第2話
「ただいま」
「お帰りなさい。今日はずいぶん帰ってくるのが遅かったじゃない」
家に入ると母が笑顔で出迎えてくれる。リビングに居て僕の帰宅を確認したわけではなく、玄関に立って僕の帰りを今か今かと待っているようだった。
「蓮くんと練習していて遅くなって」
「あら、そうなのね。よかったわ、どこかで遊んでいたわけじゃないのね」
にこやかに母はそう言った。母は遊ぶのを良くないと思っていて、休日はもちろん自由に遊ぶ時間なんてろくにくれない。それこそ放課後に遊ぶなんてもっての外だ。
何か結果を残した後は一日だけ休ませてはくれるけど、それ以外の日は勉強か運動ぐらいしかさせてくれない。世間一般でいう教育ママというやつだ。
「遊ぶ時間なんてないのはわかってるから」
反抗すればいいじゃないか。そうやって世間は言うに違いない。僕も第三者だったらそう言ってる。いや、当事者でもそう思っている。反抗して遊んだっていいんじゃないか。って。
でも反抗したところで家庭で何が変わるのだろう。子は親に敵わないものだ。
「分かっているのならいいわ。ほら、晩御飯までゆっくりしなさい」
「うん。わかった」
もちろん、ただ時間を潰して。という意味ではなく、勉強をしていなさい。という意味だ。
母の格言。いや、迷言に『座ってやる勉強は休憩になる』というのがある。そして頭を使って疲れたのなら運動をしろ。だ。
ランニングなり筋トレなり頭を極力使わない運動でテニスの為に時間を使え。だってさ。
自身を産んで、育ててくれている母が偉大な存在だと言う理解はちゃんとある。でも母は精神的な拠り所とはい言えず、心が通じ合っている仲とも言い難い。父もそうだ。
昔の話だ。この国には3つの種族が息づいていた。もちろん、種族間の融和はそう簡単じゃなかったが、今になってはその三種族が手を取り合って過ごしている。
そしてその過程は僕らの家庭と少し似ているな。なんて勝手に感じている。
十数世紀も遡る程前、僕らの国は人類、獣人種、鬼人種の三種がこの島の中で睨み合いをしていたらしい。
まず人類と獣人が協定を結んだ。しかし鬼人種は誇り高く、協定を結ぶことを従属に近いものとして捉え、人類側からの提案を断ってしまった。
人類側の提案を受け入れ協定を結んだ獣人種を家畜化した劣等種と罵り、種族間の亀裂が深まってしまった。そのせいでただ睨み合うだけだった関係が対立に近づいていったのだ。
さて、この話が僕の家族とどんな関係があるのかだが。僕が鬼人種で、母が人類。そして父が獣人種に当てはまる。
まぁ、僕は鬼人みたいに誇りがあるわけじゃないけど。
でも、僕からして父は母に懐柔された大人としか思えないし、母は僕をうまく取り込んで好きなように扱おうとしているとしか思えなかったのだ。
それは年齢故の考えだとも思うけれど、それに収まらない感情が僕の中に渦巻いていた。
だが、反抗できないことを僕は理解していた。年齢が年齢だし、お金の問題もある。だから僕は我慢した。
母が少しでも僕への監視を緩めるように母が望む高校に入学。勉強とスポーツをどうにか上位に食い込んで、何とかバイトをさせてもらえることになった。
母ともいい関係になっていったと思う。それでも食事の際は母がずっと、僕の未来について話をしていた。父は黙って肯定の相槌を打つだけ。
僕は鈍っていたのかもしれない。何年も繰り返されたそれを普通だと思ってしまっていたから。
ある日、僕は蓮くんの家にお邪魔することとなった。
小学生の頃から誰かの家に行かせてくれなかった母がそれを許してくれたのは、蓮くんが部活では僕と同じレベルで成績では僕より少し下だったからだろう。
自慢がしやすく、話がよく合う蓮くんの母が気に入っていたのだろう。
蓮くん宅で僕が見たのは家族の暖かさだった。家族全員で楽しく談笑する様子は僕に新鮮さと同時に疑問を与えてくれた。
家族全員が自ら自分のことを話して、話題を拾って楽しく共有していく。
僕の家じゃありえない光景だった。その光景に羨望すればする程、自分の家の現状に疑問が浮かんでしまう。
そして、気づいてしまった。ああ、やっぱり我が家はおかしいんだな。と。
けれど、そこから逃げ出す術はどこにもない。警察に母からの束縛が酷いと通報する? いいや、あくまで束縛が酷いだけ。それが刑事罰を与えられるものだとは思えなかった。
蓮くんの家族に助けて貰うか? ただの家庭環境のためだけに迷惑をかけるわけにはいかない。自分でどうにかするしかない。そう思ってしまったのだ。
僕は藁にもすがるような思いでいろんなことを調べていった。独り立ちについて、一人暮らしについてなど。そこで見つけたのが “ 紅霧島 ” の噂だった。
それから日に数回。僕の目に、あるいは耳にその言葉は入ってくるようになった。なにも変化のない日常の一部に忍び込んで、僕にその存在を認識させようとしてくるように。
僕は、しばらくその存在を見ないふりしていた。どう考えても怪しいからだ。しかし、そんな抵抗は半月も続かず、ついにその名前を検索ボックスに入れてしまった。
理由は単純。住処が見つからなかったからだ。バイトをしていたといえ、そもそも部活と学業にお金をかけてしまっていた。
マンションを借りるお金など、過ごし続ける貯蓄があるわけでもない。僕は藁にすがる資格すらなかったのだ。
だけど僕はここで立ち止まるつもりはない。泡のような希望でも捕まなくてはならないのだから。
紅霧島についての記事はいくつか見つかった。しかし、どれも言っていることが微妙に違っていて信じるには根拠が薄かった。
なにしろ、名前を調べても出てくるのはブログや有名なSNSの投稿ばかりなのだから。
ただ一つ得られたことは、そこに行くための港の位置。この島に行けたという人はこぞってその港に足を運んだという。
行けなかったという投稿もたくさんあったが、実際のことは自分の目で確かめないとわからないだろう。
もし、何も得られなかったら、大人しく戻ってこよう。そんな決意を決めて、こっそり家出の準備を始めていった。
ほんの一,二カ月だったが、準備ができた。
最低限、迷惑をかけないようにバイトはやめた。理由は学業に専念するためとしておいた。流石に家出のためだなんて言えないから。
そうして僕は紅霧島に向かうため、家を出た。
◆
「あの人たちは……」
約半日かけてようやく件の港が見えてきた。港までは徒歩でしか行けなかったから少し大変だったけれど、すぐにふたりの姿が見えてきた。お爺さんと青年のふたりだ。そのふたりは港から海に足を投げ出していて、談笑をしている。どうやら僕のように噂を確かめに来たわけではなさそうだった。
もしかしたら、あの人たちは何か知っているのかも。
「行ってみなきゃ」
僕は地面をめいっぱい踏みしめていった。
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