【Portion twins】

Track4.introduction ——暗闇の盟友

 爪の先ほどしかないオイルランプの灯が、カビの生えた壁にかろうじて、ひとつの影を浮かび上がらせている。影はうつむいている。シーシャパイプのトップヘッドを模した、特徴的な大きい帽子のつばが傾いている。ジュークボックスからはささやくようなギターのバラードが奏でられていた。

 暗闇の奥に、無数のヒルの粘膜に濡れた巨大な瞳がある。

「あの子とギャラリストは街へ戻ったよ」

 ふっ、と、格子柄のテーブルの上に小さなため息がかかる。オイルランプの炎をわずかによろめかせる。

「これからどこへ行くんだろう。ギャラリストのアジトに向かっているように見えるね。まだ復員兵のとこには行かないのかな」

「問題が起きそうなのは本当か? 奴のアジトなら、向かいの路地裏からすぐに駆けつけられるが」

「え、何のつもり? ギャラリストの邪魔なんか僕たちがしていいワケないのに」

 光る、下水道の目玉がふたつ、まぶたの形に絡みあったヒルたちの蠢きにより、ゆっくり隠されていく、『彼は瞳を閉じる』。

「ああ、そうだな。ただ、奴の行動が、お前の理想と反するものとなった場面も、幾度となくあった。……まあ、俺にも大したことはできない。お前のもどかしさを請けおうくらいが関の山だ」

 目玉が完全に見えなくなる。排水の川がレコードの音楽を邪魔しないくらいの大人しさで、波と水しぶきを立て始める。司会者は川を見る。虹色の油膜の下を潜水して、それは下流から進んでくる。まるで藻屑が水流の狭間に巻き込まれているかのような、だらけた、エネルギーの能動的発散を感じさせない動きで移動してくる。

 司会者の近くで物体は止まる。そしてコンクリートの足場の淵へ四匹のヒルが……べたりと張りつく。よじ登ろうとする人間の指に似せているかのようだった。司会者は川に近づき、のぞきこむ。

 汚水から、はい上がって来ようとする人型があった。身にまとう、ぼろぼろのレインコートのフードの奥には、むき出しの赤い目玉が埋め込まれている。下水道は、主人公の脚を借りていた時と同じ、小柄なヒトをかたどった姿となっていた。

 司会者はしゃがんで、よじ登ろうとする下水道に手を差し伸べる。レインコートの袖から伸びるヒルが、司会者の手の肉に絡みつく。灰色の水滴が白い肌につたう。

「悪いな」

 相づちし、ドブの臭いを立ちのぼらせながら足場に乗ろうとする人型を、司会者は引き上げる。主人公のブーツがもうない代わりに、下水道は古く汚い長靴を履いていた。ぎくしゃくと足踏みをしている。司会者はまたテーブルの側に腰を下ろす。

「どうだい。あの子の脚で、本当に歩いて平気だったの」

「ああ。俺にとっての問題はなかった。もう多少歩いて悪化するような段階ではなさそうだったから……それについては言及するなよ」

「……それで、歩き方は思い出したの」

「今はな。次のウサギ礼拝までは持つだろう」

「そっか。僕のせいで、失ってしまうって分かってるんだ。君は、本当は外を歩きたくなんかないんだ……」

「そうだな。こうでもしないと行動できない俺が悪いんだ」

「そんなこと……言わないで!」

 たったひとつの小さな灯は、対岸の壁にふたつの人影を浮かび上がらせている。注意すれば辛うじて見えるくらいの、ぼんやりとした、今にも闇の中に溶けてしまいそうな影だ。司会者の声は一瞬、その闇を裂くような、少女の悲鳴に似た鋭さで響いた気がした。

「すまない。いや、謝るのは違ったな。……ありがとう、と言いたかったんだ。感謝されるいわれがないとは言わせないからな」

 どぶねずみ色の汚いフードの奥にある目玉が動く。

「……それは、そう……君が僕をどう思うかなんて、自由だよ」

 司会者は、ギャラリストなんかにもよく見せる、嫌味のある作り笑顔をしてみせた。別の表情を塗りつぶそうとなんて、していない。

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