第22話:深まる共依存

 今回は、僕が書いた日記と姉さんが書いた日記が混在している。境界線が曖昧で、記憶はハッキリしているが、それらの歯車が全て合致しているとは言い切れない。それでも、起きた出来事は全て事実だ。


 しばらく、僕は姉さんのメールに返信できなかった。会えなかった。合わせる顔がなかったからだ。脅されていたとはいえ、人が嫌がることをしなくてはならなかった。一度で終わると思っていた。


 しかし、一度では終わらなかった。頻度こそそれほど高くはなかったが、学校で見る彼女の顔がどんどん曇っていくのを見ていられなかった。クラスが変わったが、すれ違う度に暗い顔をするのが申し訳無かった。


 小5から通い始めた塾の帰りに手紙を投函させられたある夜、耐えきれなくなっていつものベンチに行ったら、姉さんが座っていた。僕は帰ろうとして踵を返したが、姉さんに気づかれてしまった。


「ヒロくん……!」


 姉さんが駆け寄ってきて、後ろから抱きしめてくれた。僕はもう、限界だった。あふれる涙が止められず、崩れ落ちる。姉さんが抱きとめてくれなければ、きっとそのまま立てなかっただろう。


 大泣きして取り乱していると、姉さんが地面に腰をおろして、正面から僕を抱きしめてくれた。土がつくのも気にせずに。


 僕は、姉さんに全部打ち明けた。鈴ちゃんが学校で虐められていたこと。それを助けようとして人を刺してしまったこと、それから脅されていること。どうすればいいかわからないこと。


 全部話し終えて、少し落ち着きはじめると、姉さんは僕に一度デコピンをした。


「バカ……!」

「ごめん」

「そんなの一人で抱え込んで!」

「ごめん……」

「私が話つける」

「待って! それはやめて」


 僕が思っていた以上に、例の男はヤバイ奴だった。人を傷つけることなどなんとも思ってなくて、年齢が上でも関係なく上から話すような奴だ。きっと、姉さんが話をつけに言ったら、今度は姉さんに危害が及ぶかもしれない。それだけは、嫌だった。


 僕をどうにかして満足しているのなら、僕で留めておきたかった。今思えば、自己中心的な考えだ。突然巻き込まれただけの同級生女子のことを思えば、姉さんにどうにかしてもらうべきだろう。


 それでも、僕にとっては姉さんたちが一番大事だった。彼女が傷つくことだけは、絶対に嫌だった。


 正直に伝えると、姉さんは悲しそうな顔をした。


「まだ、言えてない気持ちあるでしょ」

「……死にたい」


 言った瞬間に、また涙が溢れて止まらなくなった。水分と体力を失いすぎて、もう何がなんだかわからなくなって、頭がぼんやりとして、フラフラとする。涙も感情も、せき止めるだけの力がなかった。


 何度も、「死にたい」と言った。


 その度に姉さんが泣きそうな顔をするのを見ても、言葉は止められなかった。実際に僕は、姉さんにメールも出来ていなかった頃に、何度か死のうとした。結局、どの死に方も怖くて出来なかった。子どもの僕には、何もできなかった。反抗することも、誰かに相談することも、死ぬことすらも。


 全ての感情を吐き出して落ち着いて、だけどやっぱりぼうっとしていた。姉さんも一緒に泣いていた。


「ヒロくん」

「うん」

「私は君が大好きだよ、何があってもずっと味方でいる。君と鈴ちゃんのためなら、私は傷ついても平気」

「嫌だ」

「本当に、耐えるの?」


 すぐには、うんと言えなかった。


 だけど、言わなくちゃいけないと思った。


 だから、絞り出すように「うん」と短く言った。


「壊れちゃうよ」

「大丈夫」

「君意外と頑固なんだね……わかった」

「うん、ありがとう」

「ただし、もうひとりで抱え込まないこと」

「わかった」

「あと、それをやらないといけない日はその後に私と会うこと」

「うん」

「もうメール無視しないこと」


 姉さんが優しく頭を撫でながら、一つ一つ約束させてきた。僕は全てに「うん」と答えた。


「約束ね。破ったら私が速攻鈴ちゃんに聞いてそいつら殺す」

「うん、約束」


 物騒な単語が聞こえたが、多分、本気なんだろう。姉さんの声は優しかったけど、目は全く笑っていなかった。この人は本気でやる気だと、当時の僕も直感した。傷つけられるのも嫌だったけど、姉さんが犯罪者になるのはもっと嫌だった。


「姉さん」

「ん?」

「ありがとう」

「もう……メール無視したの怒ろうと思ってたのになあ」


 聞けば、鈴ちゃんは「無視しなくていいじゃん」と怒っていたらしい。藍ちゃんは最近会えていないことを純粋に寂しがり、養父母さんは心配してくれていたそうだ。明日、家に行ってみんなに心配かけてごめんと謝りに行くことになった。姉さんが手を握っててくれると言うから、逃げ場はなかった。


「姉さん、もうちょっと一緒にいてくれる?」

「いいの?」

「うん、塾帰りだし適当に言い訳できるから」

「じゃあ一緒にいる」

「ありがとう」


 とりあえず僕らは土を払って、ベンチに移動した。姉さんが先にベンチに腰掛けると、膝を叩いた。僕は姉さんに膝枕してもらった。姉さんの温かさと柔らかさに、心が少しだけ安らぐようだった。


「もう一つ、約束して」

「ん?」

「私を置いて死なないでね」

「うん……わかった」

「どうしても死にたくなったら、私が一緒に死んであげる」

「……うん」


 それから、姉さんは僕を起き上がらせ、キスをした。熱を出したときよりも長く、何度も。僕はされるがままだった。


 きっと、姉さんも色々と限界だったんだろう。1ヶ月会えなかっただけで限界を迎えた僕たちが、数ヶ月も会えずに平気でいられるわけもなかった。やっと会えたと思ったら、鈴ちゃんが壮絶なイジメにあっていたこと、僕が人を刺したこと、脅されて同級生の女の子に嫌がらせをしていることを聞かされたのだ。


 平常なメンタルでいられるはずがない。


 この日から、姉さんは、限界を迎えると僕を性的に襲うようになっていた。これまでは一度口づけするだけだったが、この日は唇だけじゃ足りないのか舌を入れ始め、耳や首まで責められた。


「ごめんね」


 そうして満足すると、謝って離れる。


「謝らないでよ」

「だって」

「嫌じゃないんだから」

「こんなお姉ちゃんで嫌いにならない?」

「なるわけないよ」

「私は……やっぱり君がいないとダメみたい」

「僕もだよ」


 この日から、僕らの共依存関係がさらに深くなってしまったように思う。たちの悪いことに、僕はそれが心地いいと思っていた。本当はよくないことだと、わかっていた。こんなことまでして、姉弟と言えるのか、とも。


 それでも、僕らはきっと、互いに依存していないと生きていられなかっただろう。より深く依存し合わなければ、このとき二人で死んでいたかもしれない。姉さんと一緒なら恐怖心もなくなり、すんなり死んでしまっていただろう。


 それほどまでに、僕らは生きるのが下手なのだ。家族愛に恋愛感情に依存心、三つの感情に心をかき乱されながら二人の世界に落ちていくと、とても安心できた。

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