ウサギ憑きの街へ
ファラ崎士元
【バネ足のサルヴァドール】
Track1 introduction ——双子の復員兵
【加筆年月日XX 双子の復員兵】
戦場で双子の兄を亡くした復員兵。
その心理的外傷は悪化の一途をたどった。
行方不明になる半年前には、兄の幻覚と会話をしている様子が見られた。
また、兄の《首》を探さないと――という旨の言葉をくり返し、夜間の徘徊をする姿が目撃されている。
☾
海のむこうの遠い空では、星が賑やかにきらめいている。ここは明けない夜をくり返す地への入り口だ。
今日この浜辺に流れついた人物は、白いパニエの舞台衣装を着た、ひとりの幼い女の子だった。
ここは暗い。女の子の衣装を飾るボタンやリボンやブローチが、何もない海岸で輝き、目立っている。浅黒い頬には象牙色の砂が、涙の乾いた跡のような形を作って貼りついていた。
その女の子が漂着した知らせを聞き、復員兵は概念の海に訪れたのだった。浜には、軍靴が砂を深くえぐった足跡がついている……それは天上の明かりが届かない、とある街から続いていた。
しばらくの間復員兵は、女の子の衣装の端々を、幽霊のように立ちつくしながら眺めていた。濡れたフリル、しぼんだパニエのすそが、時おりさざ波に触れ、もてあそばれているのを見ていた。
やがて膝をつき、子どもの頬についた砂をそっと払う。
目を細め、横たわる子どもの頬を撫でる。そしてわずかに息を止めてから、女の子の首筋を、潰れんばかりに砂浜へと押しつけた。もう片方の手では額をつかむ。子どもの小さな頭蓋は、大きな男の手で鷲づかみにできる。復員兵は女の子の頭を思い切り引っぱった。
――浜辺には他に誰もいない。ただ、遠いところで何者かがざわめく気配だけがある。
しばらくすると、コルクの栓を抜くのに似た音がして、女の子の頭は外れた。外れたのだ。それは、まるで安いおもちゃの人形が、乱暴にもてあそばれているのと変わらない様子だった。
月と星の明かりをたよりに、復員兵は女の子の頭をもっとよく見てみようとする。潮に濡れた黒髪がはりついた、柔らかそうなまぶたへため息が吹きかかり、細いまつげが小さく揺れる。概念の海にたつ波は本当に静かで、今の復員兵には自らの血潮よりも、儚く、消え入りそうな音に聞こえていた。
復員兵は立ち上がる。そしてさざ波に背をむけ、歩き出す。たったひとつの居場所である、あの月のない街の方へと、小さな女の子の頭を胸に抱えて帰る。 編上の軍靴が砂にまた足跡をつけていく。
少し、高い波が打ちよせる。しかしそれも、さざ波よりも本当に微妙に、勢いがあるかもしれない程度の波だ。
少しだけ復員兵は立ち止まり、振り返る。女の子は頭などあってもなくても同じだったかのように、波打ち際でただ横たわっている。
静かな月の海の水平線は、霧が出ているのだろうか、雨に濡れた手紙のインクさながらに、かすみ、ぼやけていた。
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