第8話

 二度目の坂道を上る足取りは一度目より重く感じて、まるで沼に嵌ってしまったかのようだ。

 ようやく霞之月荘までたどり着き扉をくぐるが、気持ちに比例するように体も重くなったようだ。


「あれ? 知らない人がいる、いらっしゃーい!」


 思った事を全て口にしたかのような内容に視線を向ければ、その先にコーンのようなものが入った袋とマッチ、そしてフライパンを持った少女がいた。

 たしか猫街さんだった気がする。


「えっと、何をするんですか?」


「ポップコーン作ろーかなーって」


 思わず聞いてしまったが、返ってくるのは当然の答え。コーンとフライパンだけなら大体ポップコーンを作るだろうし。知らないけど。


「キッチン、使わないんですか?」


「今日は天気がいいから外でしようかな~って、貴方もする?」


 小説家なら太陽に例えそうな笑顔を僕へ向けてくれる猫街さんは、フライパンを持った手で手招きを(はたから見ればフライパンを振り回しているようにも見えるが)してくれる。


「いいんですか?」


「いいよ~、人数は多い方が楽しいしね」


 僕は急ぎ足気味に、猫街さんを追って庭に向かう。

 バーベキューセットをセットしている猫街さんのもとへ辿り着くと猫街さんは僕の方を向いて、天真爛漫な笑顔はそのままに宣言した。

 

「油忘れた!」


「あ、えっと。持ってきましょうか?」


「あは、ごめんね。頼んでいいかな」


 僕はリビングに戻ってキッチンへ向かえば、少し前に見た三角の耳がふたつ、左右に揺れていた。


「油、取りに来たんでしょ?」


 することがないか暇そうに椅子に座って、足をぷらぷらさせている氷華さんがそこにいた。

 液体の入った容器と塩を書かれた袋を膝に乗せている。僕がどうしてここに来たのかわかっている様子だ。


「猫街さん、油を持って行ってなかったでしょ、忘れてるんじゃないかな~って思って」


「わ、ありがとうございます」


「あと、塩ね。これも忘れているはずだから持っていってあげて欲しいの」


 膝の上に乗せていたふたつを僕に差し出してくれる、持たされた油が入った容器と塩を手にまた猫街さんのもとへ戻っていく。


「早かったね~。油の場所、分かったの?」


「氷華さんが用意してくれてました。あと、塩です」


「わ、ほんとだ。忘れてたな~」


 セットを組み終えたのか猫街さんは僕の方に振り返って、申し訳なさそうに笑っていた。

 僕は猫街さんに油を渡し、塩をが入った袋を猫街さんの足元に置いておく。

 目分量なのか、油をとぽっ。とフライパンに流し込んで、コーンを盛っていた。溢れそうなほどに。


「じゃ、蓋閉めちゃおっかな」


「流石に蓋、閉まらないんじゃないですか?」


「よゆーでしょー」


 これまた塩を多いと思うぐらいにふりかけた猫街さんは蓋を閉めた。猫街さんの言葉通り、蓋は簡単に閉まったが、ガラスの窓からパンパンに詰まったコーンが見えている。

 

 ――これで本当いけるのだろうか。できた時に溢れそうだけど。


「それじゃ、火、点けるね~。ちょっと離れてなよ~?」


 手を引かれてバーベキューセットから引き離される。体のバランスが取れると同時に燃え上がる火。

 バーベキューに似合わないその火は、霞之月荘の屋根に届きそうな程まで立ち上がり、火柱となって僕らの肌を熱した。

 突然のことに後ずさりした僕の隣で、楽しそうに騒ぎ出す猫街さん。


「え、えっと。何をしたんですか?」


 バーベキューセットじゃまず起きない火力。それに、猫街さんはこうなるのを分かっていたかのように騒ぐもので、聞いてみると無垢な笑みを僕に向けた。


「んふふ、これが私の力だよ。火をぼわってさせれるんだ。燃料にガソリンを入れたからねぇ、よく燃えるでしょ。これですぐ食べられるんじゃないかなぁ~」

 

 室内で見た時には持っていなかったというのに、一体いつの間にガソリンを入れたというのだろうか。

 いや、ガソリンにしても燃え上がり過ぎている気がする。

 フライパンが溶けないか心配になってきて猫街さんの方を見てみると目が合ってしまう。

 先程まで楽しそうにしていたのに今の猫街さんの表情からはそんな風には見えない。だらだらと冷や汗をかいているのがわかる。

 僕はというと不安で固まってしまいる。面白いことをするって佐藤さんは言っていたけれどこれは楽しそうというより危ないことなだけに思えてしまう。


「ど、どうしよっか」


 火を消す術がないのかそんな事を言い出す猫街さん。額に感じる汗は火柱からくる熱気のせいだと思いたくなる。


「ど、どうにか、できないんですか? 火、火を操れる、みたいなこと言いませんでした?」


 猫街さんは、目を逸らした。


「いや~、着火しかできないというか~」


 もにょもにょと、口を動かして一向に僕のことを見てくれない。どうやら猫街さんには解決策がないということだ。


「水は有るんだけど、ガソリンに使うのはよくないよね?」


「だ、だめだと……、どのくらいで消えるんですかね」


「私の火はそう簡単に消えないんだよね~」


 わはは。とついに笑ってしまった猫街さん。

 衰えそうにない火柱を前に立ち尽くすしかないが、足元から紅い濃霧が立ち込めてきて、火柱と僕らを飲み込んでしまう。

 手を伸ばせば、その先すら見えない程まで霧は濃く、数秒ほど経てばゆっくりと濃霧が晴れていく。


 既に火柱は消えていて、そこには、あれだけの炎に晒されたにも関わらず、特に変化が見えないバーベキューセットと中から出来上がったポップコーンが溢れているフライパン。そしてとても気まずそうにしている猫街さんが見えてくる。


「あはは、翔太郎に怒られちゃった」


 僕の方を見て乾いた笑みを浮かべた猫街さんは反省しているように見えた。それと、猫街さんの発言的に、さっきのは翔太郎さんの仕業なのだろう。


「ま、無事に完成はしたし、食べちゃおっか」


 いつの間にか皿を持っていた猫街さんは皿の上にポップコーンを盛っていく。縁側に座った猫街さんの隣に座らせて貰い、ポップコーンを1つ、口に入れる。


「次はガソリンの量、減らさないとね。あそこまで燃えるのは予定外だったもん」


 どうやら、全然反省していないみたいだ。


「が、ガソリン入れるのをやめたらいいと思うんですけど」


「やだよ。私の火は“ばぁん!”って感じで燃えないから」


「そういう魔法しか、使えないんですか?」


 魔法というのは性質や、特徴で種類分けされているらしい。

 火を操る魔法でも爆発するものから熱気を出すものまであり、一般人でも使えるとされる魔法には蝋燭ほどの火を出せる魔法がある。猫街さんも魔法が使えるならそっちを使えばいいのに。

 

「んーとね。私、魔法は使えないよ」


「そう、なんですか?」


「なんて言えばいいんだろ。妖術って言った方がいいかな? そんな感じの」


 猫街さんは身振り手振りをよく使う人だ。手を大きく広げたり、顎に手を当てたり。声の抑揚だけでもわかりやすく話しているのに、それに身振り手振りも加われば感情の内がよくわかる。

 それはそうと、妖術を使うのはあやかしと言われる種族だけだと教わった。つまり、猫街さんもそうだと思う。

 妖とは、東北の地に見られる妖精の親戚みたいな種族で、別の国からやってきたものとされているが、この国ではまず見ることはできないと言われている。

 理由は、これも魔力が少ないから。妖精も、妖も、魔力を糧に生きると聞くし、この国での生存は難しいのだろう。


「妖怪、ってことですか?」


「ん~、まぁそんな感じ~」


   ◆

 

「ところでさ」


 ポップコーンの残りが、半分ほどになった頃、猫街さんの声のトーンが真剣なものになる。翡翠の瞳は僕を捉えて、先ほどまでの空気感をさらっと変えられてしまう。


「何か悩みごととかあるの?」


 瞳の中を覗き込むように見られて、思わず息を吞んでしまう。

 なぜ、妖と称される種族が、俗称で妖怪と呼ばれるのか。それは、人に害を与え、恐れを生み出すような、不定形で意志も持たないものが殆どだからだ。

 こんなに交流を持てる妖はそうおらず、強大な力を持つ妖のみとされている。そんな猫街さんが、ただ純粋無垢で元気な少女の枠で収まるわけが無かった。

 

「さっき、外で見かけた時に思いつめたよな表情してたからさ~」


 見られていたのか。一体どこで見ていたのだろうか。そんなことを思い悩んでも妖の前では考えるだけ無駄だろう。

 とは言っても、本当のことを言ってもいいのか。僕が居るだけで迷惑になるんじゃないか。なんて。

 そんなことを考え、悩んでいると再び猫街さんが口を開いた。


「言いたくないならいいんだけどさ。何か困った事とか、心配事があるならいつでも言ってね? 解決できなくても、気分転換とかさせてあげることはできると思うしね」


 僕はその言葉に頷くことしかできなかった。


 猫街さんはあれ以上、なにも聞いては来なかった。

 在り来たりな雑談をしながら食べたポップコーンはどこか塩辛い気がした。

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