第2話「出立」


 夜も更け、聖都の住民も寝静まったころ。フリーダとラウルは三年間過ごした離れから、足を踏み出した。フリーダの服装は旅用の修道服に、聖女の身分を示すストラを首にかけている。本人としてはもっと動きやすい実用的なものを選びたかったのだが、今回の旅は聖女としてこなさなくてはならない任務だ。対外的なわかりやすさも重視される。ラウルも旅装束ではあるが、フリーダと違って荷物が多い。そのほとんどは娯楽品や食料だ。フリーダといえば、荷物は最低限の旅の道具と、腰に下げた一振りの剣だけ。


「う~ん、ひっさびさの外だー!」

「こら静かに。時間帯考えなさい」


 出て早々はしゃぎだすラウルを注意して、聖都の外へ向けて歩き出す。皇宮を通り過ぎると、聖都の街並みが目に入る。時間帯や場所柄もあって、周囲には誰も見当たらない。それでも、数年前ならもう少しは活気があっただろう。


 聖都アイエルツィア。神聖皇国ハイリアの中心地にして、勇使教の源流たる地。周囲は高く頑丈な外壁に囲われ、さらには深く広い堀もある。外から見れば、さながら水上の都市とも言える美しい外観を誇っている。外界と通じる道は大きな跳ね橋がひとつのみ。封印の地からの距離とその攻めにくさも相まって、フルーフ・ケイオスが始まってからも魔族の侵入を一度も許していない。


 最後の砦、というやつだ。もっともそんなことを言えば「人族はまだそこまで追い詰められてはいない」と騎士団長あたりに言われそうだが、事実なのだから仕方がない。


 誰もいない静かな道をラウルとふたり歩き、外壁と跳ね橋のもとにつく。今の時間、当然跳ね橋は上がっており、外の景色は見えない。


「ラウル」


「ほーん」と、物珍しそうに橋をこんこん叩いているラウルを呼びつける。というか、最近外に出ていないとはいえ、跳ね橋ならもう何回か見てるだろうに。何を初めて見たような反応をしてるんだコイツ。


「なになに?」

「橋、下ろさないと渡れないでしょ。詰所の中から動かせるから、入るわよ」


 ラウルと二人、跳ね橋のすぐわきにある騎士団詰所に入る。ノックもせずに扉を開けたものだから、見張りをしていたふたりの騎士が「ひっ」だか「うおっ」だかと声を上げた。いや、いくら驚いたとはいえ騎士が「ひっ」はないだろう。


 ふたりの騎士はフリーダの顔を確認するや否や、立ち上がって最敬礼を取る。煩わしいのですぐに「不要よ」と告げると、今度は気を付けの姿勢のまま動かなくなった。立ち上がった際に背中に隠した酒瓶は、まあ見なかったことにしてやろう。ここの見張りが退屈なのは知っている。一度も外敵の侵入を許していない聖都だ。フリーダが同じ立場なら、酒瓶だけでなくカードゲームあたりも持ち込んでいるかもしれない。


「ラウル、お願い」

「はいよっ」


 跳ね橋から詰所の中の滑車に鎖がつながっており、垂れ下がっているそれを引くことで跳ね橋を操作できる。無論、大扉を兼ねる跳ね橋だ。普通は訓練された教会騎士が十人はいないと、動かすことすらできない。


「は、跳ね橋ですね。では人を呼んでまいります」

「結構よ」


 詰所を出ようとする騎士を呼び止めるが、騎士は「しかし……」と言い淀んで鎖に手をかけるラウルを不安そうに見た後、フリーダのほうに向きなおった。そんな騎士に、溜息をひとつ吐く。


「いいから見ていなさい」


 そう言ってラウルのほうを顎でしゃくる。


 騎士たちはフリーダの言葉を信用していないのか、それとも顎でしゃくるという態度に物申したいのか、微妙な視線をフリーダに向ける。だがそんな視線も、ラウルの行動ですぐに外れることになる。


「じゃ、いっくぞー!」


 ラウルが気の抜ける掛け声とともに、鎖を引く。


 最初は動かなかった鎖が、徐々に徐々にラウルの体のほうへと引き寄せられていく。


「なっ」

「まさかっ!」


 驚きの声を漏らすふたりは、フリーダがいることなんて忘れたかのように橋が見える窓へと駆け寄っていく。ギ、ギギ、と軋みを上げながら、ゆっくりと降りてゆく橋。それを見て、ふたりはあんぐりと口を開けていた。まあ、その驚きも仕方がないだろう。このふたりは騎士団の中でも見張りを任されている程度の、ようは下っ端だ。毎朝毎夕、跳ね橋を操作しているのも彼らなのだ。いつも十人程度で動かしている橋を、たったひとりの少年が動かしているところを見れば、こんな反応になるのも仕方がない。


 ある程度まで下りればあとは自重に任せることもできるが、今は深夜だ。大きい音を立てるのも悪いので、ラウルにはゆっくり最後まで下ろすように言ってある。鎖を引くラウルの腕にはうっすらと筋が浮かんでいて、それなりに力を入れていることがわかる。だが本人の表情はいたって平然としていて、まだまだ余裕そうだ。


 やがて、言いつけ通りにゆっくりと橋が対岸の地に触れる。控えめな振動が足元に伝わってきた。ラウルは我先にと詰め所を出ていき、外の世界へと走り出していく。


「やったーっ! ひっさしぶりの外!」

「だからあんまりはしゃがないの! それじゃあ、朝まで見張り、しっかりね。……あと、酒は飲み過ぎないように」


 見張りの騎士に一言添え、ラウルを追いかけるように橋をわたる。もう帰ってこられないかもしれない、一八年間過ごした故郷の地。だというのに、フリーダは一切の寂しさも、心残りも覚えてはいなかった。


「ほかの街ってどんなかんじかなぁ」


 待ちきれないとでも言うように、ラウルが笑顔で問う。だが、そんなに楽しいものではないだろう。


「今はどこも一緒よ。魔族におびえて、自己保身に走って、他人なんて気にする余裕もなく排他的。その日一日を生きるだけで精いっぱい。そんな毎日……きっとね」


 期待を裏切るようで悪いが、フリーダはラウルに現実を告げる。少なくとも、フルーフ・ケイオスが始まってから、世の中はそんな風に変わってしまった。他国にある勇使教会支部からの報告では、ハイリアはまだましなほうだと聞く。魔王軍の魔族が集まり、かつフルーフ・ケイオスの影響が近い封印の地周辺の国では、口減らしが平然と行われている場所もあるとか。


「ふ~ん、……早くいってみてぇなぁ」

「今のどこに行きたくなる要素があんのよ……」


 人族を救うためのフリーダの旅は、こんな、まあまあ軽い感じで始まったのだった。




 いくら人族が追い詰められていると言っても、聖都の周辺は比較的安全だ。フルーフ・ケイオスの影響は封印の地を中心に同心円状に広がっており、中心部に行けば行くほどその影響も色濃くなる。


 人魔大戦の折、一度追いつめられた魔族は人族の本拠地である現在の聖都から、遠く離れた地で魔王降誕の儀を行ったと言われている。そのため聖都と封印の地にはかなりの距離がある。その距離は国どころか、大陸一つ分といってもいいほど。まったく、呆れる旅路になりそうだ。


 封印の地から離れた立地、そして聖都は勇使教の本拠地でもある。教会騎士、魔法師団の練度も他の街の比ではなく、そんな彼らが定期的に周囲の哨戒を行っている。凶暴化した魔族とはいえ、うかつに手は出せない。


 周囲にある危険といえば、せいぜいちょっとした魔獣か、騎士や魔法使から隠れている野良の魔族程度だろう。レヴィ、アルフリードのふたりと合流し、本格的に聖都から離れるまでは暇な道のりになる。


 ……そのはずだったのに。


「……なんなのよ、コイツら」


 目の前にいるのは一五、いや、二〇人近い魔族。それも、教会に怯え隠れている野良の魔族とは到底思えない、しっかりとした装備と闘志を備えている。間違いなく、魔王軍に所属する魔族だ。


「おお~、なんかムキムキがいっぱいいる!」


 隣の馬鹿勇者は何故か嬉しそうだし……。


 ――邪魔だし、さっさと全員片付ける? いや、少なくともどうやってここまで来たのかを吐かせる必要がある。全員やるのはまずい。殺すだけなら簡単なのに……。


 頭を悩ませていると、正面の魔族が何やら口を開く。


「おいおい、ずいぶんを久しぶりじゃねぇか、こんな不用心な餌は」


 ……餌? ああ、もしかして私たちのことを言っているのか。フリーダはそう思って、ラウルと自分の身なりを改めて見てみる。外見であれば確かに、不用心に出歩く女子供と言われても仕方がないか。


「まったくだ。逃げ隠れするのばかり得意だからなぁ、脆弱な人族は」


 まあたしかに一般人は魔族から逃げ隠れている。が、このあたりで教会騎士や魔法使から逃げているのは魔族なのだが。魔王軍所属のエリート様からしたらそんな木っ端魔族のことは眼中にないのかもしれない。


「はっはっは! まあそれを探し出すのも楽しみの一つじゃねぇか。必死に逃げて、隠れて、それが全部無駄に終わった時のあの顔っ! 俺ぁあれが最っ高に好きなんだよ」


 聞いた話によると、フルーフ・ケイオスによって凶暴化した魔族は理性の無い魔獣のように人を襲い、喰らうらしいのだが……どうやらこの魔族たちは普通に会話ができるようだ。それが魔王軍に属するが故なのか、あるいはフルーフ・ケイオスについてまだ人族側が知らない効果があるのか。現状では判断できないが、少なくともわかったことが一つある。


 弱肉強食という世界の摂理においては、人族も魔族も変わらない。


 聞くに堪えない不快な雑音は、魔族の声でも教皇の声でも変わらない。



 屑に種族は関係ないのだ。



「ラウル」

「おう」


 フリーダは腰に下げた剣を抜き、ラウルに投げ渡す。


「やっていいわよ」

「おうっ!」


 元気のいい掛け声とともに、ラウルが剣を受け取った。――その瞬間、流麗な片刃のそれは白い輝きに包まれる。暗い街道の中、剣の光が目の前を覆いつくす。


「なんだ!?」

「目くらましか? 逃がすなッ‼」


 誰が逃げるか。


 光が収まったそこには、剣を受け取ったままの姿勢のラウル。だがその手に持つ剣は、先ほどまでとは全く別の形をとっていた。


 それは、厚く重い、鈍色の塊。


 それは剣の形をした鈍器と言っても差し支えなかった。フリーダの手にあった時の、美しいほどの鋭さはどこにもなく、そこには圧倒的な破壊と暴力があった。


「あれは……武器が変わった? いや、隠し持ってやがったのか!」

「はっ、ガキが何持ってたって関係ねぇ! やっちまうぞ!」


 一瞬だけ武器に気を取られる魔族だったが、すぐに獰猛な顔つきに戻る。


 数人の魔族がラウル向かって駆け出してきた。瞬発力はなかなか。そこいらの教会騎士よりはよほど速い。もっとも、騎士の戦いは倒すことよりも守ることにこそ適しているから、一概に比べることは出来ないが。


 さらに言えば、魔族の装備は急所や関節を守るだけの軽装。武器もその爪があれば並みの騎士が振るう剣と切り結べる。……まったく、考えれば考えるほど、魔族の生命としての能力は高い。これで回復力もあるのだから厄介だ。


 だがそれは結局、人族よりもちょっと強く、死ににくいというだけの話でしかない。


 ラウルが腰だめに剣を構える。それに対し魔族は、己の爪を突き立てんと飛び掛かっていく。


 人族だの魔族だのと、そんなレベルで戦っていては、勇者と魔王の間には入れない。


 こいつらは死に急いだ。ラウルの持つ剣を見て、少しでも違和感を抱いていればあと数分は長生きできたのに。姿を変えた剣、そして見るからに重いであろうそれを、涼しい顔で操っているラウル自身。


 強さというのは残酷だ。


「そぉいっ‼」


 ラウルが剣を振りぬいたその瞬間、三人の魔族は、ただの肉塊になり果てた。


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