碧天の雨

鴻上ヒロ

小学生の部

第1話:姉さんと出会った日

 小学2年生の頃、僕には居場所が無かった。


 いや、厳密には、あったのかもしれない。


 けれども、当時の僕にはそれを感じることができなかった。


 きっかけになったのは、ある年下の子たちと遊んでいたときのことだ。うだるほどに暑い真夏日に、実家マンションの近所にある田んぼ付近で僕らは遊んでいた。実家の近くでも、当時の僕たちからしたら冒険だった。


 そんなとき、ある子が近くのコンビニに涼みに行こうと言った。特に断る理由がなかった。コンビニはやけに涼しく、生き返るようだった。


 また次の日もコンビニに行くことになったが、最初にコンビニに行こうと提案した子がとんでもないことを言い出した。10円ガムの万引きをしようと。僕は断固として反対し、精一杯の言葉を尽くして止める。当然だ、犯罪なのだから。


 しかし、彼ら3人の年下の子らは止まらず、僕の制止を振り切ってしまった。逃げていくみんなを追いかけるとき、店の人と目があった。僕は今すぐに告げるべきか迷ったが、結局、告げることができなかった。


 結局、その万引きは僕が他の子たちに命令してやらせたということになってしまった。店の人に僕と母親が呼び出され、説明を求められたから全て正直に明かしたところ、返ってきた言葉は子供の頃の僕にはショックなものだった。


「嘘をつくな」


 めげずにまた本当のことを告げる。


「次嘘ついたら警察ね」


 僕は、何がなんだかわからなくなった。母親までもが「どうして嘘をつくの」と、悲しそうな顔をしている。実際に盗られたガムの数と防犯カメラに映っていた人数が食い違うだろうことを指摘しても、僕が首謀者であるという点はまったく譲ってなどくれなかった。


 次の日、母親に連れられ例の年下3人組の家へ謝りに行かせられた。本当の首謀者のもとにも。


 どうして僕が謝らないといけないのだろう。僕の悪いところは、あのとき店の人に告げられなかったことだ。それは店の人に謝るべきことで、この子たちに謝らなければならないことなど、僕には一つもないはずだ。


 この世の理不尽など知らぬ子供の僕は、そう思った。


 こうして、僕は親を信じられなくなった。


 元々、僕の親は人が傷つくことをサラッと平気で言うような人だ。それを指摘すると、何が悪いのかをまったく理解しようともせず、指摘した僕に生意気だと言って突っぱねるような人間だ。そのうえ、人格否定まで飛んでくる。


 それでも親は親だからと、信頼してきたつもりだった。


 だが、どれだけ言葉を尽くしても、必死に訴えかけても信じてくれない人たちを、どうして信じることができようか。


 その日から、僕は居場所が無いように感じていた。学校に行っても人間関係が嘘のように感じてしまい、家にも居場所がない。実際、兄にはあるのに僕だけは自室が無かったが、そういう問題でもなかった。


 今にして思えば、友人関係には恵まれていた。中学に上がって大半は友人ではなくなったが、当時の彼らは本気で僕と接してくれていたはずだ。


 とはいえ、子供だった僕にはそんなこと、わからなかった。


 友達と遊び終わった後、または放課後から夕ご飯までの間、僕は実家マンションの目の前にある公園の広場で時間を潰すのが日課になっていた。


 その広場というのは、公園のメインの大きな広場から森のような林のような場所を抜け、そこにある危険な階段を駆け上がった先にある。反対側からは普通に入れるのだが、人がほとんど寄り付かない。


 広場の周囲には塔があり、小さな古墳がある。それ以外には、広場にはベンチと古いシーソー、多目的トイレしかない。たまに犬の散歩で通りすがる人がいたが、彼らは犬にかまけているから僕のことなど気にもとめなかった。


 そんな殺風景な場所だけが、僕の居場所だった。


 しかし、ある日、その広場に二人の女の子がいた。背の高い年上の、女の子と言うには大人びた女性と、年格好が近いように見える女の子の二人組。その二人が、僕がいつも腰掛けているベンチに座り、話し込んでいる。


 僕は途端に、足元がおぼつかなくなった。


 最初から、僕に居場所などなかったのだ。当然だ。ここは行政が所有する公園であり、市民全員の場所なのだから。それでも、幼い僕には大変なショックだった。


 僕は階段を駆け上がったところから動けず、泣き崩れてしまった。オオスズメバチの巣がすぐ下にあるとか、マムシが出ることがあるとか、そんなことはお構いもなくただただ泣きわめいた。


 気がつけば、二人組に介抱されていた。


 二人はとても親切だった。


なんがあったと?」


 大人な女性のほうが、僕に聞いた。僕はどういうわけか、気がつけば心の内の全てを彼女たちに打ち明けていた。居場所がない、親が信じられない、酷いことばかり言われてきた、友達も嘘のように感じる。本当は生きていたくないのだけれど、死にたいというほどではない。


 そんなようなことを話した。


 彼女は僕を優しく抱きしめ、「私達も似たようなもんだよ」と言った。聞くと、全然似たようなもんじゃなかったが。彼女たちの境遇のほうが、自分よりよっぽど酷い。それなのに、僕のことを似た者同士だと言った。


 そして、彼女はこう告げた。


「よし、今日から君も私達の家族や」

「家族?」

「うん、お姉ちゃんと呼びなさい」

「私は普通に名前で呼んで欲しい……」


 そうして、大人な女性の方を姉さん、年格好が近い女の子のほうを鈴ちゃんと呼ぶようになった。名字は、互いに伏せた。


 聞けば、彼女たちは今同じ養父母さんに引き取られて、本当に家族として暮らしているという。自分たちに酷い仕打ちをした両親の名字はとうに捨てているというのに、名字はあまり名乗りたがらなかった。僕も信頼できぬ両親と同じ名を名乗りたくなかったから、ちょうどよい。


 こうして、僕には新しい家族と居場所ができた。

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