第17話
「あの、なにかあったんですか?」
僕とユキさんは篠原さんに集められていた。朝一に篠原さんから降りてこいという連絡が来ていた。連絡先を交換していないはずなのに。
ユキさんも同じなのか僕が降りてくる頃には篠原さんと話をしていた。今日は正装といった感じで白のシャツに黒のスカート。しっかりとネクタイまで締めて、髪は昨日と同じで高めの位置で結われていた。
「えっと、詳しいことは言わないように言われてますので。とにかく私から離れないようにしてくださいね。それと、なにかあった時は目を閉じておいてください」
ユキさんの印象はやわらかくふわふわした綿菓子のような人だったけれど、今のユキさんは芯があって凛としていた。まるで人が変わったようだ。
「さて、そろそろ主役がやってくるぞ」
「行きましょう」
ユキさんに手を引かれて、椅子に座る。
ユキさんと篠原さんがアイコンタクトを交わした。僕はついていけず戸惑ったままだったけれど、ユキさんはそれを察知してか僕の手を握って安心させようとしてくれた。
「安心してくださいね。私、こう見えて結構強いですし。涼さんの事はこの命に代えても守ってみせますから」
篠原さんが座った椅子の後ろ。それが僕とユキさんが座った位置だ。テーブルの位置を昨日と変えたのだろう。僕らの正面には玄関の扉がくるようになっていた。
少し時間を置いて、ノック音が3回鳴った。待ちぼうけになって丸くなっていたユキさんの背はピンと伸びて、篠原さんも座りなおす。僕だけが何もわからず、握られたままの手から伝わる緊張という情報を感じるしかなかった。
篠原さんが指を鳴らすと、扉が開いていく。内開きで大きいあの扉を開けるにはの向こうに見えたのは軍服を着た男性と和装の男女がいた。
和装の二人は額から2つの角を生やしている。この国の北側に多い鬼人族の特徴だ。
「鬼人種の護衛がふたり、か。喧嘩でもしに来たか?」
「いや、違う。そんなつもりはない。前回、バカな部下が粗相をしたからな」
座ったのは軍服の男性だけだった。鬼人種の二人はその後ろに立ち、いつでもアクションを起こせるように待機しているように思えた。軍服の男性が座っているのはいつもリビングに置かれているソファーだ。あのソファーには僕も座ったことがあるが、かなり柔らかくて沈むような座り心地だった。きっと、何かあっても急に動けない。それをわかった上でソファーに座ったということは護衛だと思うふたりに絶大な信頼があるのだろうか。
「……前回の落ち度を反省したのだ。この二人はそれ故にだと思ってくれ。鬼人種は規律正しい種族。こういう機会には適任だと思って連れてきた。紹介しよう、
「紹介なんざいい。それで、今回はなんの用だ?」
「言わずもがなだろう。その少年についてだ」
ピリピリとした会話の中で話題に出てきたのは僕だった。まぁそうだろう。軍服ということは政府の人で、僕は家出した行方不明者、篠原さんは行方不明者を家に入れている誘拐犯ってところだろうか。
その捜索でここを候補に入れたのは、僕の動向を調べてここに行きついたのか、ここの噂を認知しているのか。どちらにしろ、僕を引き戻すためにガタイのいい三人でくるのは異常だろう。
「それなら、なんにせよ答えはノーになると思うが」
「……まぁ、そうだろう。貴様がただの誘拐犯でないことは理解しているし、少年の境遇を全く知らない訳でない。だが、それは二の次だ」
「ユキ」
篠原さんがユキさんの名前を口にした。すぐにユキさんが動いた。いや、先に動いたのは鬼人種の男、多分郷羅って人だと思う。
何が起こったか分からないけど、ユキさんと郷羅、さん? は僕らの視界から消えて、後ろの窓が割れる音がした。
「――ユキさんっ!?」
僕は慌てて後ろを振り返った。ユキさんと郷羅さんは互いを抑えようとしているみたいだった。
鬼人種相手に人類が取っ組み合いをできるわけがないのに、ユキさんは郷羅さんに喰らいついていた。あの人をこちら側に来させないようにしているのだろう。
「諦めてくれないか。我々が君たちに対して、何の策も持って来ていないと思っているのか?」
後ろを振り返れば篠原さんは手を前に向けた格好で固まっていた。
それが縛られているとわかったのは、篠原さんの首に細い糸のようなものが食い込んでいて、そこから溢れた赤い血液が篠原さんの白い肌を汚していたからだ。篠原さんを縛る糸を辿れば鬼人種の女性、白楽さんの指から出ているようだ。鬼人種が強い力を持っている以外、『特質』があるなんて聞いたことがない。
「今回の事件をきっかけに私は貴様の処理をしたいと考えている。我が国の癌を排除したいのだ」
「国の命令か?」
「私の独断だ」
白楽さんが両手を引いた瞬間、篠原さんの体から血が噴き出て、僕は思わず目を閉じてしまった。
「指を鳴らす。それこそ貴様が術を使う合図だろう? 指に集中して縛ってある。菜の河ユキ。彼奴は鬼人種と真っ向から殴り合えない。それに他のやつは居ないだろう。あとで一人ずつ確保、保護するつもりだ」
「長々と弁垂れるなんてずいぶん余裕なんだな」
「いや、そうでは無い。こちらとしてもこんな予定通りにいくことは予想外だ」
目を閉じていた僕は、軍人の男の言葉に違和感を覚えた。指を鳴らして術を使うという点だけど、僕に見せてくれた時は一度も指を鳴らしていなかった。指を動かしたりしていることはあったけど、鳴らしているのは見たことがない。指を動かしていたのも物を操作したりしている時だけだった。
「ひとつ、間違いを正そうか――《
少しの静寂のあとに紡がれた篠原さんの言葉。そのすぐ後、爆発したような音が聞こえてきた。ついどんな状況になったのかが気になって目を開いてしまった。それがいけなかった。僕は、焦げ臭い匂いと共に白楽さんの頭が吹き飛んでいるのを目撃してしまった。
「――ッ」
白楽さんの顔はまだ思い出せる。大人げで整っている顔立ちだった。白い髪に青い瞳。街中ですれ違えば、思わず振り返ってしまいそうな程、綺麗だった顔はその影すら残っていない。首より上が消えて、血を噴き出している。
その衝撃に目を閉じられない。崩れ落ちた白楽さんがいた空間を見ることしかできなかった。
立ち上がるような素振りを見せないまま目の前から消えた篠原さんと交代するかのように、軍人の男を押さえに行ったのはユキさんだった。
後ろから衝撃音と誰かのうめき声。そして、ガラスが割れる音。1つの影が僕らの頭上を通りすぎていった。がしゃん。とボロボロになった窓枠を庭に捨てつつ、篠原さんがこちらに戻ってくるのを首を後ろに捻ってみることができた。つまり、飛ばされてきたのは郷羅さんだった。
抵抗できないまま喉に刃を当てられた軍人の男と、玄関の近くまで吹き飛ばされた郷羅さん。そして、亡くなってしまったであろう鬼白楽さん。服はボロボロだが、肌にそれらしい傷はないユキさんといつも通りの篠原さん。あと、動けない僕。
十分と経たない間に、話し合いの場は殺伐とした空間になり果てた。
「さて、どうする。まだやりてえか?」
篠原さんの問いに、軍人の男は悔し気に声を漏らした。篠原さんは僕の方に来て、下を向くように僕の後頭部を押してくれる。それまで近くで起きる惨劇を見ることしかできなかったが落ち着きを取り戻す時間を得ることができた。
でもそれは、僕に見せられない惨劇がまた起きることを示唆しているようで僕はこわばってしまう。
「耳塞いでろよ」
それだけ言って僕の傍から足音が離れていった。僕は両手で耳を塞いだ。できる限り聞きたくない音を聞かないように。
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