第5話

 かつり。かつり。と妙に足音が響く階段を降りていく。

 荷物整理を終えた僕は他の人に挨拶をした方がいいかなと下へ降りていて、あと一段。というところで。


「お、新入りじゃん!」


 足音を聞きつけたのか、ソファに寝転がっていた黒い髪に赤い瞳をした女の子は手元にあるスマホのディスプレイから僕の顔に視線を移した。

 にぱぁと元気いっぱいな笑顔を僕に向けては体を起こし、ソファの背もたれを越えて、僕の方までやってくる。


「俺は菜の河 キョウカ、お前は?」


「えっと、秋月涼っていいます」

 

 じぃっと僕の瞳を覗き込むように話す菜の河さん。佐藤さんとユキさんが言っていた人で間違いないだろう。

 僕が自己紹介するなり肩を組まれる。ふわりとカカオのようなほんとりビターな香りが鼻をくすぐる。


「っしゃ、じゃ名前も知った事だし俺たち友達だよな?」


 にっ と元気よく口に出された言葉は否定を許さないよう。なのにどうにも悪い気はしなくて、承諾の意を込めてこくりと頷けばガッツポーズを取る菜の河さん。


 菜の河さんと他愛もない話をしていると僕らの元に影が差し、ビターな匂いが離れていく。

 菜の河さんの驚いた声に振り返れば抱き寄せられた菜の河さんと、その頭の上に見えるどこか凛とした顔。

 和装を纏ったその人は少し前に見た天邪さんだ。


「キョウカ。階段の近くで話していたら、邪魔になるんだゾ」


「んぁ、そっか」


「あ、天邪さん……ですよね? 初めまして……」


 無言で見つめてくる天邪さんに少し怖気付いて、自分の名前を発そうとした口が閉じてしまう。

 僕の挨拶に天邪さんは軽い会釈を返すだけでそれ以上の返答は返ってこなかった。


 「ほら、灯向も自己紹介しなよ」


「天邪 灯向。なんだゾ」


 菜の河さんの言葉を受けてか名前を教えてくれる天邪さん。


「悪いな、不愛想で。いつもはこんなんじゃないんだけど、疑心暗鬼で人見知りなだけなんだ」


 ははっ。とどこか申し訳なさそうに笑う菜の河さん。

 こうやってフォローする間柄なのだからきっとすごく仲がいいんだろう。ずっと腕の中に収まったままだし。


「よし。じゃあ、ちょっと移動しようか」


 するりと天邪さんの腕の中から抜けた菜の河さんは、先ほどまで自身が座っていたソファを指した。

 

   ◆

 

「へぇ、家出してきたんだ」


「少し、恥ずかしい話、ですけど」


 他の人の邪魔にならないよう、僕と菜の河さんはソファに座って雑談をしていた。

 僕の隣に菜の河さんが座って、その後ろに天邪さんは静かに立っている。

 菜の河さんに視線を向けるとこっちを静かに見ている天邪さんと目が合ってしまい、気まずさに襲われ、つい視線を外してしまう。


「恥ずかしくはないだろ。自分で行動できただけ偉いと思うぞ」

 

「そう、ですかね」


「ああ、俺はそう思うぞ。なぁ、灯向はどう思う」


 背もたれに大きくもたれかかって天邪さんを見上げる菜の河さん。菜の河さんに回答を求められた天邪さんはすいっと視線をどこか遠い場所へ向けた。


「……僕も、そう思うんだゾ」


 少し、声のトーンが下がっていた。菜の河さんに合わせて言ったのだろうか。それにしては言葉に重みがあるように感じた。


「な? 無理に思いつめなくていいぞ。ここには自分で行動しきれなかった人もいる。お前は凄いよ、涼」


 へら。と笑ってはいるが、どうにも菜の河さん自身の事を話しているような気がした。僕には想像できないような重い何かを話しているような。

 

「それより、ごめんな? 結構足止めしちまった。なんか用事あんのか?」


 僕の足を止めたことに謝る菜の河さん。用事っていってもちょっと喉が渇いたからなにか無いかなって見に来ただけなんだけど。


「大丈夫です、飲み物なくて探しに来ただけなんで」


 ぎこちなくなったかもしれないけどそう言って微笑んでみせると菜の河さんはふむ。と考えるような仕草を見せた後、ぴっとキッチンにある冷蔵庫を指差す菜の河さん。


「飲み物なら冷蔵庫に入ってんの好きに飲んでいいぞ。色々あるから好きに飲みなよ」


 そう言ってくれる菜の河さんに感謝の意を含めてひとつお辞儀をする。


「ありがとうございます。菜の河さん」

 

「キョウカでいいよ」


「キョウカ、さん」


 名前を呼び直すとにひっと笑ってくれる。

 同じように笑みの形を作ってみると自然に笑い声が漏れてしまう。


「じゃあ、また。キョウカさん、天邪さん」


 終始ほとんど口を開かなかった天邪さんにも頭を下げて僕はキッチンへ向かう。

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