第34話:中二男子、家政夫になる

 姉さんが一人暮らしを始めてしばらくして、僕は中学2年になった。姉さんの家には、よく遊びに行った。本当に僕の実家から自転車でそれほど苦にならずに通える範囲だったから、時間ギリギリまでいることもできた。


 この頃にはもう、二人で会う場所はベンチよりも家のほうが多くなっていた。藍ちゃんと会うときは、養父母さんの家だ。


 中学2年の始業式から少しして、姉さんの家に向かった。平日だから当然、姉さんはまだ仕事である。合鍵で入り、雑然とした室内を見て愕然とした。先週、僕が掃除をしたばかりなのに、もうゴミが散乱している。服も下着も脱ぎっぱなしで、床に放置されていた。


 足の踏み場はギリギリあるものの、ほとんどない。


 僕が禁煙部屋と呼んでいる、僕のために用意してくれた部屋だけは綺麗だ。僕と同じで、自分の生活スペースは汚くても気にならないが、人のためのスペースは気になる性格らしい。


「これはもう才能やな」


 かくいう僕も、部屋は汚い方である。


 脱ぎっぱなしの服を片付け、散乱した下着類を洗濯ネットに入れて洗濯機に入れておく。今から洗濯しては乾かないから、入れておくだけだ。


 服は洗濯しなきゃいけないものは自分で見分けてくれ、といつも言っている。洗濯しないといけないような服も、そうじゃない服も全部まとめて床に放置するからだ。洗濯物を取り込んだとき、畳んで収納しないからこういうことになる。


 掃除が終わると、僕はキッチンに立つ。冷蔵庫の中身をチェックして、料理をする。日持ちするおかずや副菜を作ってタッパーに詰め、冷蔵庫や冷凍庫に入れておく。こうすると、姉さんはご飯をちゃんと食べてくれる。


 僕が作らなければ、姉さんの食事はカップ麺と冷凍食品とコンビニ弁当ばかりになるからだ。


 ただ、食べていればまだいいほうで、数日間全く何も食べなかったことがある。その日から、僕は最低でも週に1回は姉さんの家に料理の作り置きをしに来ることを誓った。


「僕はお手伝いさんか」


 独り言をしながら、料理を作っていく。前日に姉さんに頼んだ食材は、冷蔵庫にちゃんとあった。この日作ったのは、ラタトゥイユ、ハンバーグの種、ナムルなどなど……。ラタトゥイユはそのまま食べてもいいし、パスタにしてもいい。メインでも付け合せでも、広くこなせて便利だ。


 ハンバーグは、生焼けにならず焦げにくい焼き方をメモしておいた。ほかの料理にも、「500Wで1分チンしてください」などのメモを書いてタッパーに貼り付ける。


 姉さんにこうして料理を作るようになって、僕の料理スキルはめきめき上達した。養母さんから度々教わっていたというのもあるが、姉さんのために料理を作るのが楽しく、栄養も考えながら色々なメニューを作ろうとしていたというのが上達理由としては大きい。


 そうこうしていると結構な時間が経つ。あと少しで姉さんが帰ってくる時間だ。


 今日の晩ご飯は、ハンバーグにしよう。冷凍庫に入れた種を一つ取り出し、ハンバーグを焼き始める。付け合せにはポテト、人参のグラッセ、ほんのちょっとのナポリタンだ。ナポリタンは職場に持っていく弁当用に作っていたのを少しだけ使った。


 出来上がる頃に、姉さんが帰宅する。


「ただいまー!」

「おかえりー」


 姉さんはいつも、帰宅してすぐにご飯を食べたがる。姉さんはスーツを脱ぎ捨てて、下着姿のまま料理中の僕の様子を覗きに来た。


「服着ろ、あとスーツは脱ぎ散らかすな、シワになるやろ」

「何度も見てるくせに~まだ慣れへんの?」

「あーもう、もうすぐ出来るから待ってて」

「はーい!」


 姉さんがスーツをしっかりとハンガーにかけ、部屋着に着替える頃にはハンバーグ定食が出来上がった。サラダもちゃんと付けてある。なんだかんだと言って、言えばちゃんとスーツをハンガーにかけるのが姉さんの良いところだと思う。


「これは……ビールやな!」


 ハンバーグ定食を置いて、ビールを差し出す。姉さんはビールのときだけは、グラスに注がない。泡で少なくなるのが嫌なのだそうだ。周りの大人たちはビールの泡を楽しんでいたが、姉さんは違うらしい。


「いただきまーす!」

「ほいほい」

「おいしい!」


 その言葉に満足して、僕は帰り支度を始める。だいたい、いつもこうだった。姉さんの美味しいという言葉を聞いて満足して、帰る。この言葉を聞かないと、労力が報われた感じがしなくて、毎回、ギリギリではあるものの姉さんが食事に手を付けるまでは家にいた。


「もう帰ると?」

「うん、遅くなるとあれやし」

「待って、充電させて!」

「はいはい、おいで」


 手を広げると、姉さんが飛び込んできた。数年前と、立場が逆転している。僕が姉さんに甘えることよりも、姉さんが僕に甘えることのほうが増えていた。姉さんはしばらく抱き着いてから離れ、満足げに笑う。


「次来るのいつ?」

「休みの日に来るよ」

「やったー!」

「あと、作り置きのタッパー、冷蔵庫と冷凍庫に入れてあるから。メモも貼ってあるけんね」


 僕が言うと、姉さんが冷蔵庫と冷凍庫を開けて確認しはじめた。僕は靴を履いて、玄関に置いていた合鍵を手に取る。これは、この頃には定番のやり取りと化していた。


「できた弟だこと」

「だらしのない姉だこと」

「へへへ」

「アホ、褒めとらんわ」


 鍵を開けて振り返り、「またね」と手を振る。「ん、メールするね」と言って手を振る姉さんの笑顔を見て、最後にもう一度僕からハグをして家を出た。なんだか少し寂しそうだし、僕も寂しいから。もうすっかり夜だ。早く帰らないと怪しまれてしまうと思いながら階段を降りて、自転車にまたがる。


「自立とはなんだったのか」


 経済的自立が、精神的自立に繋がるわけではないということを、僕はこの年で知った。

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