したのか」


 勇者の持つ莫大な魔力があれば、普通の治癒魔法であれば治療不可能な傷を治せてもおかしくはない。だが、


「聖法術……、魔力に頼らない、力」


 あくまでもフリーダはラウルから魔力を借りて治癒を施しただけ。そんな言い方をする。それが事実なのだとしたら、魔力に直接作用する聖法術本来の力。その源は一体どこからくるのだろう、と。


「う、……ん」

「っ! ライナーッ!」


 考えていると、聖法術を受けたライナーが意識を取り戻したようで、男たちもそれにはっとして駆け寄っていく。


「ライナー、大丈夫か!? 傷は、痛みは!?」

「な、傷……? それより魔族は……あれ? おれ、なんで、生き……て?」


 徐々に意識がはっきりしてきたのか、ライナーが自分のおかれた状況を思い出す。うつろだった目がだんだんとはっきりしてゆき、仲間の姿をその視界に収めた。すると突然、


「なっ! なんで俺、魔族はッ!?」


 ガバっと上体を起こし、あたりを見回した。その動きは傷を負う前と何も変わらない。むしろ元気が良すぎるほどで、男たちは思わず顔を見合わせた。


 確かに瀕死だった。もう数分で死ぬだろうと思い、誰もが諦めていた。万が一助かったとしても、血も足りなければ内臓も傷ついていて、今後も同じように生活できるとは限らないような、それほどの深い傷だった。それが……。


「あんたら、何者だ……?」


 ライナーを救った聖法術の力だけではない。今、この危険な世界で、たった四人で行動し、その中でも一番幼い少年は、自分たちの命を脅かす魔族をいともたやすく昏倒させてしまう。


「見ての通り、ただの旅人よ。……少々物騒な、ね」


 そんな四人の存在に、男たちの理解が追い付くはずもなかった。

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