第46話:姉さんとタブーの言葉
ある日、姉さんと一緒にバンド会議に行ったときのこと。
バンドが、解散した。
原因は、メンバーの仲違いだ。他のメンバーが姉さんに対し、不満を募らせていたらしい。姉さんは確かに自分勝手なところがあるし、ストイック過ぎるところもある。他のメンバーはお遊びとしてバンドをしていたが、姉さんは遊びは遊びとしても本気で遊ぶ人間だ。プロでも目指しているのかというほど、ストイックだった。
なお、実際にプロを目指すつもりは毛頭なかったらしい。
そういう、よくある方向性や価値観の違いによる解散だ。
しかし、他者からすればよくあることでも、当事者からすれば大事件である。姉さんは、自分が原因になったということもあり、かなり落ち込んだ。少し落ち着いてきていた精神状態も、また悪化し始めた。
一方の僕はというと、当時、部活で結構しんどい想いをしていた。
演劇部というのは、結構病みやすいらしい。近隣のどの高校の演劇部もそうだったらしいが、僕が通っていた学校の演劇部は特に、そうだったように思う。みんな病んでいて、全員どこかに余裕がなかったのだ。そんな環境にいて、僕が病まないわけがなかった。
ついに、恐れていたことが起こった。
病み期が、完全に被ってしまったのだ。
それでも僕は、姉さんのことを優先した。姉さんに元気になってもらいたくて、部活や遊びの合間に姉さんのところに通った。一日でも多く、一分でも長くの時間を姉さんと過ごそうと思ったのだ。それが自分のメンタルのためにもなるということを、理解していたというのもある。
姉さんは、少しずつ回復していった。会いに行くと毎回のように性行為を求められ、たまに目の前で手首を切ろうとされ、体力的にも精神的にもしんどかったが、姉さんが元気になるなら何でも良かった。
ただ、ある日、姉さんが荒れに荒れていた。鈴ちゃんが死んだときのように、大暴れしていた。自分の手を何度も机や床に叩きつけて、腫れていた。僕は必死になって止めたが、それが気に食わなかったのか、姉さんが暴言を吐き出した。
色々なことを言われたのは覚えているが、日記には一部だけが書かれている。ハッキリと覚えているのも、それらの言葉だけだ。
「ヒロくんなんか嫌い! どっか行って! 顔も見たくない!」
「鈴ちゃんが死んだのだって! 私とヒロくんのせい!」
すぐに「違う、本当に思ってるわけじゃない」と謝られたけど、一気に視界が遠のいて、その言葉があまり響いてこなかった。普段なら「いいよ、わかってる」と言うところなのに。
僕がどんな顔をしていたかはわからないが、姉さんが僕の胸にすがりながら、何度も謝っていたのは覚えている。恐怖なのか、申し訳無さなのか、怒りなのかわからない顔で。きっと、全部なんだろう。
嫌いと言いながら嫌われるのを恐れて、言っちゃいけないことを言った申し訳無さがあって、そんな自分自身に対する怒りがある。姉さんは、そういう人だ。
ただ、当時はあまり何も考えられていなかった。本心じゃないとしても、ショックだったのだ。
彼女が僕のことを本気で嫌いだと思っているわけじゃない、なんてことは僕にもわかっていた。それでも、もしかしたら本心ではそう思っているかもしれない、本心では鈴ちゃんのことで僕を責めているのかもしれない。
じゃなかったら、そんな言葉は出ない。
嫌いだ、出ていってくれ、ということくらいは思っていなくても口をついて出てくるかもしれない。喧嘩の常套句のようなものだから。まあ、これは喧嘩とは言えないけど。
しかし、2つ目の言葉は、何もないところからは出てこないはずだ。
そう思うと、僕はその場に居られなくなった。
家を出て、どこかに向かう。どこに行こうとしていたかはわからないが、たどり着いたのはあのベンチだった。もう夜だ。
ベンチに腰をかけて、ぼんやりとしていたら、姉さんが後ろから抱きしめてきた。少し遅れて、追いかけてきたらしい。見失ったけど、行く場所はここだろうと思って、車で来てくれたのだとか。
僕は錯乱していて一部よく覚えていないから、ここからは姉さんに加筆してもらった部分もある。僕はしばらく、一言も発さなかったそうだ。姉さんの言葉に、何も返さなかった。
返せなかったんだと思う。姉さんの「本心じゃない」という言葉を信じきることができない自分が、嫌だったんだ。そんな自分に心底呆れて、だけどやっぱりショックだったことは事実で、頭の中がぐちゃぐちゃだったんだと思う。
「ヒロくん、ごめんなさい」
「君がどんな気持ちでいたか知ってたのに」
「最低なこと言っちゃった」
「大好きなのに」
少しして、僕はようやく言葉を返したそうだ。
「わかってる、本心じゃないって」
嘘だった。本当は、僕を責めているんだと思っていた。それでも、本心じゃないと自分に言い聞かせたかった。そういうことにしておかないと、心がバラバラに砕けてしまいそうだったから。
もし本心だとするのなら、姉さんが「私のせいで」と鈴ちゃんのことで病んで暴れていたとき、僕のことも責めていたことになる。それなのに、僕は姉さんに「大丈夫」「姉さんのせいじゃない」と言っていたのだ。
もしそうだとしたら、僕は僕を許せそうになかった。
姉さんが僕を今度は正面から抱きしめてくれた。
「嫌いにならないでくれる?」
「僕が姉さんを嫌いになるわけないよ……」
姉さんはずるい人だと思う。僕がここで「嫌いだ」と言わないし、姉さんのことを嫌いになんかなれないとわかっているはずなのに、こういうことを言うのだから。ひょっとしたら、本当に嫌われるかもしれないという不安があったのかもしれないけど、そうだとしても、やっぱりズルい。
だって、僕は姉さんに何をされても、何を言われても嫌いになんかなれないから。ずっと、世界で一番大好きな人のままなんだから。
「私もだよ」
「うん」
なぜか、途端に不安になり、姉さんの顔を覗き込んだ。
僕はそうだとしても、姉さんはどうなんだろうという気持ちだったんだと思う。
「姉さんは嫌いにならない?」
「なるわけないよ」
「僕はもう、姉さんに嫌われたら生きていけない」
「私もだよ」
「いなくならないでね? 姉さんがいなくなったら、生きる意味なんてないから」
僕も、姉さんのことを言えないくらいにズルい人間だ。姉さんが僕のことを嫌いにならないと言ってくれるのをわかっていて、聞いた。嫌われたくないから、生きていけないと逃げ道を塞いだ。
だけど、本心だった。僕にとって、姉さんは全てだ。僕にとっては彼女が世界の全部で、世界そのものだ。彼女の居ない世界になど生きる価値はない、意味はない。そんなことを、このときからずっと考えている。
このとき、僕は自分から姉さんの顔を引き寄せてキスをした。愛情を確かめたかったんだ。それでも、どういうわけか、不安は消えてはくれなかった。言われた言葉を、無かったことにはできなかった。
なんとなく、それから、姉さんの家から足が遠のいてしまい、会いに行く回数がまた少しだけ減った。会う度にあの言葉がフラッシュバックするようになったからだ。そんな自分がやっぱり嫌だったから。
それでも、通えるときは通っていた。姉さんはその後もまた少し病んだが、夏休みになる頃には落ち着いてくれた。
僕は、矛盾していた。姉さんと一緒にいたかった。他愛もない話をして、遊んで、触れ合っていたかった。それなのに、足が遠のいた。また何か言われてしまうかもしれない、という想いがあったんだろう。姉さんに責められたあのときの感覚を、もう二度と味わいたくなかった。
あのとき、姉さんが来てくれなかったら、僕はきっと鈴ちゃんと同じことをしていただろうから。
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