第23話
「涼、なんでこんな所に、居なくなったって聞いて、俺、心配してたんだぞ」
「ご、ごめん。蓮くん」
信じられないものを見たような蓮くんの表情。僕の方に近づいてきて、肩を掴んでくる。僕を心配してくれている目だ。心が痛くなる。
「ごめんじゃねぇんだよ、他の奴らも先生も、みんな心配してるんだぞ?」
「分かってるよ」
「お前の母さんも、俺の家に来て聞いてきたよ、涼の居場所を知らないかって。聞いてきてたんだ」
「そうだよね。きっと、そうするよ」
「じゃあなんで――」
「――僕はあの家から逃げたかった」
蓮くんから息を呑むような声が聞こえてきた。真っ直ぐ僕を捉えていた目は伏せられてしまった。
「蓮くんの家でご飯を食べた時、僕は、僕の家がとても怖くなった」
「涼……」
「蓮くんの家は、僕にとって明る過ぎたんだ。見ないようにしていた暗い所を照らしすぎたんだよ」
「文学的だな。涼らしい」
「あはは。うん。気が動転しているかもしれない。変なこと、言っちゃってるな」
「帰らねぇのか?」
「帰らないかな」
僕がそう言うと蓮くんは諦めたようにため息を吐いて、僕に視線を戻した。
「……そうか。少しだけ、話しがしたい」
「うん。大丈夫だよ。どこか、座る?」
「そうしようか」
僕らが座ったのは近くベンチだ。誰にも会話が聞こえないわけじゃないけど、それ程重要なものを隠しているわけでもないし、僕たちみたいな子供の会話を深く聞く人なんてそうそういないだろう。
「涼は、俺らの家にきたせいで、家出をしようって思ったのか?」
「ううん。元からかな。きっかけにはなったかもしれないけど。蓮くんは悪くないよ」
「何で俺に相談してくれなかったんだ?」
「迷惑、かけたくなかったから」
お互いに顔は伏していた。僕はただ面と向かって話すことができなかったからだけど、蓮くんは賢いから僕の言葉の意図までしっかりとくみ取っているのかもしれない。
「そ、っか」
「迷惑かけるのだけは、嫌だったんだ」
「迷惑って思うわけ――ッ、ねぇだろって」
「うん。わかってるよ。でも僕が、そう思っちゃうんだ。それが嫌なんだ」
「――わかったよ。理由は、もういい。ああ。部活は心配しなくていい。元々、俺はシングルで行かないかって言われてたしよ」
涙ぐむような声だった。蓮くんから聞いたことのない声が聞こえてきて僕は思わそっちを見てしまった。
拳を強く握りしめ、歯を食いしばっているように見えた。体は小刻みに震えていて、雫がひとつふたつと地面に落ちていた。
蓮くんはテニスの試合に惨敗しても「次、頑張るぞ」と発破をかける方だった。泣いている所なんて一度も見たことがなかった。それなのに、僕のことを想って涙を流してくれている。
それがどうしようもなく嬉しくて、悲しかった。
「なぁ、涼。最後に、聞かせてくれよ」
「いいよ」
「今、どこに住んでんだ? ネカフェとかじゃないだろ」
「今はか――」
蓮くんの質問に答えようとした口は、誰かの手に塞がれた。手の先を目で辿っていけば篠原さんが僕のことを見下ろしていた。
「っ、何だお前!」
蓮くんが叫んで僕を引っ張る。僕は蓮くんが居た場所に転がるように寄せられて、蓮くんは篠原さんと僕の間に入り込んだ。
「喋り過ぎだ、涼。皆待っているから、早くしな」
「ご、ごめんなさい。つい」
「……知り合いなのか?」
「えっと、僕の住むところを提供、してくれている人、かな」
僕は説明が上手くできなかった。喋り過ぎという言葉が長話だけじゃなくて、その中身にも言われた気がする。
実際、霞之月荘の名前を口にさせないようにしていたし。
「それ、監禁とかじゃないよな」
「違うよ」
僕は思わず強い口調で言ってしまった。蓮くんは驚いたような視線で僕の方へ振り返っていた。
「悪いな、蓮。機密事項だと思ってほしい」
「なんで俺の名前を……」
「涼が楽しそうに聞かせてくれたからだよ」
篠原さんが言ったのは嘘だ。僕は1回も蓮くんの話を篠原さんにしていない。僕と初めて会った時にあった時と同じだ。どうにか手を使って名前を把握している。
「っ、申し訳ないです。俺が早とちりしてしまったから」
「かまわねぇよ。焦り、不安。痛いほどわかるさ。なぁ、涼」
「あ、はいっ」
す。と篠原さんの視線が蓮くんから僕の方へ向けられた。
「前の話、どうするか決まったか?」
「前の、話?」
篠原さんの言葉に反応したのは蓮くんだった。自分の預かり知らぬところで話された重要な会話が気になるのだろう。僕自身より僕のことを気にかけてくれているのだろう。
「決まっています」
一呼吸おいて、僕は口にした。
「僕は――」
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