第15話
朝が来た。カーテンを締めなかった窓から眩しい日差しが入り込んで、僕の寝室を光に包む。眩しさに起こされた朝というのは極楽か最悪かの二極化だと思う。僕は後者の人間だった。
学校に行かなくちゃいけないなんて考えてしまう頭が嫌になる。もう行かなくてもいいのに、それから逃げ出すために来たのに、まだ僕はそれに囚われている気がして仕方ない。備え付けられていた遮光カーテンを閉めても二度寝をできる気がしない。
「嫌だなぁ」
そんな言葉をこぼして、仕方なく起き上がる。なんだかんだ言って朝日を浴びながら体を動かせば目覚めはすっきりするものだった。
◆
「おはようございます」
「おはよう。ずいぶん遅いんだな」
挨拶を返してくれたのは篠原さんだった。自分の部屋を出てリビングに降りたのだが、そこに居たのがソファーに座る篠原さんだけで他の人はいなかった。
壁にかけられた時計に目を向ければ短針は真上を向く手前だった。平日のお昼前。こんな時間に家にいる人の方が少ないだろう。
「いつも、この時間は一人なんですか?」
「いや。普段はもう一人か二人はいる」
手招きをされて僕は篠原さんの方に近づいていく。篠原さんが座る横には何かの箱が置いてあって、それを僕に差し出した。
「えっと、これは?」
「スマホ。無いと不便だろ?」
僕の手の上で勝手に解体されていく包装。箱の中から出てきたのは青色のスマートフォンだった。
「いいんですか?」
「用意するって言ったろ。もう全員の連絡先は入っている。好きに使え」
ソファーに座っていた篠原さんは立ち上がった。ぐっ。と伸びをして篠原さんは歩いて行った。その行く先を目で追っていくとキッチンに向かって行くようだった。
「涼。お前、苦手なものは?」
「ない、ですよ」
「ならなんだっていいな」
お昼ご飯を作ってくれるのだろうか、篠原さんは冷蔵庫を漁っていた。
僕は貰ったスマホを箱に仕舞い、ソファー前のテーブルに置いておく。手に持っておいて落としたりしたら大変だから。
「ご飯、作ってくれるんですか?」
僕はキッチンに入るにも、カウンター前に座るにも、どっちつかずな位置で篠原さんに問いかける。
お昼時にはまだ早めの時間かもしれない。それにこういう共同生活ってご飯とかは自分で作るというのがイメージとしてある。
「要らねぇのか?」
冷蔵庫の扉を閉めながら、篠原さんは僕に口角を上げた表情を見せる。
要らないわけがないことを見据えてのことだろう。
「い、いえ。要ります。その、手伝います」
「お前はまだ客人だ。座って待ってろ」
篠原さんにしっし。とあっちいけってされる。僕はカウンター前に大人しく座り、篠原さんの作るご飯を想像する。
昨日食べたカレーを作ったのも篠原さんだったはずだ。あれがレトルトだったのかそうじゃないかは分からないけど、とにかく美味しかった。少し期待してしまう。
「さて、何もないし暇だろ。質問、聞いてやる。ここのことでも、ほかの事でも」
キッチンから声をかけられる。暇を持て余してしまう僕を気遣ってくれたのだろうか。料理の音は止まることはなく、作業のついでに話をしてくれるらしい。
「じゃあ、昨日の話を」
僕が今、一番気になることとすれば昨日の夜に見た篠原さんと月夜見さんのあの組手だ。特に篠原さんが使っていた魔法らしきもの。
「昨日の? ああ。七桜とのか?」
「は、はい。その、篠原さんが使っていたのは、魔法……ですよね」
「いいや。厳密にはノーだな」
明らかに物理現象を越えた攻撃。あれは魔法としか形容できないものだったはずだ。でもそれは包丁がまな板を叩く音と共に否定された。
「俺が使っているのは魔術。魔法とは少し違うものだが、授業では聞かねぇのか?」
「き、聞いたことはあります。しっかり一コマ使って、とかじゃないんですけど」
物理現象じゃ説明できないものは大体魔法だと習ったが、これはそれではないらしい。魔術について聞いた話は魔法と科学の中間にあり、科学で自然現象を生み出し、自然を超えるもの。それが魔術だ。
「なら、軽く教えてやるよ」
調理の音が止まり、篠原さんの手がカウンターに伸びてくる。僕の前を指でなぞるとその跡に赤いものが残されていた。色味が血に酷似していて僕は息が詰まる。
「魔術ってのは術式を書いて発動させるものだ」
そんな僕を気にすること無く、篠原さんは解説を進めていった。
一本線だけだったその血痕が勝手に動き出し、広がったそれにより円が描かれ、その中に見たことない記号が並んでいく。これが術式ならしい。教科書の隅に似たようなものを見たことがある。
その術式は光り出し、そこから火花が断続的に表れ、線香花火のように火花を散らしていた。
「こうやって、術式に書かれた効果を発動できる。まぁ、見えるようにしてやってるが、ほとんどの人は組まれた術式を見ることはできねぇ」
「魔力を知覚できないから、ですか?」
「正解。といっても、それなりに才か力がねぇと知覚できてもしっかりと見ることはできないんだがな」
火花の破裂が収まると同時に、術式が砕けるように消えていった。効果が終わったからなんだろうか。
「術式ってのは魔力の流れを制御して作るんだが、俺は自分の血を使って組んでいるんだよ」
「篠原さんの血、ですか」
やっぱりさっきのは篠原さんの血なんだろう。何かを媒体に事象を発生させる。どちらかと言えば都市伝説なんかで聞く呪術に近いと思うのだが、術式を組むと言うのがその境なんだろうか。
「俺は自分の血肉を好きに操れる。言わば特質だな」
特質とはその種族が持つ特別な力なのだが、鬼人種はその体躯に見合わぬ膨大な膂力。獣人種は卓越した五感・そして、そこからくる第六感と呼ばれるものだったり、人類は残存しやすい強力な遺伝子。などなど。
少なくとも僕が知る中で篠原さんのそれに近しい特質を持つ生物は妖精族か魔族なんて呼ばれる生き物ぐらいだが、この国の妖精族は絶滅したと言われてるし、魔族は太古に滅んだとされている。
つまり、篠原さんが人間ではないなにか特別な凄い種族なのかもしれない。
「んで、お前の質問の答えだが、血に含まれる魔力で魔術を使っていた。ってのが正解だ」
そんな話を聞いていて、僕はふと考えた。魔法は才能8割と聞くが、魔術は才能がそんなに要らないと言われてきている。だから、かっこいい魔術を僕も使えるのではないか? そして、今僕の前には、広いとはいえ国内を探してもまず居ないであろう、魔法使い。いや、魔術師がいる。全男子が憧れるとされる魔法。僕にも使えるだろうか。
「……あの、魔術って、僕にも使えますか?」
「無理だな」
「そう、ですよね」
思ったよりも、即答だった。まぁ、僕らの国は魔法適正が皆無と言われているから科学が発展したんだし、当たり前なんだけど。
ちょっと使ってみたかったな。なんて。
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