第12話

「う……」


 くうう。と鳴るお腹。恥ずかしくなって辺りを見渡すが誰もいない。よかった。

 晩御飯、皆で食べたらよかったな。なんて、後悔しても今更遅い。でも、皆で食べても緊張で食事は喉を通ってはくれないと思う。

 

 階段を降り切り、リビングに出れば見たことのない姿が見えた。椅子の端から床に垂れるふわふわそうな黄金色の尻尾。尾先の数から見て尻尾の数は9つ。椅子と腰の間に詰まる尻尾の根元は窮屈そう。長テーブルに伏し、静かな部屋を小さな寝息で揺らしているその人の頭の上には氷華さんのようにふたつの三角がついているが氷華さんのそれより柔らかそうな印象がある。黄金色の毛並みと9つの尾は小さい頃、本で見た九尾の狐を髣髴とさせる。

 今、この部屋で鳴っているのはその人の寝息と僕の歩く音のみ。できる限り音を殺し、僕はキッチンに向かう。その最中、寝息を立てるその人の顔に視線を向ける。長いまつ毛に隠された瞼の境目に高い鼻。端正な顔立ちと表現するのが正しいだろう。和服を着た9つの尾を持つ狐のお姉さんの下にはいくつもの紙があった。髪のせいで見えづらいが、なにやら文字が書いてあった。その中身を詳しくのぞき見はせず、僕は狐のお姉さんから視線を外した。

 

 そのままキッチンに入っても頭の上についた耳を揺らす少女はいない。それはそうだろう、こんな深夜なのだから。とはいえ僕自身、料理ができないわけじゃない。多分、何を使っても大丈夫だろうと僕は冷蔵庫を開けば、『りょう』と平仮名で書かれた紙が貼ってある器が目に入る。器を手にし、中身を見てみるとカレーライスが。ルーのせいで白米が見えない。ラップに当たりそうな程まであるルーから白米が丼の半分近くはあるんじゃないんだろうか。


「こんなに食べれるかな」


 僕はテーブルで眠る狐のお姉さんの寝息をかき消さないほどの声量を意識しながら呟く。起こしてしまうのはよくないだろうし。

 丼をレンジに入れタイマーを三分にセットする。狐のお姉さんが起きないか心配だったがそれは杞憂だったようだ。光こそ発したものの音は狐のお姉さんの寝息より小さなものだった。

 ぼーっと温まるのを待っているとテーブルの方から呻きに似た声が聞こえる。起きたのだろうか。と僕は目を向けるのだが、起きている気配はない。それがいいのか悪いのかはわからなかったが思わずため息がこぼれでてしまう。そんな気持ちを弾け飛ばすように鳴り響く高音。


「うわぁっ!?」


 ベルを全力で鳴らしたような音がレンジから鳴り響いたのだ。

 僕は驚いて思わず大声を出してしまう。その声に反応したのか狐のお姉さんの小さな唸り声が聞こえてくる。

 ふわりと耳が立ち、そのりと起き上がる狐のお姉さん。きょろきょろと辺りを見渡す紫の瞳と目が合う。


「あー……えっと、君は……?」


 灰色の髪の奥でぱちぱちとまばたきをする狐のお姉さんは首を傾げながら問いかけてくる。

 まだ眠気が取れていないのだろう。瞼を開けている時間より閉じている時間の方が長い。


「秋月涼です。今日からここに住ませてもらうことになりました」


「そっか、いろいろあると思うけどよろしくね」


「はい、よろしくお願いします」


「あはは、別に敬語じゃなくていいよ」


 目を細めながら話す狐のお姉さん。言葉を返そうとした途端、ピピとレンジから音が鳴った。

 温まったことを忘れていた。僕は急いでレンジから器を取り出す。中々に熱された器の熱量に手を離しそうになりながらも、カウンターテーブルに器を置いてしまう。


「ああ、涼くん。思い出したよ。篠原さんが言ってた人だね」


 椅子を引く音と共に狐のお姉さんは話し出す。


「ごめんね、寝起きだったからさ」


「ご、ごめんなさい。起こしてしまって」


「いいよ、別に。元から寝るつもりなかったんだけど寝落ちしっちゃってたからさ。逆に起こしてくれて嬉しいよ」


 くすり。と小さく笑う狐のお姉さんの声を聞きながら僕はスプーンを取り出した。僕の家の食器棚と同じようなものだったから位置はなんとなくわかったけれど、なんだか他人の家のものを漁っているみたいでなんだかいい気分とは言い難かったけれど。


「ごめんね、ここで作業してるけど気にしないで食べちゃってよ」


「わかりました」


 スプーン片手に椅子へ向かう最中、カリカリとペンの走る音が聞こえてくる。気になって横目で狐のお姉さんの手元を見てみると、紙の上に文字を綴っていた。そういえば佐藤さんが言ってたゆかりさんって人の特徴と合うな。

 狐耳に特徴的な尻尾。なんで今まで気づかなかったのだろう。


「ん……? どうしたの、そんなに気になるかい?」


 じっと見てしまったのだろうか、ゆかりさん? は僕に問いかけてくる。


「なにしてるんだろーなって思っちゃって、邪魔してごめんなさい」


「いいよ、気にしないで。そんなに気になるなら、完成した後に見せてあげるから」


「いいんですか?」


 少し食い気味に言葉を発するとゆかりさんは驚いたように目を丸くする。


「あ、うん。元から篠原さんに見せる予定だったし、ついでにね」


「ありがとうございます、ゆかりさん」


「あれ、私、名前言ったっけ?」


「あ、いえ……佐藤さんが話してくれたのでもしかしたらゆかりさんかなって」


「はは、合ってるよ。ほら、早くカレー食べておいで、せっかく温めたのに冷めちゃうよ」


 そう言ってくれたゆかりさんに頭を下げて、僕は椅子の元へ座りに行った。

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