第13話:姉さんと熱暴走
夏が終わったある日のこと、姉さんが突然倒れた。いつものベンチで座ってぼけ~っとしていると、姉さんがいつものように来て、少しして倒れてしまった。慌てて姉さんの携帯電話を使い、養母さんに迎えに来てもらった。
家まで付き添って、姉さんを自室のベッドに寝かせる。体温をはかると、熱があった。冷えピタを貼ってあげて、養母さんに言われて近くのスーパーでポカリを買う。うなされているから頭を撫でると、姉さんが起きてしまった。
「ん……あれ?」
起き上がろうとする姉さんを制止して、状況を説明する。
「へへへ、ごめんね」
力なく笑うのが、なんだか苦しかった。倒れるほど体調が悪いなら、自覚していたはずだ。どうして、それを隠してまであの広場に来たんだろう。少し考えて、何かあったんじゃないかと思った。
「もしかして学校でなんかあった?」
「うーん……まあ、ちょっとね」
「話せる?」
「うん、お話くらいならできるよ」
姉さんは、目を瞑りながら何があったのかを聞かせてくれた。高校でも友達はあまりできず、かと言って普段はからかわれることもなく平穏に過ごしているのだそうだ。あまりとは言うが、僕は姉さんから学校の友達の話を聞いたことが一度もない。
ただ、クラスに二人くらい本当に嫌なやつがいて、その人達に家族のことで嫌味を言われたらしい。よくある話だけど、聞いていて気分が悪かった。姉さんも最初は適当に流していたが、以前作文に書いた弟のことで色々憶測で適当なことを言われて頭に来たそうだ。
「僕のこと?」
「もちろん」
「僕のことで怒ってくれなくてもいいのに」
「だって腹立つけん……」
何を言われたのかは教えてくれなかった。「ヒロくんが聞いたら傷つくと思うから」と言っていたから、相当なことを言われたんだろう。そうして頭に来て口喧嘩になり、手まで出そうになったところで止められ、ムカムカとした気持ちだけが残った。
放課後に帰ろうとしたら呼び止められ、今度は自分自身のことをチクチクといろいろ言われたそうだ。これも、何を言われたのかは教えてくれなかった。「ヒロくんが知ったらブチギレると思う」と。
姉さんは、そうした色々なことを我慢したのか、と思うとやりきれなくなった。そのやりきれない気持ちだけは、今も忘れられないでいる。僕が聞けばブチギレるようなことを言われて、平気なわけがないのだ。
「そしたらなんか熱出ちゃって……頭に血が上りすぎたのかな」
「そっか」
頭をゆっくりと撫でると、姉さんは「ふう」と短く息を吐く。それがどういう感情なのか、子供の頃の自分にはいまいち読み取れなかった。安心なのか、疲れなのか、不満なのか。
「しんどいよね、色々適当なこと言われるの」
「うん、間違ってるの全部訂正したくなる」
「わかる」
しかし、彼女は訂正も反論もしなかった。子供の頃の僕にも、その理由には心当たりがあった。万引き冤罪のときも、いじめ冤罪のときも、僕は反論した。言い返したが、無駄だったのだ。決めつけだとしても、頭の中で「こうに違いない」と認識してしまえば、人はなかなか考えを変えられない。脳の認識した情報が誤りだとしても、簡単には認識を訂正できない。
「ヒロくんのこと、みんなのこと色々言われてるのに言い返しても無駄なの、悔しくて……」
相槌を打ちながら頭を撫で続けていると、急に姉さんが起き上がった。寝かせようとしたら、突然抱き着いてきて、ワタワタとしていると僕の服が濡れ始めた。泣いているんだと、幼い僕も流石に察する。優しく抱き返して、また頭を撫でた。いつも姉さんがしてくれるように。
「あかん~、頭ぼっとする」
「ええんよ、しゃあないよ」
「熱あるのに会いに行って迷惑かけてごめん」
「ん? 嬉しいよ?」
その時はうまく言葉にできなかったけど、しんどいときに会いたいと思ってくれるのが嬉しかった。しんどいときに、会いたいと思える人間でいられていることが、嬉しかったのだ。
「移したらごめん」
「ええよー、移したら治る言うし」
それから、姉さんが僕がモテるかモテないかという話をしてきて、君は本当に9歳なのかと聞かれてしまった。なお、僕は本当にこれっぽっちもモテはしなかった。足は遅いし勉強もできないし、大して面白くもないからだろう。小学生のモテ要素を全てマイナスにまでステータスが振り切れた子供、それが僕だった。
そんな会話をして、姉さんが泣きながら笑う。笑ってくれたのなら良かった、と思っていると姉さんが顔をあげた。涙と熱のせいか、目が潤んでいて顔が赤くて、ドキッとした。固まっていると姉さんの手が僕の頬を撫でた。
「ごめんね、弱いお姉ちゃんで」
一度だけ、姉さんの唇が僕の唇に重なる。完全に頭が真っ白になってしまって、それから姉さんが何を言っていたのか少しの間だけ、わからなくなった。
ただ、姉さんがすごく弱っているということだけはわかった。
しばらくして僕も姉さんも落ち着いてきた頃、涙を拭いながら、姉さんがすごく申し訳無さそうに頭を下げた。
「ほんっまにごめん!」
冷静になって混乱したのか、何度も謝る姉さんに僕は「いいよ」と返す。
このときの僕は、姉さんは強いわけじゃないんだなと思っていた。境遇の割にいつも明るく振る舞っていて、僕に優しくしてくれるから、強いんだと勘違いしていた。
本当は、この人は弱いんだと、このときはじめて理解した。
「ごめんねえええ」
「いいって、大丈夫だから、とりあえず寝よう」
「……わかった」
素直に横になり目を瞑る姉さんを見て、僕は近くの本棚から本を取り出し、ページをパラパラと捲り始めた。なぜそうしたのかはわからないけど、和ませようとしたんだろう。あるいは、本当に混乱していたか。
「走れメロス」
「……仕返しされとる」
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