【化身および空論の檻】
Track5.introduction ——毒食らう鳥
【加筆年月日XX 毒食らう鳥】
東洋から来た二人組のギャングを頭とする組織があった。
しかし互いの信頼関係は揺らいでいく。
ついに頭の片割れが、酒に毒を盛られたと怒り、もうひとりを撃ち殺した。
……はじけ飛ぶ親友の脳をながめながら、故郷の、古い物語にある言葉を思い出す。
両雄並び立たず。巣に雄鳥が二羽は住めぬ。
☾
マンホールの蓋を誰かが叩いていた。明らかに足音ではなかった。蓋の切り欠きに物を引っかけ、こじ開けようとしている音に聞こえたので、下水道は底で待っていた。しかし月光は射しこんでこない。だから様子を見に行った。ヒルの群れが蓋を持ち上げる。
「きゃっ……」
そこにはネイルハンマーを持った主人公の少女がいた。軽い体が尻もちをつく。
「お前か」
「あ、下水道さん、その……」
「用があるなら、飛び下りろ。お前くらいなら大丈夫だ」
主人公の様子はあまり見ずに、それだけ言って、下水道はすぐにマンホールの内側へと引っこむ。
「ええっと、……お邪魔します!」
もっと、ためらうかと思った。怖気づいて帰るかとも思った。
白い小さな紙の少女は、わずかに射しこむ月明かりをまとって、すぐに円い暗闇へとその身を投じてきたのだった。
「あっ……」
そうすると、マンホールのかなり浅い部分で、落下する体は柔らかい足場に受け止められる。少女を乗せたヒルの群れは、エレベーターのように底まで下降していく。
「なかなか、度胸があるじゃないか」
「……うん。大丈夫だって言ってくれたから」
何かのカンがあるのだろうか。もしくは風のない路地裏とはいえ、ひとりで外の空気にさらされている恐怖の方が耐え難かったのかもしれない。底に着くと、下水道は主人公を乗せていたヒルの塊をほどき、汚泥の川へと戻っていく。
「案内をするが、しばし待て。なるべく壁ぎわにいるといい」
「わかった。でも、あんまり遅くならないでね」
白い衣装はこんな暗がりでもよく目立つ。下水道は人型にまとまり、汚いレインコートを引きずって川からはい上がる。主人公の少女は足場へ上ろうとする下水道を、身を乗り出してよく見ようとしていた。顔をそむけても構わないのに、何をしているんだか。第一、悪臭は酷いものだろう。……動かない人形の顔というものは相手にしづらい。どれほどの嫌悪感をこちらへ向けているのか測りづらいからだ。砂利とヘドロの混ざった、重い水滴が足場へ滴る。
「お前の顔には救われるよ。忘れていたが、そう、お前はいい顔だ。……ちょうどよく、ハンマーなんか持ってきたな。それをさし出せ」
「えっ、これなんかどうするの」
「お前は俺の手を握れるのだな? 紙の、挿げ替えできる手を与えられたといっても、それでは無駄遣いというものだ。……手は繋げないからそれを引く。ついてこい」
「そっか。下水道さんって、気がきくのね!」
無理していないか? と聞きそうになったが、そんなことくみ取っても改善してやれはしないから聞かない。主人公の少女はハンマーの、持ち手の方をこちらへ差し出した。あまり長くおしゃべりする気分でもないので、下水道はさっさとそれを握り、歩き始めた。
「しらばっくれるのは得意か?」
「……よく分からない。なにかあるの?」
「いいや。ただ、なるべく上では平静でいてほしいと思っただけだ」
暗黒の中、少女はなんとも無防備についてくる。下水道なら簡単に、軽いその体を突き飛ばし、汚泥へ沈めることだってできるのだということを分かっていないはずがないのに。
靴底に排水のたまった、重い長靴での歩みをとめる。
「手を離す。そこを動くなよ」
ハンマーの持ち手にからめていたヒルをほどき、下水道はまたドブ川へ沈んでいく。癖で、つい無造作に飛び込もうとしてしまったが、それはやめた。けがれた飛沫を散らさないよう、足下からゆっくり水にかえっていった。しばらくして、主人公の足元近くで、オイルランプがゆっくりと灯りだす。これで二度目の招待になるが、今回は居合わせている人物が違う。
「ど、どうして……!」
灯りつつある光源に、まず浮かび上がるのは少女の白く真新しい衣装である。次に見えてくるものは、この空間で横たわるその先客が身に着けている、赤く目立つ羽根飾りのピアスと、彼女を縛る血のにじんだ包帯だった。
主人公はすぐにピトフーイのそばへ寄る。古い衣類やシーツを重ねただけの、ないよりはましな程度のクッションの上で体を丸めているピトフーイの姿は、親指姫のツバメを思い出させる。
「やあ嬢ちゃん、……首尾はどうだい? 復員兵には会えたのか?」
「どうしてこんなところにいるの! けがもしているじゃない……」
「そうだなあ、こういう時はもっときれいな場所にいたいんだが。って、かくまわれててそれはないな」
暗がりでも艶っぽく輝く長い黒髪と、殴打の痕跡がいくつかある東洋人の肌の一部が露わになっている。左手の甲から腕にかけては包帯が巻かれているが、不潔な下水道が手伝うわけにもいかなかったので、あまり的確に止血できてはいない。
「早くお医者さんに行かなきゃ。傷が悪くなってしまうわ」
「心配してくれてすまないな。大丈夫だ、オレは。痛くもないし、ここでの傷なんて見た目より早く治るさ」
「うそよ、うそ、そんなの……はやく治さないと……」
「大丈夫だって!」
ケガか、もしくは白い包帯を見て、主人公は動転しているようだった。ピトフーイは笑って主人公の肩に手を伸ばした。しばらくなでられると、少し落ち着いたようだ。
「本当? 本当なの? ……ねえ、どうしたの。何があったの」
「ん、嬢ちゃんも知って……知ってるんだよな? 下水道よ」
「ああ、騒ぎがあったことだけなら。お前、ギャラリストのアジトで俺に放り投げられただろう。あの時のことだ」
排水管から溢れるヒルが群れを成し、編みあがり、壁を作っていく。下水道は、ヒルの壁に埋め込まれた巨大な瞳をふたりに向けた。
「そっかそっか。知ってはいたか。これはその時に怪我したんだよ」
気楽そうに言うピトフーイを見ながら、主人公は何かを思い出そうとしているようだった。
「ピトフーイさん、その時いたの? ……何が起こっていたの?」
「ああ。率直に言うと、オレは嬢ちゃんを誘拐しようとしていた」
「えっ、なんで、……」
主人公は尋ねる。しかし心当たりはあるだろう。
「あのアジトに、ひとつ大きい窓があっただろ。嬢ちゃんが前に寝ていた部屋。そこから入ろうとした時にちょっとあってね、あいつ、あんまりあの部屋にはいないと思っていたんだけどなあ。……ここまでされるとは、わりと嫌な気分だよ」
「……ギャラリストさんがやったのね」
「ん? 理解が早いね? てっきりもう少し取り乱すかと思ったよ」
「大丈夫。わたし、多分、受けとめなきゃいけないこと、たくさんあると思うの。ギャラリストさんが、どうしてこんなに怒るのかも、きっと知らなきゃいけないし……」
「ああ、他人の気持ちなんて、嬢ちゃんが思ってるより大したことのないものだよ。あいつがイライラしてたって気にしなくていい。ムシの居所が悪い日なんて、誰にだってある」
「そんな、わたしは……どうすれば一番よかったのかしら」
汚いコンクリートの上に垂れた、ピトフーイの髪をクッションの上に乗せてやってから、主人公は下水道の目玉を見上げた。下水道にはこの少女を導いてやる資格などない。少し……悔やまれた。
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