【Moon paper】
Track6.introduction ——生けるカメラ
【加筆年月日XX 生けるカメラ】
女は忘れない。何を見ても、何を聞いても。
それは女にとって心地よかった。歪めることのできない真実が、自らの内側に積もっていく。
……あの車体、ナンバー、犯人の顔、来ている服のメーカー、轍の形。
「忘れろ」という命令を聞く。忘れなければ、殺される。
忘れたフリならできる。けれども毎日思い出す、あの銃声は……。
☾
聞こえるのは古い機械が文字を打つ音ばかりだった。
ローテーブルには書類が積もっている。レンズの一つ目に感情は浮かびあがらない。指以外は動かさず、延々と機械を操作しているジェミリラの向かいには宣教師が座っている。
せき止められていた真実が、ようやく記録の結晶へ変わっていく。
時系列、ドロシーのママが主人公の体を保護したこと、主人公の体を取り返そうと奔走するギャラリストに迫ろうと決めた交渉、そのために宣教師から司会者・ジェミリラ・ドロシーに対して提案がされたこと、……
揺るぎない過去となった事実を秘匿にすることは困難で、非生産的である。真実の出力をしている時こそに生きている心地を感じる。ジェミリラという住民はそういう性質をしていた。
スーツのボタンを外す。その下のブラウスの胸元を開ける。胸部には深く大きな穴が空いている。穴の中はインクの壺をのぞきこんだように黒い。半円形の機械を手に取り、その空洞へと沈めていく。機械はえぐれた胸にぴったりと収まる。……ブラウスのボタンを閉めていく。首のストールは、床に着くほどの長さになっていた。
「復員兵が頭を盗んだことを、あなたは推察してしまいました」
「恨みがましい言い方ですね……。知っていること、聞いたこと、目に入ったことが勝手に繋ぎ合わさって理解しただけです。復員兵だって隠す気はなさそうでしたし」
「それをあなたの胸に仕舞っておくことはできないのですね」
「ええ。事実は公開されることで意味を成しますから」
「昔……本当に少しだけですが、あなたを解説者に抜擢できるかもしれないと思ったことがあります。それをしなくてよかった。嫌味ではなく、あなたのためにも」
「そうですね。きっとあたしは誰よりも解説者に向いていません」
何かを解説するにあたっては、膨大な情報の輪郭をとらえ、本質をつかみ、広報のかなう易しい言葉を組みあげる能力こそ必要だ。ジェミリラにできることは、情報の海をそのまま言葉で再構築すること。それも全力では行わない。今はあえてそうしている。記憶を記録に変える体で見える世界は、ひとの半分くらいでちょうどいい。
「宣教師様。あなたは自身の補完のため、ギャラリストを欲していますけど……私は司会者の世界観のままでいいと思いますよ。彼はこの街を限りなく好意的に、やさしく解釈している。それに、全体を把握するという役回りまで買ってくれるのは彼くらいでしょう」
司会者の見る世界は、気が遠くなる量の真実が押し寄せてくるものだ。……ジェミリラの、彼に対する感情は畏怖に近い。もし彼と同じ世界が見えてしまったら、すぐにでも気が狂ってしまうだろう。
「そういう問題ではありませんよ。やはり街はギャラリストに直接解釈をされるべきなのです」
「ギャラリストはあなたを嫌っているのですよ?」
「ええ。しかしそれは、門外漢による解釈の一面が原因でもあるでしょう。ギャラリストの手で私に真意を、模範解答となるメッセージを持たせることができたなら、その時にはきっと……」
ジェミリラは書類をそろえ、ファイルをめくる。開けられたそのページには、データ塔でギャラリストと相談していた際の会話が書き連ねられていた。大したことは書いていない。彼との相談の内容は、住民への唾罵と探し物ごっこばかりだ。その文面には長い長いアンダーバーが引いてあり、脚注には〈下線の部分はギャラリストと、現在は記録のための調査に制限がかけられているジェミリラの発言である。〉とも記してある。……ジェミリラは改めてファイルの最後尾を開き、ローテーブルに散らばる書類を閉じていく。
『みなさあぁん、よく聞いてくださいぃ! 大切なお知らせがふたつもあります――!』
街では司会者のアナウンスが響き始める。
『まずひとつめ! 街に迷い込んだ女の子ですが、ついに街に来たときと同じ……生身の体をそろえてしまいました! 最後の体を預かっていたドロシーの部屋で発見し、それを携えギャラリストとともに、今アジトへと戻ったのです!』
彼の声はいつも通りだった。
『そしてふたつめ! 実は、彼女らが最後の体を見つけられたのは、宣教師様の導きがあったがため! ただしその導きは条件つき! それは……ギャラリスト、君が街の解説者になると約束すること!』
「素晴らしいわ! 今日は最高の日です!」
宣教師は立ち上がった。感極まった声が残響に重なった。
『ついに宣教師様の悲願の達成です! 残念ながら僕からのウサギ礼拝はもうとり行われることがありませんが、……街はその意志が、本来望んだ姿となって……いくのです!』
宣教師は胸に手を当て、消えいくアナウンスに耳を傾けていた。
……ウサギ礼拝とは受け入れた住民たちを、幻想で成立する街の要素となりうる、象徴的な形へと洗練する手段であった。住民たちの心の歪を読みとり、その悲愴を昇華する、月の瞳でもってして。
司会者は、街をユートピアと解釈した。――世界に見捨てられ、世界と決別した者が、それでも留まることのできる街。その形は幻想を失った月世界に建つ、妄執で固めたゴーストタウン。……きっと、もとの世界観はこうではないのだろうと、何人かの住民は気づいている。だが、この街にしか……みんな、居場所はない。
ジェミリラも、自分が街の外では生きていけないと……この信条が、鋭敏さが、記憶力が、外では決して正しくはないものだったはずだと、覚えている。だが、外で自分を傷つけたものが何だったのかは、もう忘れてしまった。この自分からも忘れさせてくれるのだ。それが司会者の定義した街の、ユートピアたる力だった。
……アナウンスの続きはない。あれで終わりのようだった。
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