第14話「目指す場所」


「ラウル……?」


 三人とも、ラウルが見せた怒りに困惑を隠せずにいた。フリーダは自身が糾弾されても仕方のない判断をしたと自覚している。シュトルツを見捨てるという判断は、むしろラウルにとっても受け入れがたい判断だっただろう。レヴィと共にフリーダを責めたとしてもおかしくない。



 だというのに、ラウルの怒りはフリーダではなくレヴィへと向いていた。

「おいわかってんのか!? こいつは教会を言い訳にしてシュトルツを見捨てようとしたんだぞ!」

「わかってる! でも、フリーダがそうしなきゃいけないって言うならそれは正しいんだ! だって、フリーダは間違ったこと言わねぇ!」


 ラウルの叫ぶ理由には理屈も何もない。ただの感情で声を上げているだけだ。


「なっ、馬鹿かてめぇは! 現に間違ったこと言ってんだよこの聖女は! 自分が教会に睨まれんのが怖ぇからって……」

「でも、それでもフリーダは間違わねぇんだ! だって――」


 しかしその言葉のすべては、ただ一つの感情。

「フリーダはおれのこと助けてくれたんだ。だから、フリーダは絶対に間違わねぇ」


 フリーダへの盲目的な信頼でできていた。


 余りにも愚直で、何も知らなさすぎるその言葉を、否定することは簡単だ。ただ、その言葉はラウルの剣幕、そして必死さがなせるものか、否定させないという意思を感じさせた。


「……っ」


 レヴィも、アルも言葉に詰まる。ふたりとも、知っている。ラウルにとってフリーダがどんな存在なのか。それはこの世界に誕生してたった三年しかたっていない、まだまだ子供の勇者にとって、唯一と言ってもいい寄る辺。


 教会の道具でしかなかった勇者をラウルというひとりの人間にした。周囲から勇者としてのふるまいを求められるラウルにとっては、フリーダこそが勇者のように映ったのかもしれない。


 だからこその言葉。フリーダは決して間違わないという、ある意味で今のフリーダにとっては残酷すぎる信頼。


 肯定などもちろんできない。だが、簡単に否定するわけにはいかないことくらいレヴィにも分かった。フリーダを否定することは、ラウルにとってあまりにも大きすぎるのだ。


「っけどなァ、ラウ――」

「まって」


 頭を掻きながら口を開くレヴィをアルが素早く制する。止めなければレヴィの口から出たのは遠回しな否定の言葉だったろう。今のラウルにとって、フリーダを否定されるのは自分の世界すべてを否定されることと同義だ。


「ラウル」

「……なに」


 ラウルは基本的な常識や自制心は見た目相応のものを持っている。見た目にそぐわないのはその能力と、何よりもアイデンティティ自分が自分である証だ。ラウルが今、素直に人族を救う旅に同行しているのは、言ってしまえば偶然の産物だと、アルはそう考えている。むしろラウルが現れた時の話教会の対応を聞く限りでは、よく人族に敵対しないでいてくれたと胸をなでおろすほどだ。


 その偶然に誰よりも貢献しているのは間違いなくフリーダだ。そのフリーダを否定する、それは最悪の場合、この場でラウル――人族の救世主と敵対する可能性を示唆している。


「フリーダは、シュトルツを見捨てようとしている。でも、それそのものは間違いとも言い切れない。今の僕たちにとっては一つの村を救うより、旅の終点に早くたどり着くことの方が大切だからだ」

「うん……、わかってる」


 落ち着きのある声で言い聞かせるアルに、ラウルの声が小さくなる。この言い争いが始まる前、シュトルツのことを気にかけて移動速度を落としてしまったことを気にしているのだろう。


「安心して。誰もラウルを責めはしない。むしろここで迷うことは人として大切なことだ。ラウルは自分でもいろいろ考えて、それでシュトルツのことが気になってしまったんだろう?」


 ラウルが無言で頷く。その様はまるで悪いことをしたのがばれた子供のようで、アルの瞳は自然と優しさにあふれた。――同時に、その口元は悔しさに引き締まる。


「フリーダは間違わない、と。ラウルはそう言ったね。もしフリーダの言ったことがラウル自身の思いと違っても、それでもフリーダの方が正しいと、そう思うかい?」

「え? それは当たり前じゃん。だって、フリーダがそう言ったんだから」


 これまでの、どこか自信のない反応とは違う、はっきりとした答え。フリーダに対しての気持ちになったとたんに、ラウルは逆に何を当たり前のことを聞いているのか、といった反応を見せた。率直に、危ういと感じる。自分の意思を自覚しながらも、他人にその判断すべてをゆだねてしまう今のラウルの在り方は、純粋すぎるがゆえにどこへでも向かえてしまう。今ラウルがここにいるのは、フリーダがたまたま人族側の人間だったからに過ぎない。


 表に出さないよう、アルはひそかにため息をついた。


 ――ラウルの考え方はこのパーティにとって大きな問題だが、今はそれを目の前で起きている問題を解決することに利用しよう。


 すぐさまそんな思考をしてしまう自分が、アルにはひどく歪んで思えた。


「ラウル、そういうときは「フリーダは間違わない」じゃなくてね、もっと別の言い方があるんだ」


 なんだかよくわからない、という顔をするラウルに、今度こそ顔をほころばせたアルは言った。どうにかしてこの諍いを収める。それが目的であることに変わりはないが、それでもラウルの純粋さは得難いものだ。なら、ラウルが今感じている感情を素直に言葉に表してほしい。この未成熟な勇者の最も近くにいる大人の一人として、それは偽らざる本心でもあった。


「たとえ間違っていたとしても、フリーダを信じている。きっとラウルはそう言いたかったんだと思うよ」

「――信じ……る?」


 フリーダを絶対視しているラウルにとって、信じるなんて言葉はあまりにも当たり前すぎて抜け落ちている。だからこそ、ラウルはシュトルツを気にかけてしまった自分の行動を「悪かったもの」としてとらえてしまう。それは人間としてあまりにも不自然な考え方だ。


 この旅はあくまでもフリーダとラウルを中心としたパーティだ。フリーダが己の弱さを自覚した今、盲目的なラウルの信頼は骨組みの揺らぎに直結する。ならばしっかりと、ラウルがフリーダに寄せている信頼を自覚させることが必要だ。アルはこの短い間でそう考えた。


 ラウルが自分で考えたうえで、それでもフリーダを信じるのなら、それは思考の放棄ではなくラウルの意思だ。そしてラウルのそうした考えがフリーダに伝われば――。


「聞いた通りだよ、フリーダ。君はラウルの信頼を受けてなお、そんな背中を見せ続けるのかい?」


 この、誰よりも誇り高い聖女がそんな自分を、そんな自分を見せ続ける現状を、良しとするはずがない。信頼には応えたいと思ってしまうのが人間の心だ。それが憎からず思っている相手から寄せられているのならなおのこと。


 ラウルが怒りを見せてからずっと、フリーダは驚いたような顔でラウルの方を見続けていた。いや、驚きと言うよりは呆れと言うべきかもしれない。何を言っているんだこの馬鹿はと、心底呆れ返っているからこそ、その言葉が真実なのだと何よりも理解できる。


 そして何より、フリーダという少女は人並みの幸福に飢えている。それは辺境の地で一般的な家庭を築き生きてきたアルにしかわからないことだった。


 言わずもがな、このパーティにいる他の三人は普通の人間としての生き方を知らない。勇者であるラウルと聖女のフリーダは当然として、レヴィも普通の人間とはかけ離れた生活を送ってきた。人族を救い平和を取り戻すというのはこの旅の最終目標だが、その「幸せ」の具体的な形を知っているのはアルフリードだけなのだ。そのアルにしても、最悪の形でその幸せを奪われている。


 フリーダはその人並みな幸せを求めることはしないだろう。それでも、誰かがその幸せを求めた時、それを手伝い、応援できる人間であるはずだ。この旅の目的は、魔族を滅ぼすことではなく、人族を幸せにすることなのだから。それがわからないほど、フリーダは自分を見失っていないはずだ。


「はぁ」


 ひとつ、大きな息を吐く。


 そのまま口を開く勢いをつけたように、フリーダは話し始めた。


「戦い以外であんたに助けられることなんて、ないと思っていたのにね」


 自嘲気味の笑みを浮かべ、ラウルと、そしてレヴィを見る。


「ラウル。指示は変更よ。シュトルツまで最短ルートで向かう。道中に敵がいたら殲滅する」


 その言葉に、ラウルの表情がそれまでの思いつめたものからぱっと晴れる。レヴィも呆れたような表情を見せてはいるが、その口の端がにやけているのは誰の目にも明らかだ。


「レヴィ、悪かったわ。確かに私は腑抜けていた」


 フリーダの素直な謝罪に一瞬だけ意外そうな表情をするレヴィだったが、すぐさま発せられた「ただし」という言葉に、その表情はピキッと音を立てたように固まった。


「私を焚きつけたからには、きちんと責任は取ってもらう。今からあんたたちは、教会の指示で人族を救う勇者パーティじゃない。教会の後ろ盾を利用して自分たちのやりたいことを優先する、ただの自分勝手な集団に成り下がってもらうわ」

「一応本物の勇者パーティだってのに、ひでぇ詐欺集団みてえな言い草だな」

「まあ、スタンスとしては否定しきれないのが辛いところだね」


 取り繕うことをやめた、開き直った物言いに、レヴィもアルも呆れを隠そうともしなかった。自分の感情をさらけ出したフリーダに対し、そんな遠慮は無用だった。


「えっと、とりあえず、シュトルツの人たちは助けてもいいんだよな?」


 いまいちことの流れを把握できていないラウルは、とりあえず目先のことだけを確認する。今のラウルにとって一番重要なのはパーティのみんなとフリーダが仲直りすることで、そもそも仲違いした理由はシュトルツの村を救うかどうかという話だった、と認識している。そんなことを言えば、レヴィあたりは「そんな簡単な話じゃなかっただろうが!」と怒鳴りそうだが、感情の話をしなければこの話はそもそもこれくらい簡単な問題だ。


 ラウルにとってはそのくらいの認識でいいと、フリーダも、アルも思っていた。


「ああ、そうさラウル。教会からすれば早く封印の地まで行って、さくっと問題を解決してほしいだろうけどね。僕たちは自分のやりたいようにこの旅を進める。たった今、そう決めたのさ」


 かみ砕いたアルの説明に、ラウルは顔をほころばせた。


「なら、今まで通りだな!」


 そんな何気なく発せられたラウルの言葉に、三人は顔を見合わせて苦笑するのだった。

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