st.3 たかが一歩。されども一歩。

 善は急げという。僕は港の中まで走って向かった。途中で、勝手に入ってよかったのだろうか。なんて考えてしまったけど。それを反省する頃にはもうふたりの背中が見えていた。

 息を整えるために深呼吸をしているとお爺さんと目が合った。でもお爺さんは僕に声をかけず、お兄さんに話しかけていた。その後ろ姿を見ながら息を整え、僕は口を開いた。


「あの、すみません。す、少し、いいですか」


「――何の用だ?」

 

「っ、えっと」

 

 僕が声をかけるとお爺さんではなく、お兄さんが視線を僕に移して言葉を口にした。

 紅みがかった透明の髪には所々深紅の髪束があり、灰色のバーカーの上から黒のジャケットに袖を通している。

 まだ海の方に足を投げ出しているお兄さんの紅い眼差しは、優しいと思えるはずなのに睨みつけるようなで目に捉えられ、思わずすくんでしまう。

 

「俺に用があるんだろ?」


 それを見かねたのか海側に投げ出していた足を戻し立ち上がりお兄さんは僕に声をかけてくれる。

 ただ、その物言いは刃物を想起してしまう程に冷たく鋭いものだったが。

 決してパーソナルスぺースが狭くない僕でもお兄さんが一歩近づく毎に、離れて逃げ出したくなる恐怖に似た何かが僕に襲ってくるが、僕は喉を振るわせて声を出す。


「あ、あの“ 紅霧島 ”、知りませんか」


「――ああ。そのことなら知ってるが」


 わざとらしく間を開けて発せられた言葉に僕は驚いて目を見開いた。僕の瞳に映るお兄さんの紅い瞳は楽し気に煌めいていて、ぞくりと背筋が凍るようだった。


「それで、そこがどうしたんだ。秋月しゅうづき 涼」


 「え、ど、どうして僕の……名前を?」

 

 紅い瞳を瞼のから覗かせているお兄さんはやっぱり楽し気に話し出す。強調するようにまだ教えてない僕の名前を口にして。

 

「どうだっていいだろ? それよりも、どうしたんだ? その島が」


「えぁ、その、その島に行きたいんです」


 覚悟を決めるために一度息を吸って答える。僕を捉える紅い瞳が僕を離してくれない。見上げるように見たお兄さんの口角は高く上がっていた。


「そこは秘島だなんて言われていることだが。でもまぁ、そんな秘島に簡単に入れちゃ、名折れにも程があるだろ?」


「そ、そうです、ね」


「だから、まぁ。入れる人は選ぶわけだ。招待制ってところだな。 ――爺さん、また来るよ。病気なんねぇようにな」


  お兄さんはお爺さんに声をかけにいった。今から出発する挨拶を交わしたのか、お爺さんから離れ、軽快な歩調でお兄さんは港と海の境界線まで歩いて行った。

 港の縁で歩いて行き、半回転したお兄さんは静かに僕の方を見てくる。


「あの……」


 僕は色々な疑問に包まれ、お兄さんに聞きたいことが山ほどでてきた。僕がその答えを聞くために口を開こうとしたけど、お兄さんの言葉に遮られた。


「この先にお前を待つ家がある」


 視線を一度海の向こうに向け、親指で示す。何がなんだか分からない僕を見て、ほんの少し笑い声をこぼしたお兄さんはジャケットの中に手を入れた。

 ジャケットの内ポケットからだろうか、取り出された一枚のカードらしきもの。ぴっ、とそのカードは投げられて僕の足元で跳ねる。プラスチックだろうか。軽い音が聞こえてくる。


「それが招待された証で、資格だ。後は一歩。お前の選択だけだ一歩。たった一歩だ。それだけで変わることも――あるかもな」


 そこまで言ってお兄さんは、一歩後ろに下がった。踵は地についていなかったはずなのに。

 お兄さんの体が、がくん。と落ちて傾いて、水面と並行になって、お兄さんの姿が視界から消えた。

 僕は急いでお兄さんの姿を確認しに行ったが、水面は穏やかなままコンクリートに打ち付けられている波の水しぶきと音が立っているだけだった。


 「え、なにがっ、起きて……」


 お兄さんが消えた。僕が知っているものでこんな芸当ができるのは魔法ぐらいだ。けれど、この国で魔法を使える人なんて一握りにも満たない。

 この国で息づいてきた三種族はどれも魔法を使わずに生きる種族というのと、魔法を扱う人種がここに来たとしても力を存分に使えないというのがある。この国に魔力と呼べるものが全くと言っていいほど存在していないからだ。


 そもそも魔法なんて身近じゃないし、魔法を披露されたと理解しても即座に受け入れるのは難しい話だった。


「あ、あの……っ、あの人は、どこに?」


 思わず、お爺さんに尋ねると温和な表情を僕に向けて、静かにほほ笑んだ。


「きっと私が答えるのは違うんだと思うよ。彼は、君の選択を楽しみにしているじゃないかな。ほら、失くしてはいけないよ。これは君が勝ち取ったものだ。君の未来を新しいものに変える切符だからね」


 お爺さんは僕の足元に落ちたままのカードを拾い上げ、僕に渡してくれた。

 黒いカードだ。片面には紅葉が象られたマーク、もう片方には魔法陣、だろうか。僕はそれを背負っているカバンの中にしまってお爺さんに向き合う。


「さて、あと一歩。頑張りなさい」

 

 僕と顔を合わせると、笑顔のままそう言ってお爺さんは去ってしまった。

 あと一歩。お兄さんが言った言葉だ。きっと、お兄さんはその一歩を僕自身に歩んで欲しいと思っているのだろう。だから、お兄さんが居なくなった海に向き合って考えることにした。

 どうやってお兄さんはいなくなったのだろうか。魔法の中でも可能性があるのは、魔法が発達した国にある常設型の転移魔法テレポーターの存在だ。

 所謂、駅と同じ役割をしているものでお金を払って、テレポーターがある所に行けば、別のテレポーターがあるところにワープできるらしい。魔法が使えない人でも使えるから桜都でも採用されるという話をニュースで見た気がする。もしそれが、ここにあるなら。


「移動できるなら、できるはず……。海に落ちるわけじゃない」


 息を整え、そのまま走り出す――。

 重力に負けて体が沈んでいく感覚とふわりと浮くような相反する感覚。体の中にあるなにかが消えてしまいそうな表現できないなにか。未知こそ恐怖の根源だと誰かが言ったけどその通りだと思う。

 息が詰まるような恐怖に包まれていたが、背中から心地よさを覚える熱が広がっていく。自分の存在が明確になっていくようだ。


「――っ、は」


 海上に投げ出した足はそのまま何も踏みしめることはなかったはずなのに、僕の足は地面を踏みしめていた。夏の陽光が照り付けていた港から一変して陽光は遮られ、心地よい風が吹く山中に僕は移動していた。

 僕は自分の身体に触れる。一瞬、ほんの一瞬だけ自分が居なくなったような感覚に襲われたから。

 怪我もない。痛みもない。正しかったと考える方がいいのか。


「それにしても……ここが、紅霧島」


 噂通りだった。今は真夏なのに、紅葉が空を覆い隠していて、少し先を見れば少しだけ紅く霧がかっている。

 初めて見る景色なのにそんな風に思えなかった。なにか、どこかで見たような。

 けれど噂通りで、壮観だ。


「来れたんだ……」


 僕は息を吐いた。心地いい風に身を任せたい気分になる。

 目の前に続くのは一本の道だけ。きっとこの先に“かすみのつきそう”があるんだろう。

 ここまで来たのならその先にも行ってしまえばいい。解けてしまっていた覚悟を再び引き締めて僕は山道を登っていく。


 ◆

 

「ここが、霞之月荘」


 僕は扉の前で立ち止まってその名前を声に出した。


 山道を登って10分と少し。どこか歴史を感じさせるような外見を持つ建物の前に僕は来ている。

 扉の横には看板がかかっていて、そこには『霞之月荘』と書かれていた。あのお兄さんが言っていた建物はここで間違いないと思う。

 

 どれぐらいだろうか、扉をくぐればいいだけなのに、僕は1歩も進めずにいる。僕の頭の中で渦巻く疑問のせいだ。


 ――こんな僕でも馴染めるのだろうか?

 

 そんなものは行かなくちゃ分からないのだが、分からないのは少し怖い。けれど止まってちゃ今までと同じ。進まなくちゃいけない。

 

 扉越しに声が聞こえてくる。僕がきっと求めてきたものがここにある気がする。ずっと求めていたものが。扉に手をかけゆっくりと引いていく。祭囃子のような声を耳にしながら。

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