第12話
「……知らない人だ」
階段を降り切り、リビングに出れば見たことのない姿が見えた。椅子の端から床に垂れるふわふわそうな黄金色の尻尾。尾先の数から見て尻尾の数は九つ。椅子と腰の間に詰まる尻尾のは窮屈そう。長テーブルに伏し、静かな部屋を小さな寝息で揺らしているその人の頭の上には、氷華さんのようにふたつの三角がついているが氷華さんのそれより柔らかそうな印象がある。黄金色の毛並みと九つの尾は小さい頃も本で見た九尾の狐を髣髴とさせる。
「寝てる……、起こさないようにしなきゃ」
今、この部屋で聞こえるのは、狐の人の寝息と僕の歩く音だけ。できる限り音を殺し、僕はキッチンに向かう。向かう最中に寝息を立てるその人の顔に視線を向けた。長いまつ毛に隠された瞼の境目に高い鼻。端正な顔立ちだ。和服を着た九つの尾を持つ狐のお姉さんの下にはいくつもの紙があった。髪のせいで見えづらいが、なにやら文字が書いてあった。その中身を詳しく覗き見はせず、僕は狐のお姉さんから視線を外した。
「確か、冷蔵庫にあるって言ってたよね」
キッチンに入っても昼に居た少女はいない。それはそうか。こんな深夜なのだから。
斎藤さんが冷蔵庫にご飯が置いてあるって言っていたし食べちゃおう。
「失礼します」
なんだか初めての場所で、自分のではない冷蔵庫を開けるのは変に緊張する。冷蔵庫の中で『りょう』と平仮名で書かれた紙が貼ってある器が目に入る。器を手にし、中身を見てみるとカレーライスが器の中に入っていた。かなりの量だ。ルーのせいで白米が見えない。ラップに当たりそうな程までルーがあるし、白米は丼の半分近くはあるんじゃないんだろうか。
「多い……こんなに食べれるかな」
用意されたとはいえ中々の量だ。物凄く太りそうだけど……まぁいっか。
「あれ? これ……時間設定できない」
温めるためにレンジを使いたかったが、レンジにあるはずのタイマーを設定するためのボタンやらなんやらがない。『start』と印字されたボタンが一つだけ。
「魔道具、なのかな」
魔道具。それは特に海外で流通しているもので、魔力だけで動く機械なんだけどこの国には動力にする魔力がない。そのせいで魔力を電気に変えるという工程を一つ挟んで、その電気を国中に分配しないといけない。おかげで、この国は電気代が海外の国より高いようだ。
レンジの中に器を入れて、スタートボタンを押す。
「全部自動だなんて凄いなぁ」
ぼーっとレンジを眺める。こういう魔道具には術式というものが組み込まれていて、その術式に魔力を流して使うらしい。
ちょっと期待外れ。なんて思いながら待っていると急に大きな音が聞こえてきた。
「うわぁっ!?」
僕は思わず大声を出してしまう。なんというか耳を通して聞こえてきたというよりも、脳内に直接。といった感じで今まで味わったことのない現象に驚いてしまった。その声に反応したのか狐のお姉さんの小さな唸り声が聞こえてくる。
起こしてしまっただろうか。カウンター越しに狐のお姉さんが居た所に目を向ければ、ふわりと耳が立ち、そのりと起き上がってきょろきょろと辺りを見渡す狐のお姉さんと目が合う。紫色の綺麗な瞳だ。
「あー……えっと、君は……?」
灰色の髪の奥でぱちぱちとまばたきをする狐のお姉さんは首を傾げながら問いかけてくる。
まだ眠気が取れていないのだろう。瞼を開けている時間より閉じている時間の方が長い。
「あ、えっと、秋月涼です。今日からここに住ませてもらうことになりました」
「そっか、いろいろあると思うけどよろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
「あはは、別に敬語じゃなくていいよ」
目を細めながら話す狐のお姉さん。言葉を返そうとした途端、ピピとまた頭の中で音が鳴った。
やっぱり変な感じだ。僕は急いでレンジから器を取り出す。中々に熱された器の熱量に手を離しそうになりながらも、カウンターテーブルに器を置いた。
「ああ、涼くん。思い出したよ。篠原さんが言ってた人だね」
椅子を引く音と共に狐のお姉さんは話し出す。
「ごめんね、寝起きだったからさ」
「ご、ごめんなさい。起こしてしまって」
「いいよ、別に。元から寝るつもりなかったんだけど寝落ちしっちゃってたからさ。逆に起こしてくれて嬉しいよ」
くすり。と小さく笑う狐のお姉さんの声を聞きながら僕はスプーンを取り出した。僕の家の食器棚と同じようなものだったから位置はなんとなくわかったけれど、なんだか他人の家のものを漁っているみたいでなんだかいい気分とは言い難かったけれど。
「ごめんね、ここで作業してるけど気にしないで食べちゃってよ」
「わかりました」
スプーン片手に椅子へ向かう最中、カリカリとペンの走る音が聞こえてくる。気になって横目で狐のお姉さんの手元を見てみると、紙の上に文字を綴っていた。そういえば佐藤さんが言ってたゆかりさんって人の特徴と合うな。
狐耳に特徴的な尻尾。なんで今まで気づかなかったのだろう。
「ん……? どうしたの、そんなに気になるかい?」
じっと見てしまったのだろうか、ゆかりさん? は僕に問いかけてくる。
「なにしてるんだろーなって思っちゃって、邪魔してごめんなさい」
「いいよ、気にしないで。そんなに気になるなら、完成した後に見せてあげるから」
「いいんですか?」
少し食い気味に言葉を発するとゆかりさんは驚いたように目を丸くする。
「あ、うん。元から篠原さんに見せる予定だったし、ついでにね」
「ありがとうございます、ゆかりさん」
「あれ、私、名前言ったっけ?」
「あ、いえ……佐藤さんが話してくれたのでもしかしたらゆかりさんかなって」
「はは、合ってるよ。ほら、早くカレー食べておいで、せっかく温かくなったのに冷めちゃうよ」
そう言ってくれたゆかりさんに頭を下げて、僕は椅子の元へ座りに行った。
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