第12話「旅の目的」


「ふぁ……ぁあ」


 目が覚めて、ラウルはひとつ、おおきく伸びをする。地面に手をつくと、思っていた固い手ごたえはなく、どこかふさッとした感触が伝わってきた。もう朝になったのかと体を起こし周囲を見渡したが、ごつごつとした岩ばかりが目に入る。そこでようやく、今いるのが朝日など差すはずもない洞窟の中だと思い出した。


 足元に視線をやると、一抱えもある寝藁の上で首を直角に曲げたまま寝ているレヴィが目に入った。レヴィの頭のすぐ近くには自分の足が。どうやら寝ている間に足蹴にしたらしい。レヴィが目を覚ましたら小言を言われるのは確実なので、今のうちに首をまっすぐに戻しておこう。


「えいっ」

「ッぐ……」


 ちょっと力を入れただけなのだが、レヴィが苦しげにうめき声をあげる。少し考えて、今のうちに部屋を出ておくことにした。


「てゆーか、今何時だぁ?」


 いまだにしばしばする目を擦りながら、迷路のような洞窟をさ迷い歩く。昨日ご飯を食べた場所が分かればいいのだが、どうも途中からの記憶がない。レヴィとアルがお酒を飲みだしたところまでは覚えているのだが……。


「おや、おはようラウル。今朝は早いね」


 考えながら足を動かしていると、後ろから声をかけられる。誰の声かなんてわかりきっているけど、ちゃんと振り返って目を見て挨拶を返す。


「あ、アル! おはよー」


 するとアルは、何故かこちらを見てほっとしたような顔をした。


「ラウル、体調はどうだい? 頭が痛かったり、吐き気がしたりしないか?」

「え? 全然ないけど……どして?」


 やけに真剣に尋ねてくるアル。もしかしてアルは今朝具合が悪かったのだろうか。いや、でもそんな風には見えない。どちらかと言うと、ここ数日の中では顔色も良い部類に入る気がする。


「ああ、いや。何もないならそれでいいんだ。うん……なるほど、酔いは早いけど残らないタイプか」


 本当に何でもなさそうにアルが言うので、一応、頷いておく。後半何かぶつぶつと言っていたけど、意味はよく分からなかった。


「その様子だと、ラウルもよく眠れたようだね。いつも固い荷台の上で寝ていたんだから当然かな」

「ああ、それでいつもよりもぐっすり眠れたのか」


 昨日寝た時の記憶が何故か曖昧だが、寝心地が良すぎたせいかもしれない。確かに最近は荷馬車の床か地面にごろ寝しかしなかった。納得してアルのほうを見ると、アルは何故かくすくすと笑っていた。


「さて、ラウルは昨日の食堂に行くといい。フリーダももう起きてるよ。僕はレヴィを起こしに行くから」

「うん、わかった……と言いたいんだけど、」


 苦笑いを浮かべながら頭をかく。さすがに昨日騒いだ場所が分からないというのは恥ずかしい気がした。


「ああ、このまままっすぐ行って、分かれ道を左、右、右に進んで三つ目の横穴ところにあるよ」

「あ、あんがと」


 でも説明を聞いて、覚えてないのが普通だったかと思い直した。



 アルに言われたとおりに洞窟を進み食堂にやってくると、いくつかあるテーブルの一つにフリーダがいた。ろうそくと松明の明かりしかない洞窟は時間なんて関係なく薄暗いのに、フリーダのいる場所だけ、なんだか太陽がさしているように見えた。


「おはよ、フリーダ」


 向かい側に座って話しかけると、フリーダは木製のカップ(中身はコーヒーだった)を音もなくテーブルに置く。


「ああ、おはよう。……あんた体調はいいの?」


 最初こそ普通に挨拶をしたフリーダだったが、何故かいぶかしむような視線を向けてくる。


「何ともないよ? 昨日なんかあったの?」


 そう問いかけると、フリーダは少し驚いたような顔で「あんた、覚えてないの?」と言ってきた。確かに昨日のことはご飯を食べてる途中までしか覚えていないが、あの後寝るまでの間に何かあったのだろうか。


「おれ、なんか変なことした? アルにもなんか、何もないならいい、とかって言われたんだけど」

「あんたねぇ……」


 あきれたようにため息をつくフリーダ。その反応に、少しだけ不安になった。


「おれ、またなんかやっちゃった? その、アルは何も教えてくれなかったんだけど……」


 よく言われるのだが、ラウルには常識がないらしい。


 そもそも常識と言う言葉そのものがラウルにはよくわからない。意味は、なんとなくなら理解できる。いわゆる普通で、一般的なものの考え方とかを常識という。でも、その普通の基準はどこにもない。


 ラウルには普通にできることでも、他の人にはできないことはたくさんある。ラウルはこの世界に出現してからの三年間でそのことを嫌というほど思い知った。ラウルの中の常識は、常識とは言わないらしい。周囲の人間が当たり前のようにラウルに求める常識を、ラウルは自分の中から見つけ出すことができない。


 今でこそ、「みんなとは違う存在なんだから仕方ないじゃん」と開き直ることもできる。自分がどんな存在なのか、ラウルもこの三年間でおおよそ理解し始めた。だが教会という環境はラウルの自意識を育てるうえでは残酷だった。なにせ、勇者は教会を生み出した存在なのだから。勇者ラウルはかつての勇者レナードのようにあらねばならないという脅迫めいた圧力は、この世界に誕生して間もないラウルに耐えがたい心理的苦痛を与えたのだ。


 そこに無意識に救いの手を伸ばしたのがフリーダなのだが、だからこそ、ラウルはまた自分が何かをしてしまったのではないかと不安を覚えてしまう。


「ああ、いや、大丈夫。問題があったわけじゃないから」


 そんなラウルの様子を見て、フリーダもあわてて訂正する。一見無邪気な子供のように見えるラウルが、実際はどれだけ不安定な存在なのか、それはフリーダも身をもって知っていた。


「……はぁ~よかった」


 不安がなくなるのと一緒に、固くなっていた顔が緩み、胸の鼓動が落ち着いていく。だがそうしているうちに、何故ふたりがこんなに体調のことを聞いてきたのか、理由が気になってきた。するとフリーダが、


「あんた、食いすぎて動けなくなったから三人で部屋まで転がしていったのよ」


 とそっぽを向きながら答える。よほど面倒だったのだろうか、今は目を合わせる気がないとでもいうように、頑としてこっちを見ようとはしなかった。


「……あ、ごめん」

「まあいいけど。反省してるなら、朝食運ぶの手伝ってきなさい。もうすぐアルもレヴィも来るでしょう」

「はーい」


 迷惑をかけた罰ならば従うほかない。ラウルは渋々席を立ち、トントンと小気味よいリズムを刻む厨房へと歩いて行った。


「……三歳児に酒飲ませたのは、教育的によろしくなかったわね……」


 昨夜の本当の失敗を思い返したフリーダは、心の中でラウルに詫びた。



 四人で朝食を食べていると、一人の男が話しかけてきた。


「やあ、おはよう。昨日は危ないところを助けてもらって、本当にありがとう。昨日はろくにお礼も言えずに、すまなかった」


 そう言って深々と頭を下げる青年。短く切りそろえられた髪に、ここで生活している割には清潔感のある格好。ラウルにはなんとなく見覚えがあったが……。


「……あんただれ」

「ライナー! ライナーです! 昨日あなた方に命を救ってもらった!」


 名前を聞いてようやく「あー」と納得。隣を見るとフリーダとレヴィもラウルと同じ顔で「あー」と言っていた。


「こらみんな、誰のおかげで昨日おいしいものを食べてふわふわの寝藁で眠れたと思っているんだ。彼が死にかけていたおかげじゃないか」

「いや、その物言いもどうかと思うぞ」


 こっそり耳打ちしたアルに、レヴィが控えめな突っ込みを入れる。まあ、確かにラウルとしてもここまで案内してくれた死にかけライナーよりも、昨日たらふくご飯を食べさせてくれた厨房の青年のほうが記憶に新しい、というか恩を感じている。


「あなたを助けたのは偶然よ。それほど感謝されることでもないわ」

「その割には、随分と必死に術を唱えてましたけど?」


 射殺さんばかりの目を向けるフリーダとそれにおびえるレヴィを尻目に、ラウルは青年、ライナーに話しかける。


「んで、どしたの? お礼なら昨日の飯でもらったけど……」


 ラウルの言葉に、ライナーは重々しくうなずいた。


「はい。……その、皆さんに折り入ってお願いがあるのです」


 ライナーの言うお願い。それははっきり言って、心当たりがありすぎた。


 普通の人族と比べて明らかに戦闘力が高い四人。さらには致命傷すらも回復させて見せたフリーダ。日々魔族の襲撃におびえるシュトルツの隠れ家。であれば、頭を使うのが苦手なラウルだって、ライナーの言わんとしていることが分かる。


「断る」


 ライナーの言葉を待たず、そう言い切ったのはフリーダだった。


「そ、そんな……! まだ何も……!」

「言わずともわかる。こう見えても、私たちの旅は先を急ぐの。こんな序盤も序盤で足止めを喰らうわけにはいかないのよ」


 旅の目的を考えれば、フリーダの言うことは正しかった。この旅が早く終われば終わるほど、人族の犠牲は少なく済み、それはかつての平和な日常、人族と魔族の共生を取り戻すことにつながるのだから。でも、


「なあ、フリーダ。どうしてもだめか? おれたちだって、ここの人たちには世話になったろ?」


 昨日の食事を思い出す。食事中に交わした会話を、厨房の青年が語った言葉を。ラウルにとって、あんなに楽しい食事は、本当に久しぶりだった。いや、ラウルだけじゃない。フリーダにとってもそうだっただろう。この三年間を共に暮らしてきたラウルだからこそ、よくわかる。表情には出さないけれど、昨日が楽しい食事だったことくらい。


「一宿一飯の恩というなら、それはもう前払いしているはずよ。それともライナー、あなたの命は一宿一飯よりも軽いのかしら」


 フリーダの言葉にライナーは表情を険しくした。その言い方は卑怯だ、とラウルは思う。だがどうしても、その一言は言い出せなかった。


 どうしてだろう、普段の会話の中で冗談交じりに言い返すことはたくさんある。だが今のような、自分たちの目的に関することにはどうしても口を出せない。それはきっと、子どもが親に反抗できないような気持も含まれているのだろう。今朝、フリーダと話していて抱いた不安を思い出しながら、ラウルは考える。


 けれど、今ラウルが何も言えないのはきっと、フリーダの言ったことが正しいことだと思っているから、なのだろう。返すべき恩は返してもらった。あとは、この旅を早く終わらせることこそが、この村を救う手段でもある。フルーフ・ケイオスを解呪しない限り、この世界に蔓延した人と魔族の争いは絶えないのだから。


「ま、そういうことだ。すまねぇなライナー。俺らには俺らの、やることがあるんだ」


 レヴィがそう言いながら席を立つ。いつの間にか、ラウル以外の三人は朝食を平らげていた。もういつでも旅を再開できるように。


「すみません。でも、こればかりはどうしようもないんだ。ここに長くいればそれだけ、他の町で魔族の被害が生まれるだろう。それは、君だってわかっているはずだよ」


 レヴィとアルの言葉を聞いて、ライナーは控えめに肩を落とした。四人になるべく気取られないように。本当なら膝をつきたいだろう。地に両手をついて、うつむきたいだろう。でもライナーは、毅然とした表情を崩さないまま、力を込めた肩を少し落としただけだった。


「そう、ですね。無理を言ってすみません。どうぞ、食糧や薬も、ここで補給していってください。ここからシュトルツまでは、まだ三日ほどありますから」


 無理に笑顔を作りこちらを気遣う青年の心は、ラウルにはまだ複雑すぎてよくわからなかった。

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