第1話「勇者と聖女」


「第二皇女、フリーダ・ハイリヒ・シェーンベルク。ただいま帰還いたしました」


 無駄に広大な広間に敷かれた、無駄に高級な赤い絨毯にひざまずき、フリーダは頭を垂れる。耳にかけていた髪が垂れ下がり、薄紫色のそれが鬱陶しく視界にちらついた。ちっと内心で舌を打ち、頬に触れる髪を掻き上げるのを我慢する。一度頭を下げてしまった以上、指示なく姿勢を変えることは許されていない。面倒なことだ。


 そんなことを考えていると、頭上から「うむ」と低い声が聞こえる。同じ室内にいるというのに、その声はだいぶ遠くに感じる。実際、フリーダが跪いている場所と声を出した相手の場所は大股で十歩ぶんほども離れている。天井が高く音がよく響くこの場所だからこそ、普通の声量で会話が成り立つのだろう。


「面を上げよ」


 その言葉に、ひと呼吸待ってから顔を上げる。この作法とやらも、フリーダにとっては面倒くさいことこの上なかった。だが、こんな煩わしいことからももうすぐ解放される。そう考えれば、もう少しくらいこの面倒な儀式にも付き合ってやろうと思えた。


「よくぞ戻った。此度の重要任務、誠に大儀であった」

「は、ありがたき言葉に存じます」


 お互いに、心にもないことを言っているな、と思う。思わず苦笑が顔に出そうになるが、取り繕ったすまし顔が崩れることは無い。


 フリーダの視線の先、長く引かれた赤い絨毯のその先には、これまた無駄に高級そうな椅子に腰かけるひとりの男の姿がある。深いしわの刻まれた顔に、豊かな白髭を蓄えた男。


 勇使教、第三六代教皇ルドルフ・ハイリヒ・シェーンベルク。この国、神聖皇国ハイリアのトップにして、フリーダの実の父だ。


「して、協力は取り付けられたのか」

「は、元教会騎士アルフリード・シュルツ、元教会魔法師レヴィ・ディークマイア、ともに承諾を得ております」

「そうか。……これでようやく、こちらも攻勢に出られるな」


 その報告に、教皇は浅くため息をつく。そこには安堵のほかに、呆れの感情も混ざっているように見えた。


「突然の魔族の凶暴化、『フルーフ・ケイオス』から三年……。我ら人族は、すでに追い詰められていると言ってよい。フリーダよ、そなたらが反撃の一矢となることを、期待する」


 期待。


 その言葉に、顔をしかめそうになる。まったく、耳障りだけは良い言葉だ。長年の魔族迫害という事実に目をつむり、自分の手を汚さず、すでに汚れている存在にさらなる血を流させようとしている。それを言うに事欠いて期待だと? 笑わせてくれる。


 奥歯をかみしめ押し黙っていると、教皇はその沈黙を肯定と取ったのか、さらに言葉を続けた。


「そなたには第二皇女、そして歴史上五人目の聖女として、危険な役目を背負わせることになる。だが、わかってほしい。これも人族のためなのだ」


 いかにも沈鬱とした表情で語る実の父の言葉に、フリーダは吐き気を催す思いだった。


 すらすらと淀みなく出てくる、まるで娘を案じているかのような言葉。この場でそんなポーズをとる必要が無いことくらい、お互いに理解しているだろう。今回の話は人族にとっての重要機密。この広い謁見の間にも、フリーダと教皇を除けば教会騎士団長と魔法師団長の二人しかいない。その二人とも、フリーダと教皇がそんな、ありふれた家族愛のようなものを持ち合わせていないことを知っている人間だ。


 国のトップとしての責任を果たすため、心苦しくも実の娘であるフリーダに今回の任務を言い渡した。実にわかりやすく、アピールしやすい言い訳だ。すべてが解決し、人族の世界に安寧がもたらされたとき、その功労者の中に教会の関係者がいなければ後の世を支配できなくなる。仮にフリーダが解決できなかったとしても、犠牲者の中に実の娘の名があればそれで何の問題もない。


 戻ってくる必要のない、使い捨ての駒。文字通り、反撃の一矢だ。


「ふっ……」


 堪えきれず、吐息のような失笑が漏れる。だが、もうそれを隠すことも無いだろう。教皇の眉根がピクリと動く。教皇の背後に控える二人の長が、苛立ちをあらわに、顔をゆがめる。


「承知しております、父上」


 公的な場では、教皇のことは聖下と呼ぶのが習わしだ。フリーダの当てつけのような呼び方に、もう我慢しきれないとばかりに騎士長が一歩を踏み出そうとする。


「よい」


 が、それは教皇の言葉で治められた。


 ひとつ深いため息をつくと、教皇は「改めて言い渡す」と、この場を終わりへと導き始めた。


「第二皇女フリーダ・ハイリヒ・シェーンベルクよ。魔王ディアーク封印の地に赴き、その復活を阻止。そして、世界に蔓延する魔族の凶暴化、『フルーフ・ケイオス』を解呪せよ」


 ようやく、その言葉を聞くことができた。


「御意にございます」


 応えて、再び頭を垂れる。これでようやく、この面倒なだけでつまらない生活から解放される。こんな茶番も、それに付き合わなければならない道化の真似事も、これで終わりだ。その代償が命を懸けた旅路であったとしても、フリーダに後悔はない。


 退席を促す教皇の言葉に素直に従い、すぐに立ち上がり踵を返す。無駄に広い謁見の間を出て、その扉を閉じる。


 ――ずぅん、という重厚な音。


 それを背中に聞きながら、フリーダは大聖堂も兼ねる皇宮の長い廊下をひとり、歩く。隠す必要のなくなった深いしわを眉間に刻んで。


 思い返しただけで気分が悪くなるような教皇の言葉。期待だの、人族のためだのと、心にもないことを堂々と……。


「まったく、反吐が出るわ」


 第二皇女、そして聖女としてのフリーダしか知らないものが聞けば、耳を疑うような口調だろう。皇宮の者に聞かれれば、間違いなく咎められる品のない言葉遣いだが、もうそれを隠す必要もない。今夜にもフリーダは、この聖都を出ていくのだから。他でもない、教皇の命によって。


「長旅だし、保存食くらいは多めにもっていかないとね。馬車は向こうと合流してからでいいとして、飲み水は、レヴィに頼るしかないか。あとは……」


 旅の算段を立て、必要になるであろう物資を頭の中に浮かべていく。今のうちにある程度確保しておいたほうがいいだろうと思ったところで、今の自分の服装に気が付いた。


「……動きにくい」


 教皇との謁見があったので、今の服装は聖女としての正装、最上位の祭服だ。これは周囲の者に聖女という存在をアピールするための服装でもあり、単純に言って華美に過ぎる。


「はぁ、いったん帰って着替えないとだめね。旅に必要なものに、動きやすい服も追加か」


 つぶやきながら、大聖堂の外へ出る。この大聖堂、正式名称「聖都アイエルツィア大聖堂」だが、礼拝や教会騎士団、魔法師団の演習場のほかにも、皇族の居室を備えている。


 だが、フリーダの住んでいる場所はここではない。


 大聖堂から出て、その外周をなぞるように裏手に回ると、そこには日の当たらない小さな家がある。ここがフリーダの住む、要は離れ家だった。フリーダがこんな場所で暮らす理由は、単純に教皇が気に入らないという理由の他にもうひとつ。


「……」


 無言でドアを開け、家に入る。自分の家に帰ってくるのに「ただいま」なんて言う必要はない。だが、ドアの音を聞きつけた同居人は、律義に出迎えに来るようだ。家の奥から、ぱたぱたと庶民じみた足音が聞こえてくる。


「おかえりフリーダ!」


 その底抜けに明るい声を聞いて、フリーダは「はぁ」とため息をついた。


「遅かったじゃん。おっさんの話、そんなに長かったの?」


 同居人の少年は、適当に切られた金の髪をなびかせて駆け寄り、気さくに話しかけてくる。フリーダはまだ一八歳の若輩だが、第二皇女、そして聖女という立場上、こんなにも砕けた口調で話しかけられることはまずない。ただひとり、教皇をおっさん呼ばわりするこの少年を除いて。


 見た目の年齢はせいぜい一五、六の幼い顔立ち。くりくりとした大きな瞳と適当に切った金髪のせいで、快活な少女にも見えるだろう。


「ったく、帰ってきて早々やかましいのよ。ただでさえ爺の介護で疲れてるんだから、少しくらい休ませなさい」

「ほーい」


 気の抜けた返事をする少年に、フリーダはどんな視線を向けていたのだろう。


「……どうかした?」


 そう尋ねてくる少年に、フリーダは何でもないと首を振る。しかし少し考えて、


「ラウル。あんたも、旅の準備しときなさい」


 と、そう告げた。


 先ほどから何かと気楽な調子ではいるが、今回の旅は本当に命がけのものになる。


 三年前、突如として起こった異変、『フルーフ・ケイオス』。人族と共生関係にあった魔族が、何の前触れもなく凶暴化した。凶暴化した魔族は人族を襲い、喰らう。この三年間で少なくない数の人族の町がなくなり、周辺国の流通は途絶え、人族の世界は荒れ果てた。


 特別力の強い魔族や、子供などの魔族として未成熟なものはフルーフ・ケイオスの影響は受けなかったようだが、それも時間の問題だ。どちらにしろ、一度影響を受けた魔族は人族を獲物としてしか見ないようになる。一度覚えてしまった極上の肉の味を、忘れられないように。


 五百年前とは違い、魔族と人族に数の差はほとんどない。そんな中で、魔族は手当たり次第に人族の村々を襲っている。そしてその裏に潜んでいるのが、魔王の復活をたくらみ、フルーフ・ケイオスを引き起こした者たち。便宜上、教会が魔王軍と呼ぶ者たちだ。


 魔王の復活を阻止するには当然、魔族の猛攻を斬り抜けながら、はるか遠くにある封印の地にたどり着き、そこにいる魔王軍を駆逐しなければならない。


 教皇がフルーフ・ケイオスの原因を魔王ディアークの復活と断定したのには、二つの理由がある。ひとつは、魔族の凶暴化が歴史に聞く、人魔大戦末期の魔族の様子に酷似していたこと。そして、もうひとつは――。


「フリーダー、準備って何すればいいの?」

「ああ、もう! あとで一緒にやるから、ちょっと待ってなさい!」


 こちらを見つめる、金色の瞳。ラウルというこの少年のことを、しかしその名で呼ぶものはこの聖都アイエルツィアにはフリーダの他にはいない。


 過去の人魔大戦において、人族の危機に現れたという存在。絶対なる力を持つ魔王ディアークに対して、世界が生み出した『もう一人の絶対者(カウンター)』。


「はーい」と暢気な返事をして部屋の奥へと消えるその背中を、フリーダはどんな瞳で見ていただろう。


「……こんな子供に、人族の命運託そうってんだからね……」


 つぶやいて、鼻で笑う。


 この少年こそが、今回、人族の窮地に現れた伝説の存在。

 教皇ルドルフがフルーフ・ケイオスの理由を魔王ディアークの復活だと断定した、もうひとつの理由。



 当代の勇者だった。


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