第8話「シュトルツまでの道」
ところどころに雑草が見える街道。かつては雑草が生える暇もないほど、多くの車輪と足に踏み鳴らされていたのだろう。その地面は岩のように固く踏みしめられ、三年間ろくに整備されていないにもかかわらず、確かな道としてその役割を果たしていた。
「フリーダ、少し相談が」
御者を務める青年、アルフリードが幌のかかった後ろの荷台に向けて声をかける。すると、美しい薄紫の髪をなびかせた少女が荷台から顔を見せた。
「ちょうどいい、わたしも話そうと思っていたところ」
荷台から器用に御者台の隣まで歩み寄った少女、フリーダは、そのままの体勢でアルフリードと話し始めた。
「フォアンシュタットまでは?」
ふたりとも、考えていることは同じだったのだろう。フリーダの問いに、アルフリードは顔をしかめながらも淀みなく答える。
「早くても、あと二日。その間魔族の襲撃がないとも限らないし、実際はもっとかかるだろう」
もともと、アイエルツィアからフォアンシュタットまでは速くとも七日はかかる道のりだ。だがそれは商隊などが小さな村を経由しつつ移動する場合であり、交通量も少なく、寄り道もしないこの旅では、せいぜい五日もあればたどり着くだろうと、フリーダはそのように考えていた。
「予想よりはるかに魔獣の数が多い」
「ええ、個々の強さは大したことなくても、まとまって来られると止まらざるを得ない」
己の認識の甘さをかみしめるように、フリーダは顔をゆがませる。事実、魔獣の存在がここまで厄介だとは思っていなかった。聖女であるフリーダでさえそう感じるのだ。一般的な人族にとってどれほどの脅威となるのか、容易に想像ができた。
「フルーフ・ケイオスの被害はわかっているつもりだったけど、まさかここまでとは……」
フリーダは、人族の現状を理解しているつもりでいた。教会本部には、各地方にある教会支部と連絡が取れる、『
人的被害はもちろん、物資の流通が困難な状況も把握していた。だがそれだけだ。事実を知っているだけでその実態がどんなものであるのかを知ろうとはしていなかった。
「こればかりは仕方がないさ。実際に見なければわからないものはある」
眉間にしわを寄せるフリーダに、アルフリードはそう声をかける。だが、フリーダの表情が晴れることはなかった。
「……人族を救うため、なんて。そんな高尚なことを考えてこの旅に出たわけではなかったけど……意外と愛着があったのね、人族に」
自分の居場所は教会ではない。そう思ったからこそ、フリーダは教皇ルドルフの命を受けこの旅に出ることを良しとした。そうでもなければ、こんな長期で命の保証もない任務など受けるものか。人族の未来なんて知らない。自分の命は、自分のために使うものだ。
旅に出るまでは、確かにそう思っていた。それでも、フリーダが今まで過ごしてきた『聖女』としての生き方は、彼女の意思とは関係なしに人族の未来を考えさせてしまう。
「人族も魔族も、人間であることに変わりはない。私にとって重要なのは、それが敵か味方かというだけ。……そう、思うようにしていたのに」
聖女は慈悲と慈愛を強制される存在だ。その上で、聖法術を扱える唯一の兵器としての側面も併せ持つ。
魔族の力をそぐため、魔力を忌むべきものとして扱った教会の政策の結果なのだろう。魔力の少ないもの同士が子をなし、魔力を多く持つものは教会のため騎士や魔法師となり、危険な任務にその身を投じる。そうして魔力を持つものは不浄なものであると認識を上塗りしてゆき、一部の戦力を除き人々の魔力を薄くしていく。
そんな教会が統治する、歪んだ世の中の申し子が聖女だ。
生まれた時から特別な存在として教会で育ち、人々の希望として笑顔を振りまき、戦いの道具として殺すための技術を磨く。
「……思ったよりずっと、人間だったのね」
それはきっと、だれかに向けて言った言葉ではなかったのだろう。だが、その言葉を聞けたことにアルフリードはどこか、安堵を覚えていた。
元教会騎士であるアルフリードは、とある事情から普通の騎士よりも教会のそう言った裏事情には詳しい。聖女についても一定の情報を得ている。この旅に同行しているのも、教皇からの命令だという以外にも、フリーダが心配だという、おせっかいのような気持ちもあった。
そんなフリーダが、自分のことを『思っていたよりも人間だった』と言ったのだ。それは聖女として望まれる姿ではないのかもしれないけれど、そんなものよりもよほど、大切な姿だろうとアルフリードは思う。
「ふふ」
「なによ、わたしが人族のために悩んでいることが、そんなに面白い?」
思わずこぼれた笑い声に、フリーダが耳ざとく反応する。
「……まあ、生きた魔族を教材にする聖女が何を言っても、説得力は皆無でしょうけどね」
けれど、一人で勝手に納得して矛を収めた。彼女自身、らしくないことを考えているとは思っていた。
「いや、いいんじゃないかな。自分の思うままに悩むのは」
アルフリードはその思いを否定しない。
人族のためを思うのは、フリーダにとってもはや習慣なのだろう。洗脳と言ってもいいかもしれない。けれど、それを同じくらいにフリーダは、人族と魔族を同じ人間だと思おうとしているのだ。
「それに、敵以外はみんな等しく人間、なんて割り切った考え方は、実に聖女らしいと思うよ。もちろん、教皇の描いていたものとは少しばかり違うみたいだけど」
そう言って、アルフリードはフリーダを見上げ、少しだけ悪戯っぽい笑みを浮かべた。
フリーダはその微笑みに、「まあ、それもそうね」と表情を変えずに返す。その声は、先ほどまでよりも少しだけ軽く聞こえた。
「何を考えるにしても、ちゃんと休まなくては考えもまとまらない。フォアンシュタットに入る前に、どこか村に寄ろう。フリーダもその相談をしに来たんだろう?」
「ええ、この先の三差路を左に入って。二時間もすれば村があるはずだから」
「かしこまりました、聖女様」
「あんたも、まあまあいい性格してるわ……」
こんな話をした後でも図太く『聖女』と呼んでくる、そんなアルフリードに、フリーダは何とも言えない視線を向けていた。
「……んあ?」
馬車の揺れが止まったのを感じて、ラウルは荷台から身を起こした。見てみると、一緒に荷台にいたはずのフリーダの姿がなく、視界に入るのはいびきをかいて寝ているレヴィの姿だけだった。幌をめくり、外の様子を見る。やはり馬車は止まっていた。だが目的地であるフォアンシュタットについたというわけでもなさそうだ。
「アルー。 ……あれ、何やってんの?」
「おや、起きたんだね。レヴィはまだ寝ているのかな」
状況を把握しようと御者台のほうへ声をかけると、アルフリードは二頭の馬を近くの木につなげている最中だった。
「うん、いびきかいて寝てるけど……、ここで休憩でもするの?」
「まあそれも含めてかな。ちょっとここを調べたくてね」
そう言って、アルフリードは少し先の方へと視線を向けた。つられるように、ラウルもそちらに顔を向ける。と、そこで初めて今、自分たちのいる場所が、先ほどまで進んでいた街道ではないことに気が付いた。
「なんだ、ここ」
朽ちてボロボロになった、木製の門。何者かに破壊されたであろう塀に、倒壊した家屋。ひとけは全く感じない、廃村だった。
「魔族に、やられたのか?」
荷台を降り、朽ちた門をくぐる。材木はすでに腐敗が進んでおり、こんな状況になってからかなりの時間がたっていることを示していた。魔族に襲われたのならば、おそらく死体も残っているだろう。ラウルはゴクリとつばを飲み込むと、手近な家屋へ向かおうと足を踏み出した。
「ねえアル、ここって何なの?」
「見ての通り、廃村さ」
ラウルの言葉に、アルは村全体を見渡しながら答えた。
「フォアンシュタットとアイエルツィアの間にある、小さな村。街道からもそう離れてなくて、商隊や旅人がよく立ち寄る活気のある村。……だったんだよ」
言われてからよく見てみると、確かに村の規模の割に、倒壊している建物は大きいものが多い。擦り切れて文字は読めないが、看板のようなものもある。きっと宿屋や商店だったのだろう。そう言った建物を中心として、少し外れたところに小さい建物が点在していた。おそらく村人の住居跡だ。
「これ、魔族か魔獣の仕業なの?」
「おそらく魔族だろうね。魔獣がやったにしては、無事な建物が少ない。あまりにも徹底的すぎる」
「……みんな、やられたのか?」
村人の営みを想像し、思わず口に出てしまう。言ってから、答えなんてわかりきっていることに気付いた。
顔を伏せるラウルに、しかしアルは予想外の言葉をかける。
「まだそうと決まったわけじゃないよ。今フリーダが村を調べてるから、ラウルは馬の餌やりをお願いできるかい?」
アルフリードは根拠のない気休めを言うような人間ではない。その性格をよく知っているラウルは、「わかった!」と少しだけ表情を明るくして馬車の元へ戻っていく。
「さて、僕ももう少し調べてみるか……」
「あぁん? ひと眠りしてる間にもう着いたのか? ……って、ここぁ、シュトルツじゃねえか」
アルフリードが廃村へ足を向けようとすると同時に、のんきな声が馬車から聞こえる。その声に、アルフリードの足が一瞬止まった。
「シュトルツ?」
馬の世話をしながらのラウルの問いに、レヴィは何でもないことのように答えていく。
「ああ、フォアンシュタット側にある小さな村で、旅の休憩所みたいなとこさ。最近話聞かねえと思ったが、やっぱりやられてたか……」
馬車がつないである木に背中を預け、遠くを見るように廃村、シュトルツの全体を見たレヴィは、少しばかり寂しそうな声を出した。この荒れ果てた状態を見てもすぐに村の名前が出るあたり、少なくない思い出があるのだろう。そう思ったラウルは、なんと声をかければいいかを悩みながらも口を開く。
「あの――」
「もう一年も前か、宿代と酒代踏み倒して以来だなァ。うん、ありゃあいい酒だった。ベッドの質も良かったな……うん? なんか言ったか?」
「やっぱなんでもないわ」
心配の表情を一瞬で軽蔑に変えたラウルはレヴィに背を向け、一瞬前の自分の思考を鼻で笑った。
「レヴィ、あまりラウルの教育によくない話は聞かせないでよ?」
と、そこへアルフリードが戻ってくる。
「へっ、今さらな話だな。大体あの殺人マシン聖女サマと一緒に教会で暮らしてたんだぜ? そっちのほうがよっぽど教育に悪いだろうよ」
肩をすくめながら、半ば冗談、半ば本気でそんなことを言うレヴィに、アルフリードも一瞬同意しかける。が、背後からちょっとした殺気を感じたので口を閉じておく。
「あん?」
普段ならば同意なり反対なりすぐにしてくるアルフリードが無言なことに、疑問を覚えて顔を上げるレヴィ。すると、
「うおッ!」
ストトトトッと投げナイフが四本ばかり、顔面をかすめて背後の木の幹に突き刺さった。
「何やら不快な会話が聞こえたけれど、気のせいだった?」
「フリーダ!」
アルフリードのさらに後ろから歩いてくるフリーダに、ラウルはすぐに駆け寄っていった。レヴィはその姿を見るなり顔をしかめて、
「っぶねー……。ちょっとでも動いてたら直撃だぞ、あのクソアマ……」
と小声でつぶやく。
「なんだ、当たってなかったの? そりゃ残念ね。無駄口が一つ減ると思ったのに」
言いながらさらに三本のナイフを構えるフリーダに、レヴィは「はいはいはいわたくしが悪うございました」とすぐさま両手を上げて答え、渋々と言った様子でナイフを下ろすフリーダを見て、今度は「なんであれが聞こえんだよ……」と細心の注意を払って愚痴をこぼした。
言わなきゃいいのにと思ったのはアルフリードとラウルだが、これ以上フリーダの機嫌を損ねるのも普通に怖いので心の中にしまっておく。
「それでフリーダ。どうでした?」
少々強引に話を変えたアルフリードに、フリーダは不機嫌な表情のまま「思った通りよ」と答える。そのやり取りを、ラウルは不思議そうな表情で見つめていた。
その疑問に答えるように、アルフリードが口を開く。
「ここの住民は、生きているよ」
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