第33話:姉さんの一人暮らし

 ある日、姉さんに「家族に大事な相談があるから一緒に来てほしい」と言われ、迎えに来てもらい、家に向かった。もうじき進級を控えた中学1年の冬のことである。


 姉さんが家族全員をリビングに集めた。養父母さんは何かを察したように目配せしていたけど、藍ちゃんはただただキョトンとしている。


「一人暮らしさせてください!」


 姉さんが、珍しくテーブルに額をこすり合わせた。


「一人暮らしねえ……」


 養母さんが姉さんと僕を交互に見る。なんとなく、言いたいことはわかった。姉さんは元気なときも結構あるが、突然激しく病むことがある。自殺未遂をしたこともあった。僕が家に居たときだったから止められたけど、養母さん曰く僕がいなければ多分止められなかったとのことだ。養母さんの危惧は、そこにあるんだろうということは、流石にもうじき中学2年を控える年齢にもなれば理解できる。


 しかし、僕は逆のことを思った。


 一人暮らしの方が、かえってメンタルが回復するのではないか、と。


 この家には、鈴ちゃんとの思い出がありすぎる。僕でさえ、こうしてリビングで集まって空席があるのを見ると、辛いのだ。この家で長い間一緒に暮らしてきた姉さんは、それより強い気持ちを毎日味わっているんだろう。


 ああ、姉さんはきっと、僕に本音を言う手伝いをしてほしいんだなと思った。姉さんは、養父母さんの前では変に取り繕う癖があるから。信用していないのではない。信用し、恩を感じているからこそ取り繕うのだ。


「一人暮らしのほうが辛くないって思ってたりする?」


 僕が聞くと、姉さんがこくりと頷いた。


「思い出して辛くて……もちろんみんながいるこの家は好きやけど」


 養父母さんが、寂しそうな顔をした。それからも色々と話し合い、結局養父母さんが折れる形になった。一人暮らしをしたい理由は家にいることの辛さと、自分を変えたいということだった。


 一人で生活してみて、経済的に自立したほうが自分は強くなれるんじゃないかと思っていたらしい。形から入る姉さんらしい考え方だ。今にして思うと、少し微笑ましい。


「ただし、条件があるばい」

「条件?」

「まず、私らとヒロ君に合鍵を渡すこと」

「それはもちろん」

「あと、ヒロ君が簡単に様子を見に行ける場所に住むこと」


 その条件に一番驚いていたのは、僕だった。姉さんは驚かず、納得したように「そのつもり」と頷いている。僕以外の全員、そういう条件になることを予想していたようだった。藍ちゃんまで「それがいいよー」と言っている。


 僕らが特別信頼し合っていること、依存し合っていることに全員気づいていたんだろう。少なくとも、養父母さんは気づいていたというのを現在の僕は知っている。藍ちゃんも、幼い心ながらに何かを感じ取っていたんだろう。


 ただ、驚きはしたけど、僕はその条件は嬉しかった。どのみち、僕は姉さんが一人暮らしするとなったら、足繁く通う予定だったから。会いに行きやすい場所なら、これまでより会う回数も増える。合鍵を貰えれば、姉さんが仕事中でも家に行ける。僕にとっても、いい条件だ。


「ごめんね、ちょくちょく行ってあげて」

「それは全然いいよ」

「よし! 決まったとやったら家探しばせないけんな!」


 養父さんの言葉で、その日の家族会議は終わった。全員各々の部屋に戻るなか、僕は姉さんの部屋に行くかと立ち上がると、養母さんに呼び止められる。申し訳無さそうな顔をしていたのを覚えている。


「ごめんね、負担ばかけちゃうけど」

「ううん、むしろ会いやすくなって嬉しいけん」

「情けない話やけど、多分ヒロ君のほうがあの子のこと元気に出来るやろから」


 養母さんのその言葉を、よく覚えている。寂しそうだけど、嬉しそうな、そんな表情と声だった。


 それから姉さんは僕が進級するまでの間に、家探しを終えた。


 僕も姉さんの引っ越しを手伝った。家具選び、家から持って行く持ち物の整理と搬入出。内見にも、僕がよく連れ出された。みんなが言うには、「本人の次に入り浸ることになるけん」だそうだ。


 自立を目標とするからには、養父母さんは必要以上に通うことはしないと言っていた。


 ただ、「寂しくなったなら、いつでん帰ってき」と言っていた。一番寂しそうなのは、藍ちゃんだったが。それでも新しい生活を前向きに応援していて、強い子だなと思ったのを覚えている。藍ちゃんは鈴ちゃんのいなくなった家に、さらに一番上の姉までいなくなった後も、住むことになるのだ。


 藍ちゃんは「お姉ちゃんは会おうと思えば会えるし」と笑っていた。

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