第18話

「天使様がお見えになるなんてな」


 まさか天使に会えるなんて思わなかった。天使の力を持った奴ってのは何度か出会ったこともあるが実物は初めてだ。とはいえ、完全なソレというわけではなさそうで、『人間は天使になるために生み出された』なんて説をを裏付けるように天使様は肩ほどある銅色の髪に黒の瞳という、純白の二枚羽と頭上の光輪を除けばどこにでもいるような容姿だ。


「――ははっ」

 

 ユキの頭部を斬り刻んだ光剣は天使の力によって生み出された魔力でつくられているのが目に見えている。極北の国じゃ『神力しんりょく』と呼ばれているものだったか。魔力を打ち壊す魔力。俺みたいな再生能力持ちの弱点。あれを受けるのはできるだけ避けたいものだ。

 

 普通の生物ならばまず避けられない速さの喉を狙っていた一閃。それは皮膚に掠りもせず、かがんだ俺の後ろ髪を払って散らした。横振りの速度を落とさぬまま振り下ろされた二撃目は天使の手を掴んで防ぐ。潜り込むようにして天使との距離を吐息が聞こえる程までに近づき天使と目を合わせる。驚きの表情をした天使に対し、勢いを付けた片肘をその腹に打ち込む。

 

 「ッあぅ゛」


 顔を歪ませた天使の口から出た嗚咽。先ほどまで浮いてた天使は顔から床に落ち、うずくまった。

 

「思ったより丈夫だな」


 割と痛手になるようにはしたにも関わらず、天使はすぐに身体を起こして俺を見上げてくる。追撃はしなくていい。虐めすぎると見ていないとはいえ涼が辛い想いをしかねない。悲鳴が聞こえたら怖いだろうし。


「舐めプかよっ――《満ちる光フラッシュ》‼」


 放たれたのは閃光を発生させる魔法。天使の掌に現れた光球を視界に入れてしまい、視界がホワイトアウトする。

 《満ちる光フラッシュ》は光源を生み出す簡易的な魔法で、使用目的としては懐中電灯と同じだ。だが、今回この魔法が使われた理由はもう1つの効果、使用者が敵と認識した相手にのみ目が眩むほどの光として認識させる。というもの。

 光球を見てしまった時点で瞼を閉じようが視界は光に包まれてしまう。防犯グッズにも使われる程度の魔法だが、ほぼ確実に視界を奪われてしまう。しかし、それは一瞬だ。すぐに視界は戻ってくる――。


 「――《天昇てんしょう滅光ニルヴァーナ》‼」


 視界が元に戻ると同時、身体を焼かれた。《天昇てんしょう滅光ニルヴァーナ》。異種異形、とくに魔族を滅ぼすための魔法。人には扱うことができない太古の魔法が1つ。だったか。

 天に昇るように現れる光によって低級と称される魔物をいともたやすく撃ち滅ぼすことのできる魔法なはずだ。一度見たことはあるが、なるほど。実際に受けるのは初めてだが想像以上だな。


 身体が崩れるような感覚に苛まれながら、左腕に意識を向け、

 天使に対し変異させた左腕を向ける。変異した左腕は二回りほど大きくなり、きめ細かな黒い鱗に包まれ、その指先は鋭く猛禽類や猛獣の爪を想起させる程鋭いものに変わっている。屠るための腕。そして、俺の素体の腕だ。


「んぐ――」


 立ち上る光から抜け出し、天使の小さい頭を掴みかかる。指は光輪をすり抜けて天使の頭が掌に収まる。床を踏みしめ、壁に向かって加速。その小さな頭を壁に叩きつける。この家の壁には魔法に対する防壁を張ってあるが、物理的な攻撃に対する何かは仕込んでいない。普通の人間なら頭蓋を潰せる勢いでやったとは思っていたのだが、壊れたのは壁だけだったようだ。壁より天使の頭が固いのか。面白い。

 

 《天昇てんしょう滅光ニルヴァーナ》。中々嫌な魔法だった。魔を滅す光炎こうえん魔法だとは知っていた。悪しきものを焼き焦がし、善悪のない物質には脅威を持たぬ炎のような熱を持った光。

 それなりの魔法耐性があるはずの俺の肌は爛れるように焼けている。『特質』を利用して編み出した衣服ですら酷い有様だ。布地に可能な限り近づけているにも関わらずこの有様となれば、魔を滅ぼす。というより魔力に攻撃している。と考えた方がいいか。

 

「もう終わりか?」


 案外再生が早く終わるな。予測していたところじゃもう少しかかると思ったのだが、魔法の性質によって違うのか。ダメージを受けた身体は健常体に、衣服も新品同様に編み直せた。

 天使の頭から手を離せば、崩れるように落ちる身体。俺の問いには答えることは無く天使が動く様子はない。


「なぁ、樫野」


 まずはユキの確認。頭部は既に再生しているが、意識がまだ。ってところか。

 次に涼。びくびく震えている。流石にこの状況は一般人にはきつかったか。

 最後に樫野。絡新婦の鬼女、白楽の傍にいるばかり。遺体を尊ぶ国柄だったな、ここは。

 それはそうと、とっととお帰り願いてぇところだが。


「郷羅‼」


 視線が合った樫野の呼び声と同時、鬼人の男が動き出したであろう轟音。床、壊れてそうだな。修理代は纏めて請求してやるか。

 郷羅と呼ばれた男は純血に近い鬼人種だろうな。世間で見る鬼人種より力も、速さも桁違い。暴れられんのは困るな。顔に迫る拳。回避する隙は無さそうだ。


 ――振るわれた拳は空を切った。いや。しぶきを殴った。


 俺の持つ『特質』の力。血肉の自由操作。個体・液体・気体。その3つの状態に自身の身体を変えることだったり、肉体の性質を変え鱗を皮膚になんてこともできる。俺の服もそうだ。血肉を糸状にし、服を編んでいる。

 今回は頭を血に。だな。いや、血を基盤としてに身体を作っているから元に戻した。が正解か。

 拳が頭があった位置を過ぎ去って、無くなった首はゴポゴポと首と胴の境目から湧きあがるようにして新たに生み出されていく。

 追撃として放たれる右足のローキックを躱していると視界の端で天使が動いているのが見えた。

 

「――《刺し込む天光ピアス・サン》ッ‼」


 天使の左手が光る。

“火の無い煙には用心しろ”。有名なことわざだ。火のない煙は100%魔法だ。なにか裏があると思いなさい。なんていうことわざ。転じて、根が無い現象には気をつけろってことだ。

 まあ、誰が光の速度に反応できるのかって話だ。 天使が放った光が視界に入った直後、視界がブラックアウトする。焼きつくような痛みが目から伝わってくる。

  

 ――目をやられたか。再生がしづらい。暫く視覚は使えないか。


 天使の再生阻害は中々厄介だ。回復するための魔力を相殺してきているのだから、それを上回る魔力量で回復しなくてはいけない。とはいえ、これは人類には関係ないことだろうが。

 

「それよりも、だな」


 顔の前を通る何か。視認はできず、それが分からないがきっと郷羅の拳だろう。目が見えていなくとも郷羅の攻撃は簡単に避けられる。気配を察して避け続けるだけとはいえ、続けるのは面倒。だからといって受けるのもごめんだ。

 

「――ッ⁉」


 ならどうする? まぁ、答えは一つ。先に潰してしまえばいい。顔の中心に、郷羅の姿を視認する。


 「――《竜焔の一路ディザスター》」

 

 四重の魔法陣から放たれた炎熱が郷羅の顔を焼いた。この魔術の基となった『竜の吐焔ドラゴン・ブレス』はその名の通り、竜が息を吐くように放ってくる炎熱。指向性を持つそれは万物を溶かし、築かれた全てを無へと還す意志ある災害と呼ばれるもののひとつ。完全再現とまではいかなかったが、それを模して生み出したのがこの『竜焔の一路ディザスター』だった。


「ま、そうだよな」

 

 さてどうしたことか。竜焔の一路ディザスターは災害を再現したものだ。こんな狭いところで、それもフルパワーで撃ってしまえばここを破壊するに飽き足らず、涼にも被害が出てもおかしくない。

 故に出力を20%以下に抑え範囲も絞ったとはいえ、直接命中すれば鬼人種といえど意識は刈り取れる威力になったはずだ。

 

 だが、郷羅は耐えていた。


 気絶するどころか怯みすらせず、郷羅は拳を振るってくる。やはり直線的な拳を避け、顔の中央に作ったひとつの目をふたつに戻す。やはり目はふたつの方がいい。こっちの方が落ち着く。


「さて、それは予想外だが」


 郷羅が耐えたのは一般術式のひとつである魔法に対抗するための《防御術式》を付与されているのだろう。天使が付与したものだとすれば《竜焔の一路ディザスター》を耐えたのも納得だ。他の攻撃に耐えるのもそのせいなら少しやり方を変えなくてはいけないだろうか。


「長官‼ どうか撤退を‼」


 涼と接触したのだろう。天使の声が聞こえる。涼は、眠らされたか。

 好都合。多少の荒事をしても問題なくなったってわけだ。一旦、逃がして――っと。


「それはさせねぇよ」


 魔法の予兆があった。魔法を撃つ際には体内に巡る魔力がその流れを変わっていく。そこからどんな魔法が出てくるのかは予想できないが、それを警戒して反撃する準備を取ることはできるものだ。どうやら天使様はその辺の偽装なりは苦手なようだ。


「――《蛍の襲撃ルミネクト・ライド》」


「――《紅晶の弾丸ブラッド・バレット》」


 俺の方ではなく、未だ意識が戻っていないユキの方へ放たれた天使の魔法。そこに合わせて俺が放った魔術が追う。

 《蛍の襲撃ルミネクト・ライド》。それは5つの光弾を操る魔法だった。とはいえ、こいつが発生させたのは10の光弾。本来なら自由自在の軌道で相手の初動を潰す程度の魔法なはずだ。見切ることすら容易い速度だったのを覚えている。そのはずなのに速く、鋭い。


 10の炸裂音。と小さな悲痛の声。それが結果だった。


 俺が撃ち出した《紅晶の弾丸ブラッド・バレット》は結晶のように硬めた血液を魔術によって加速させるだけの魔術というにはお粗末な構造のものだ。とはいえ、それが天使の力にはよく効くらしい。


 天使の力は俺の仮説通り、魔力に効く。あくまで魔力だけ。《天昇てんしょう滅光ニルヴァーナ》。これを受けて感じた身体が崩れていくような感覚。あれは体内の魔力に天使の力が作用して感じたものだろう。しかし、身体を焼いたのは魔法自身の威力。だからこそ再生がいつも通りと言わずとも予測より早かった。


 《紅晶の弾丸ブラッド・バレット》は基本構造は血液を固めただけのもの。空中に浮かせ、動かすのは『特質』の範囲内。ただ、『特質』だけではカバーできない追従性や加速を魔術で補っている。

 《蛍の襲撃ルミネクト・ライド》に追突させ、それを潰すための魔力は相殺されたが結晶化させた血液自体は残っている。それで天使の身体を貫けるという訳だ。

 

「そろそろ退場願おうか」


「させぬわッ‼」


 掌の上で血液を練り上げ、天使に止めをさそうとした所で郷羅が拳を振るった。そこへ視線を向ければ肩を見るためですら見上げなくてはいけない程膨れ上がった体躯となった郷羅がいた。

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