第20話「フォアンシュタットの生活事情」
「あんたたちのおかげで助かった、感謝するよ」
そう言って心ばかりのもてなしをしてくれているのは、先ほど助けた教会の騎士や魔法師たち……ではなく、門での一部始終を見ていた宿屋の女将さんだった。
「手助けしてやったのに礼の一つも無いたぁ、フォアンシュタットの教会はどうなってんだ?」
「まあねえ、ここが今も平穏に暮らせているのは、ここの司祭様のおかげだからねぇ。みんな教会の人たちには頭が上がんないのさ」
文句半分、質問半分のレヴィに、宿の女将も苦笑交じりだ。
「教会が太刀打ちできなかった、なんて、簡単に認めるわけにはいかないからね。だから、命の恩人を歓待だってできない。まったく、器の小さいことだよ」
「なるほど、自給自足の方向にかじを切って住民をこれまで支えてきたのは、町の人々にとっては教会の功績になるものね。それを通りすがりの旅人に助けられるわけにはいかない、と」
器が小さいと言えばそうだが、上下関係を明確にしておくのはこの閉じられた世界では必須の条件だ。あの教会騎士と魔導士たちは、おそらくその司祭に状況を報告しに行ったのだろう。
「そうさね。もっとも、そのやり方に不満があるわけじゃない。教会は良く面倒を見てくれているよ。親を失った孤児たちも、教会が引き取って世話をしているみたいだし」
偶然とはいえ、四人にとって教会に行く前に市民の生活の様子を見られたのは幸いだった。活気ある豊かな暮らしとは口が裂けても言えないが、最低限度の暮らしはできているように見受けられる。
「……腹減ったな」
「ラウル、話は聞いていたでしょ。我慢なさい」
フォアンシュタットの現状で一番の問題は食料だろう。シュトルツのように周りが山に囲まれているなら食料も豊富だろうが、商業で栄えたフォアンシュタットではそうはいかない。おそらくは食料も教会が主導権を握る配給制だ。
「わかってるけど、でかい街だって聞いてたからうまいもんもあるかと思って期待してたんだよ」
お礼だと言って差し出されたのは燻製された干し肉とパン。それに湯冷ましの水。それでも客人に出せるだけまだましなのだろう。
「ごめんねぇ、昔なら各所の名物が集まるいい場所だったんだけど、今じゃあこれが限界さ。町を救ってくれた英雄に充分なもてなしもできずに、申し訳ない限りだよ」
「ああいや、全然そんなこと気にしないでよ。この燻製肉もうまいしさ!」
頭を下げる女将にあわてて弁明するラウルに、よどんだ空気が少しだけ弛緩する。
「そういやあ、さっきみたいな魔族の襲撃はよくあるのか? 実力はともかく、騎士たちの動きは結構統率が取れてたが」
レヴィが思い出したように問う。それは他の三人も気になっていたことだった。
「いや、ああいう襲ってくる、みたいなことはもうずっとないよ。門も閉めっぱなしだからね。ここの外壁は魔族だってそう簡単に突破できやしないし」
「え、そうなの? それにしては……」
ラウルの言おうとしたことは全員が理解していた。
魔族が現れてから教会が駆け付けるまでの行動があまりにも早く、さらに言えば住民の動揺もかなり少ない。魔族の襲撃、そして撃退が常態化している証と言ってもいいだろう。
女将も言いたいことを悟ったのか、「ああ、なるほどねぇ」と相槌を打つ。
「襲撃はないんだよ。ただ、魔族は毎日のように来るから、もう皆慣れちゃってねぇ」
「魔族が、毎日?」
いったいどういうことだ、そうフリーダが訪ねようとした、その時だった。
――カンカンカン!
「ッ!」
本日二回目の、異常を知らせる警報が町中に響き渡った。
四人が慌てて外門に向かうと、そこにはすでに人だかりができていた。
「さっきも思ったが、こいつはどういうことだ? 普通魔族が出てきたら住民は避難するもんだろ」
「いや、よく見るんだ。野次馬の中心にいる人物、騎士や魔法師じゃない。あれは……」
「司祭ね」
「司祭って、えらい奴のことだろ? 余計になんでだ?」
偉い人間は後方でふんぞり返っているものだと認識しているラウルは、さらに事態が呑み込めずに混乱する。が、フリーダとアルの二人はもう、これがどういう状況なのか理解しているようだった。
「あれは、――なるほどな」
遅れてレヴィも理解する。野次馬に紛れて目に入った光景。それは、教会の司祭が魔族に食料を渡している光景だった。
「な、なんであんなことすんだよ! あれはこの町の人の飯だろ⁉」
「ラウル、黙ってなさい。あんたが腹を立てるのはわかるけど、この方法がこの町の選んだ生き残り方なのよ」
なおも納得のいかなさそうなラウルだったが、魔族と司祭の会話が聞こえ、耳をそばだてる。
「司祭サマよ。今回のはちょっと量が少ないんじゃねぇの?」
「とんでもない、いつも通りの量でございます」
すごんでみせる魔族に、それを平然と受け流す司祭。ひとたび魔族がその牙をむけば、戦うすべを持たない司祭はひとたまりもなくその命を散らすことになるだろう。だが一切魔族にひるむ様子がないのは、このフォアンシュタットという大都市をこれまで治めてきた自負故だろうか。
「へぇ、あくまで白を切るか。いいね、そうでなくっちゃ面白味が無え」
動じない司祭に酷薄な笑みを浮かべた魔族は、指をぽきりと鳴らし、おもむろに貫手の構えを取った。
脅しか? フリーダがそう考えたその瞬間に、貫手は空を割き司祭ののど元に迫る。
「……」
「――っ⁉」
だが、それが司祭の体に傷をつけることはなかった。もともと寸止めのつもりではあったのだろう。フリーダの思った通り、脅しの範疇だった。だが、魔族の貫手は止まったのではない。止められたのだ。
「お前、いい加減にしろよ」
一瞬で魔族と司祭の間に入り込んだ、ラウルの手によって。
貫手を止めたラウルの手に力が籠められる。ぎりぎりと締め上げられる魔族には苦悶の表情が浮かんだ。が、司祭がそれを制する。
「よいのですよ、若人よ」
ラウルの手にそっと司祭の手が重ねられる。何の力もこもっていないその手のひらに、ラウルも自然、力が抜けてしまう。
「ちっ、なんなんだそのガキは……」
解放された腕をさするようにしながら悪態をつく魔族。再びラウルの瞳に闘争心が宿るが、それが解放されるより先に司祭が一歩前に出た。
「食料は約束した通りの量持ってまいりました。もしも納得できないというのなら、私の腕でも持っていけばいい。――もっとも」
そこで言葉を区切った司祭は、初めて威圧ともとれる凄みの利いた声を発した。
「いかに魔族とはいえ数の力にはかないますまい。フォアンシュタットの全住民を相手に、どこまで持ちこたえられるか、見ものですな」
教会の司祭とは思えないほどに目つきを鋭くする。が、今の世界での教会とはむしろ、これだけの胆力を持ち合わせていないと務まらない。
その視線に魔族すらもたじろぎ、後退る。
「ふん、話には聞いていたが小生意気な人族だ。……明日の分も耳をそろえて用意しておけ」
「重々、承知しております」
深々と礼をする司祭を尻目に、魔族はそそくさと食料をもって退散する。力で圧倒的に優る魔族が、あくまでも理性的にふるまい続けた人族に言いくるめられるのは、ラウルにとって初めて目にする光景だった。
「あんたすげえな。見たところそんな強くもないのに――あいたっ!」
ナチュラルに無礼を働くラウルに一発かますフリーダ。
「黙ってなさいって言ったでしょ猪突猛進馬鹿。他所の事情に軽々しく首を突っ込むんじゃないの」
まあまあの威力を持ったその一撃に涙目となるラウル。何気にこの旅に出てからはフリーダからしか攻撃を受けていない気がする。
「この時世に旅のお方とは珍しい。なんとも、情けない姿を見せてしまいましたな」
見慣れぬ旅人の姿に興味を持ったのか、司祭がラウル達四人のもとへとやってくる。
「情けないなんてとんでもない。先ほどの弁舌、お見事でした」
ラウルの無礼を気にした様子もなく柔和な笑みを浮かべる司祭に、勇者パーティ唯一の常識人であるアルフリードが当たり障りのない世辞で返す。
「お恥ずかしい、あのようなやり方でしか魔族と渡り合うこともできない。私たちでは、あなた方のようにはできないのです。そうでしょう、勇者様方」
「えっ」
突然に勇者と呼ばれ、動揺を隠せないラウル。
「気づいていたのね」
「はい。もっとも、勇者様が魔族との間に入ってくださるまでは気づきもしませんでした。ご挨拶がこのような形になってしまったこと、深くお詫び申し上げます」
深々と礼をしようとする司祭を、「結構よ」の一言で制止する。
聖女の身分は教会関係者であれば、フリーダが肩にかけるストラの色と模様を見ればわかる。だがラウルの見た目は魔物狩りを生業とするハンターと遜色ない。つまりこの司祭言う「ラウルが魔族との間に入った時に気づいた」というのは嘘である可能性が高い。最初から野次馬の中にフリーダの姿を見つけ、有事の際には後ろに勇者という力があることを見越して、魔族に対してあのような態度を取ったのだ。
「私たちは旅の途中で立ち寄っただけに過ぎないわ。教会本部への報告と、あとは一晩の宿と物資の補給さえできればそれで充分」
この司祭、人のよさそうな顔をしていてなかなか侮れない。そう評価したフリーダは、フォアンシュタットでの滞在を最低限にすべく本題を切り出した。
「……なんと申しますか、お噂と少々異なりますな、聖女様は」
今まで表舞台に出ていた聖女と、実際に見たフリーダとのギャップに唖然とする司祭。そこで初めて作りものではない、素の表情が現れた気がした。
「あぁ、普通は猫かぶってるときの顔しか知らねえもんな」
フリーダの後ろでぼそりとつぶやくレヴィに容赦ない肘鉄がお見舞いされたのは言うまでもなかった。
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