第13話「対立」


 獣道をたどり、街道を目指す。しかしシュトルツの隠れ家に向かった時と比べ、四人の足取りは重かった。魔族の存在が判明したことにより、行きよりも警戒を厳にしているというのもある。が、一番の原因は先頭を歩くラウルの動きの悪さにあった。


「……っラウル」


 我慢できないというように、舌打ち交じりの声が後ろから聞こえる。自分の行動に自覚のあるラウルはびくっと肩を震わせた。


「な、なに? フリーダ」

「なに、じゃない。わざとやってんならすぐにやめなさい。このままじゃ道に出る前に日が暮れるわ」


 口をついて出そうになった「でも……」という短い言葉を、ラウルは自分でも気づかないうちに飲み込んでいた。


 フリーダも、ラウルがなぜこんな行動をとっているのか想像はついている。人間ならば誰もが通る、インスタントに出来上がってしまう同情と感情に流された結果だ。


 フリーダはそれを否定するつもりはない。むしろよく理解できる。それゆえに苛立つ。自分が振り切ったはずの葛藤を目の前でいつまでも引きずられていれば苛立って当然だ。またそれを引きずっているのがラウルだというのも、フリーダの苛立ちを加速させていた。


「始まって間もない旅で、もう二日も遅れが出てる。これじゃあフォアンシュタットについた時、教会に何言われるか分かったものじゃないわ。私はあいつらの小言が死ぬほど嫌いなのよ」


 吐き捨てるようにそう言ったフリーダ。その言葉に三人の足は完全に止まってしまった。それほどまでに、今のフリーダの言葉は「らしく」なかった。


「なあ聖女様サマよ」


 レヴィはあえてフリーダを挑発するように呼び掛ける。


「俺が今、大恩あるシュトルツを見捨てる形でお前について行ってんのは、お前の言葉が正しいと思ったからだ」


 いつものような、少し大げさなおどけた声音と口調。だがその瞳はこれ以上ないほどに冷たく見えた。


「一日でも早くこの旅を終わらせる。それが結果的に多くの人間を救う。ああ間違っちゃいねえ。教会らしい正しいやり方だ。だが、もしお前の本心がさっき言った私情まみれの八つ当たりなら……」


 一瞬、ほんの一瞬だ。


「俺はこのパーティから抜けさせてもらう」


 レヴィから放たれたのは、確かな殺気だった。


「レヴィ……」

「アルもラウルも、説得しようなんて考えるなよ。それにお前らだって思ったはずだ。人を救うために人を見殺しにするのと、この聖女サマのご機嫌伺いで見殺しにするとじゃあ意味が違う」


 吐き捨てるように言うレヴィに、今度はフリーダが殺意を向ける。


「このパーティを抜ける。その意味、分かって言っているの?」


 レヴィは本来、お尋ね者だ。それも聖都の安寧を脅かしかねないと危惧されている、いわば重罪人。この旅に同行しているからこそ、そうした枷から自由になれた。パーティから抜けると言うことは、再び追われる身になることを意味している。いや、それどころか――。


「私が、教会の聖女が、危険分子を見逃すとでも思っているの」

「っ」


 膨れ上がる殺気。


 今まで喧嘩じみたことは何度もしてきたが、本気の殺意をぶつけられたことは無かった。この世界におけるおおよその強さは、そのものの持つ魔力量で量ることができる。微塵も魔力を持たない聖女に「気圧されている」現状に、レヴィは俄かに冷や汗をかいた。


「はっ」


 が、その程度で自分の言葉を取り下げるレヴィではない。


「教会のこと毛嫌いしている割に、ずいぶんといい子ちゃんだなぁ、え? 聖女サマよ」


 あからさまな挑発。だがそれにフリーダが答えることは無い。それがフリーダの冷静さから来る反応なのか、それとも図星をつかれた故のだんまりなのか。


 レヴィは後者と判断した。


「これまでさんざん教会の文句言ってたやつが、いざその場から離れれば急にご機嫌取りで大忙しかよ。滑稽だな」

「……っ」


 重ねられた挑発に、フリーダは思わず唇をかむ。


 つまり――表情に出してしまった。


 レヴィは、いや、レヴィだけじゃない。アルもラウルも今の一瞬だけで理解してしまった。フリーダが下した判断の、その基準を。人族を救うためではなく、教会の指示を全うするため。この二つは同じように見えて、その本質はまるで違った。


「あんた……!」

「なんだよ、否定できるならしてみたらどうだ」

「あんたは、何も知らないからそんなことが言えるのよ……っ」


 苦し紛れに出た言葉は、どこか負け惜しみじみていた。


「ああそうかい、無知で悪ぅございましたね。けどな、ちったぁ考えたらどうだ? てめえのその判断で、一体どれだけの命切り捨てる気だ」

「レヴィ」

「黙ってろよ、アル」


 レヴィの言葉にあまりにも大きな棘を感じたアルも、らしくなく真剣なレヴィに気圧されて口を噤む。


「さっきも言ったがな、俺は判断そのものが間違ってるなんて言う気はねぇ。多数を守るために少数を切り捨てる、それを決断できるのはむしろすげえことだとも思う。けどな――今のこいつはてめぇの感情に任せて命を切り捨てようとしてやがる。それも、自分勝手な弱さで、だ」


 既に殺気を失っているフリーダに、レヴィは容赦なく言葉を叩きつけた。


「他人を守るためか、自分を守るためか、結果として同じ判断をしたとしても、それとこれとじゃ大違いだぜ」


 認めたくないことだったが、フリーダにとってレヴィの言葉はまさしく正論だった。


「レヴィ、君の言いたいことはわかるし、さっきのフリーダの判断には僕も思うところはある。けどね……」


 殺気も、威圧感も、負け惜しみすらも言えないフリーダを一瞥し、


「これは言い過ぎだ」


 咎めるようなアルの視線に、レヴィも一瞬だけ気まずそうに目を逸らす、がすぐに険のある表情が戻ってきた。


「お前がこいつをかばうのか。今回も、フルーフ・ケイオスの時だって、教会の対応に一番思うところがあるのは、お前のはずだぜ?」

「僕だって教会のやり方には賛同できない」


 アルの言葉に「ほらな」と続けようとするレヴィ。だが、


「でも、納得はしている」


 その同調はできずに終わる。


「確かに、僕の故郷は教会から最初に切り捨てられた。個人的には恨みも憎しみも、ないとは言えない。けど、さっきレヴィも言ったじゃないか。その判断を間違いではないと思う自分もいる。それに見方を変えれば、フルーフ・ケイオスの一番の被害者は、聖女だ」


 憐憫にも似た顔をするアルに、レヴィは今度こそ目を背けた。けれどその口を閉じようとはしない。


「あの教会が聖女ってもんをどんな風に扱ったかなんて、俺は知らねぇ。つーか知りたくもねぇ。想像するのだって、ごめんなくらいだ。けど、聖女のトラウマ(ソレ)と目の前の命(コレ)とは関係ねぇだろ」


 今度はレヴィが、負け惜しみのようにそうつぶやく。負け惜しみにすら正当性を持たせるあたり、本当によく舌の回るやつだとアルはひそかに苦笑した。


「ただな、俺は本気だぜ。こいつがこんなやり方を続けるっつーんだったら、俺はすぐにでもパーティを抜ける。どちらにせよ、司令塔がこんなにもろいんじゃあ命がいくつあっても足りやしねぇ」


 先ほどから何の反論もしてこないフリーダに、追い打ちをかけるようにレヴィはそう吐き捨てた。


 フリーダは、何も言い返せなかった。先ほどレヴィに図星をつかれた時点で、わかってしまったのだ。自分自身の矛盾する言動に、足りない覚悟に、弱さに。そんな状態で正論を叩きつけられれば、口を開くことなどできなかった。振り払ったはずの葛藤? お笑い草だ、フリーダは自らの意思で切り捨てる判断を下したわけではない。教会のやり方に従う形で、無理やりにでも飲み込んでいるようなふりをして、ただただ長いものに巻かれる楽な道を選んだだけだ。


 それに、フリーダは気づいていた。レヴィがあえて触れてこなかっただろう、自分自身の弱点に。


 それは、プライドの高いフリーダが最も認めたくないことであり、もっとも触れてほしくなかったこと。そういう意味ではレヴィよりむしろアルのほうが、フリーダを庇っているように見せて、その弱点をいやらしくつついていたと言えるだろう。


 精神に落ちた染みは、決して消えることは無い。


 教会に反抗的であり、従順でもある。


 嫌忌しているが、その行動は常に教会の目的に沿っていた。


 誰の目にも明らかだった。忌避しつつも求めには応じ、反抗的な態度を取っていても、決して敵対はしなかった。


 教会から離れた旅のさなかであっても、



 フリーダは、恐怖という籠に捕らわれた、一羽の小鳥でしかないのだ。



 わかりきっていたことだ。ただ、認めたくなかった。自分が、教会を恐れているなど。


 フリーダは天を仰ぐ。こんな言い争いで時間を食うなら、いっそあの村を助けておけばよかったかと、そんなことすら思った。そうすれば、この弱さと向き合うことも先延ばしに出来たのに、と。


 仮定の話に意味は無い。わかりやすい現実逃避だった。


 もっと隠し通せると思っていた。他人にも、自分にも。それどころか、教会から離れて初めて気づいたのだ。自分がこれほどまでに教会を恐れているという、認めがたい現実に。


 まるで子供だと、フリーダは自嘲気味に嗤った。


 家出をしたは良いが、途中で怒られないか不安になってしまう子供、それが今のフリーダだった。


 もう、今のフリーダにリーダーとしての器は無い。無論、聖法術を使えば脅迫としての効果はあるだろう。だがそんな方法は論外だ。意地を張ってレヴィをパーティから追い出しても、逆に自分だけで旅を続けても、そんな無謀が長く続かないことはわかりきっている。


 かといって、今さら意見を変えてシュトルツに戻ったとしても、それはその場しのぎにしかならない。フリーダの弱さも、レヴィとの確執も、何も解決はしない。


 結論を先送りせず、かつ旅を続ける方法。今のフリーダには一つしか思い浮かばなかった。


 自分一人だけが、パーティから抜ける。


 わだかまりなく、戦力を残しつつ旅を続けるにはこの方法しかなかった。結果として、フリーダが最も恐れる教会へとひとり戻ることになる。


「それも、ひとつのけじめね……」


 フリーダが弱さを克服できたのなら、また旅に同行できる可能性もあるだろう。そう楽観的な振りをする。実際は早々に失敗したフリーダにそんなチャンスが回ってくるとは、到底考えられなかった。


 はぁ、とため息をひとつ。


 フリーダが己の意思を伝えようとした、その時だった。


「なんなんだよ――さっきから」


 ずっと黙りこくっていたラウルの声。その声は――



「これ以上フリーダいじめんなら、レヴィでもブッとばすぞ!!」



 これ以上ないほど純粋な、『怒り』でできていた。

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