第17話「どうしようもない聖女」


 それだけ言って、ようやくフリーダは魔族の方へと向き直った。聖剣を地面に突き立て、自身は丸腰となる。武器を置いたことに魔族が疑問の表情を見せるが、フリーダの武器も血の戦闘しか見たことがない魔族の目には、まるでそれがチャンスのように映った。


「おいおい、説教とはまあ随分と教会らしいが、言ってる内容がちと物騒だぜ?」


 調子づいたように、魔族が揚揚としゃべりだす。


「少しばかり剣が上手いからって調子に乗ったなぁ。え? 聖女とやらよ。魔法も使えねぇ聖女ごときが、武器もなしで俺らに勝てると思ってんじゃねぇ!」


 確かにフリーダの操る聖剣は脅威だ。だが聖剣はあくまでも勇者の武器。聖剣は持ち主によってその形状を変える。それは誰にとっても最適な武器となる、と言う意味ではない。その特性はむしろその逆、強力な武器の使用者を制限するためにある。


 その証に、聖剣はレヴィが持てば頼りないだけの杖に、アルが持てば草刈りすらできないようななまくらな鎌に成り下がった。勇者レナード以来、だれも聖剣を手に戦わなかったのは聖剣が封印されていたからでも、所有者を選んでいたからでもない。単純に、聖剣が弱すぎて使われていなかっただけなのだ。


 それが、勇者であるラウルが手に取った時は当然として、フリーダが手にした時もその姿を強力な剣に変えた。それは教会にとってもうれしい、大きな誤算だった。ただでさえ兵器として育ててきた聖女が、聖剣まで使えるようになったのだから。


「私の前で教会の名前を出さないで。吐き気がするわ」


 フリーダが魔族に向かって走り出す。


 そこからはもう、戦闘ではなく蹂躙だ。


 丸腰のフリーダに襲い掛かる魔族たち。手に持った凶悪な刃物をその柔肌に突き立てようと躍起になる。魔法による炎で消し炭にしようと詠唱を始める。だが、そのどれもがフリーダには届かない。


 残る魔族の数はおよそ二○。


 もう一度言う。それは戦闘ではなく蹂躙だった。


「随分とお粗末ね。野良の魔族じゃこの程度かしら」


 当たらなければ意味はないとばかりに、数多の攻撃を回避する。ナイフの腹を叩き折り、あるいは相手の手首もろとも捻り上げ、近付いた者から戦闘不能にしてゆく。敵の攻撃を受け流し、別の攻撃にぶつけ相殺する。それは戦いと言うよりは舞のようで、見るものに戦闘中であることを忘れさせた。


「このっ……、接近戦はダメだ! 囲んで集中砲火しろ!」


 魔族のリーダーが支持を飛ばす。魔王軍でもない野良の魔族に結束などないが、フリーダと言う共通の敵を前にし、盗賊まがいの魔族たちがその時だけの連携を見せる。


炎の魔弾クゥゲル・デス・フォイエ

支えとなる追い風アンテルメッツォ・ラック・ウィンド

燃え広がる炎の渦ヴァーヴィル・デス・フォイエ

刃となる、目に見えぬ一陣の風キリング・フォン・ウィンド ニヒト・ジーヘ


 一人の魔族が放った炎の魔法が、追い風となる風系統の魔法を受けてその範囲を広げて襲い掛かる。目の前を埋め尽くすほどの範囲を誇る炎の嵐に、さらに風による見えない刃が紛れ込む。


「……っ」


 フリーダはとっさに背後にいるアルとラウルに目配せをする。二人が頷いたのを確認し、素早く回避行動に入った。


 どれだけ素早く移動できたとしても、空間を覆いつくすほどの炎からは逃げられはしない。仮に炎に耐えきることが出来たとしても、風の刃はフリーダの細い体などたやすく切り裂くだろう。無論、聖法術があれば、魔力の塊である魔法を打ち消すことは可能だ。だがフリーダはあえてその方法をとらなかった。


「攻撃が当たらない相手には避けられないほど大きな攻撃、ね。その単純な思考回路が気に入らないわ」


 フリーダは足元に転がる一本のナイフを手に取り、それを魔法を放つ魔族向けて投擲した。


「馬鹿が! そんなナイフでこの規模の魔法を突破できるわけが――」

「ぐァっ」


 すぐに魔族のうめき声が聞こえ、魔法の爆炎が一瞬だけ揺らめく。そのすきを逃さずフリーダは、すべての魔法を避けながら一瞬で魔族に詰め寄り、魔法を使う魔族たちを一撃で落とす。


「ばかな――一体何をした!!?」

「馬鹿はあんたよ。規模がデカければそれだけ魔法にはムラが出る。魔法の中心が私の頭を狙っているなら当然、魔力が最も薄いのはその足元」

「っ!?」


 魔族のリーダーが慌てたように、先ほどフリーダに落とされた魔族を見る、と、ひとりの足首に深々と一本のナイフが突き刺さっていた。


「大きければ強いと思うのは五百年前から変わってないみたいね」


 魔力の高い魔族は規模と威力の大きな魔法に頼りがちになる。それは過去の大戦からずっと変わらない、人族が魔族に付け入る大きな隙だ。


 接近戦はもちろん、本来有利なはずの魔法による遠距離戦ですら、寄せ集めの魔族ではフリーダひとりの足元にも及ばない。その事実を前に、一時は足並みをそろえた魔族もまたがむしゃらな戦闘へと戻っていく。


 そうなってしまえば、もうフリーダに傷一つ負わすことはできない。


「ふぅ」


 ひとつ、ため息をつくころには――。


「何なんだ……」


 たったひとり、丸腰で、村を壊滅させるほどの魔族を、一人残らず、戦闘不能にしていた。


 手遅れになってからようやく魔族は気付く。フリーダの強さは聖法術でも聖剣でもなく、「何でもできる」という実に単純な強さだったのだ、と。


「何なんだ、お前は――っ!」


 魔族のリーダーの叫び。シュトルツ周辺の魔族、魔獣を束ね、ゆくゆくは魔王軍に取り入ろうとしていた男は、自らの計画を台無しにした一人の少女にそう、問うた。


「言わなかったかしら」


 フリーダは答える。


「私はフリーダ。世界平和よりも自分の都合を優先する、どうしようもない聖女よ」


 世界平和、そんな誰もが鼻で笑う言葉を、フリーダは大まじめに口にする。本当にその世界平和を目指すのなら、シュトルツの村人は見捨てなければならない。だがフリーダはそうしないと決断した。正確には――させてもらった。


「こういうの、なんてゆーんだっけ。ツンデレ?」

「こら、ラウル。レヴィみたいなこと言うのやめなさい。それにツンデレは的確過ぎて逆に駄目だ。こういう時は天邪鬼って言うんだよ」

「あまのじゃく?」

「そう、素直になれない人のこと」

「あんたら後で覚悟しときなさいよ」


 フリーダに出番をすべて取られたラウルとアルが後ろで好き勝手言っている中、守られている青年と攻撃されている魔族のリーダーは、全くと言っていいほど同じ表情をしていた。


 あっけなく捕まり、命を脅かされた青年。世界を救うと大真面目で言う年下の聖女。その言葉にかけらも嘘がないことを信じさせられるほどの、圧倒的な強さ。


 世界平和と言うバカみたいな理想を掲げ、聖剣も、聖法術も、聖女に許された特別な力を一切使わずに、ただの人間としてシュトルツの村人を守り切ったフリーダ。その単純な強さと単純な目的は青年に、復讐のための戦いを諦めさせるには十分だった。


「で、どうする? こいつら全員、まだ生きてはいるけど?」


 答えなどすでに分かり切っているだろう。それでもフリーダは青年に問う。


 その復讐を続けるのか、と。


 ……青年は、ただゆっくりと首を振った。


「そう」


 青年の答えを見届けたフリーダは、唱え始める。


「求めるは魂の癒し。我が身、我が心に宿りし聖なる力よ、魔に侵されし者に浄化の光を捧げ給え」


 消耗の烈しい聖法術を今使うのか、と、薄青い光に包まれるフリーダを見てラウルはそう感じた。だが見ればアルもフリーダも、まるで今使うのが当然というような顔をしている。ひとり疎外感を覚えたラウルはこっそりとアルに耳打ちする、と、


「復讐をやめたばかりの人間に、わざわざ血なまぐさいところを見せる必要はないだろう?」


 アルは当たり前にそう答える。この場にいる魔族全員を始末するとなれば、相当な量の血を見ることになる。だが聖法術であれば、その結果は魔族の消滅。いったいどちらが本質的に残酷なのかはわからないが、戦いに触れてこなかったものが見るのなら、聖法術による消滅の方が幾分ましだろう。せっかく、復讐と言う道から離れられたのだからなおさらだ。


「ふーん。そういうもんか」


 ラウルには、よくわからない。ふたつの手段のうち、どちらを使うのか。それを決めるにはそれぞれの基準が必要だ。何を優先するのか。善悪か、苦楽か、長短か、それくらいでしかラウルはまだ判断ができない。


「そういうものだよ、こういうときはね」


 ラウルがいまいち納得していないことは、当然アルもわかっている。だが、その基準を定めるのは人それぞれだ。誰かが口を出していいことではない。この場で唯一口に出せることがあるとすれば、それは――。


「どうしてフリーダがそこまで面倒なことをするのか、考えてみてもいいかもね」


 ラウルのフリーダに対する絶対的な信頼。それを手助けする言葉くらいだろう。


「『すべては根源に還るディ・アメイジグ・フォルツェ・アッレ』」


 詠唱が完成する。


 ラウルとアルは素早くフリーダの背後に位置取り、聖法術の範囲から逃れるが、それ以外の魔族は全員、柔らかな青い光にのまれ、その姿を消してゆく。


 聖法術・根源は、準備時間が長く効果もそれほど強いものではない。そのため戦闘ではなく、こうした後処理にしか使うことがない。そして、最も相手に与える苦痛が少ない術だと言われている。戦闘向きの聖法術が消滅なら、この術は浄化だと言える、とフリーダはそう教わった。今にして思えば、教会お得意の言葉によるおためごかしにすぎないのだが――浄化だろうが消滅だろうが、相手に待ち受けているのがただの死であることに違いはない。それでも、こういう場合ならこの術を使うべきだと、フリーダはそう思っていた。


「そっちも終わったか――ってうぉえ!!!」


 なお、奥の避難場所から戻ってきたレヴィが聖法術に巻き込まれそうになったのは言うまでもない。


「ちっ」

「今舌打ちしたかてめぇ!」

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