第19話

「天使様がお見えになるなんてな」


 目の前の男、篠原翔太郎はへらへらと笑っていた。不意打ちで放った斬撃もさらりと避けられ、何度も剣を振っても当たらない。


 政府から逃げた重罪人、元断罪人である菜の河ユキ。彼女の頭部を天使としての力を使って崩した。不死の彼女が再生能力でボクより優れているとは言え、10分近くは行動不能になるはず。その間に、篠原の頭も潰して少年の確保。そのまま制圧までこぎつければいい。


 長官は体制を整えている。郷羅先輩も意識を取り戻しつつある。白楽先輩は……遺体だけでも。


 ボクはいつも通り、悪を滅ぼせばいい。ボクの力は罪を持つ者、そして異類異形を撃ち滅ぼす力。だから悪魔の子と称され、その力を振るう菜の河ユキの再生能力を大幅に弱らせられた。長官の話では目の前の篠原も同じような存在らしい。ならボクの方がいくつも有利だ。なのに、どうして手こずるんだ。

 

「血気盛んなのはいいことだな」


「――ッ」


 普通の生物ならばまず避けられない速さだったのに、喉を狙っていたその一閃は皮膚に掠りもせず、ただ空を切った。

 フローリングと靴が擦れる音と共に、間合いの内側まで接近してくる篠原。視界の端で放たれた拳がボクのお腹に深く刺さる。

 胃の中がかき混ぜらえるような感覚に視界が真っ白になって、吐しゃの代わりに咳だけが口から洩れ、ボクの身体が後ろに加速する。

 

「ッあ」


 身体の加速に置いていかれる腕は篠原に捕まり、ボクの身体にかかる力の向きを無理やり下方向に向けられる。あとはそのまま地面と衝突させられた。


「ユキと同じだな。今まで一撃で片を付けていたろ。避けられた後のことを考えちゃいない」


「えほっ、うるさいなぁ。ぺらぺら喋って、舐めプかよ」

 

「蟻を潰すのに全力を使うかよ」

 

 その口を黙らせたいのにボクは膝をついて動けずにいる。ただ、相手を見上げることしかできない。追撃をせずに説教を垂れる篠原はボクを脅威と思っていないみたいだ。

 剣を杖替わりに立ち上がっても篠原はただボクを見下ろすばかり。何もしてこない。本当に腹が立つ。


「じゃあ、これでどう!? ――《満ちる光フラッシュ》‼」


 閃光を発生させる魔法。一瞬だけ視界を奪う魔法だけど、ボクからすれば動くに十分過ぎる時間を生み出してくれる魔法だ。

 ボクが担う最後の役目は何かあった時、篠原の足止めをすること。ボクが退くことなど、あってはならない。


 「――《天昇てんしょう滅光ニルヴァーナ》‼」


 篠原を包み込むように床から伸びる光柱。異種異形、とくに魔族を滅ぼすための魔法。人には扱うことができない太古の魔法が1つ。《天昇・滅光》。低級と称される魔物をいともたやすく撃ち滅ぼしたと言われている。


 ――はずだったのに。


「効いたよ」


 光の中から手が伸びてきた。近くで見なければわからない程きめ細かな黒い鱗に包まれた手だ。人のものと思えない黒鱗に包まれた指先は僕の頬を撫で――。


「がぶぇっ」


 ボクの頭を床に叩きつけた。

 ぼやける視界に映るのは服と肌が焼け爛れた篠原の姿。《天昇・滅光》は悪を焼く光。ただの人類に撃ってもこれ程のダメージにはならないはずだ。これ程にダメージを受けているということはやはり人外。首元を境に肌が鱗に変わり骨格から変わった左腕。どんどん再生を見せている肌。ボクが反応できないスピードを含めて人の範疇を越えた化け物だ。

 

「もう終わりか?」


「そんなに、女の子を見下すのが、好きなのかな?」


「悪くねぇだけさ」


「ッ、先輩‼」


 ボクの呼び声と同時、郷羅先輩が動き出したであろう轟音。郷羅先輩は純血に近い鬼人種だ。世間で見る鬼人種より力も、速さも桁違い。篠原に食い下がれると見込んで今回、作戦に呼ばれたと聞く。

 少年はボクが長官に引き渡して撤退してもらう。白楽先輩がいないと篠原を力で止めなくてはいけない。それは郷羅先輩でもきついだろう。


「ごめんねっ、目が覚めたらお母さんの元に帰してあげるから《安らかにスリープ》」


 少年は酷く怯えた目でボクを見上げた。可哀そうに、きっと怖い思いをしたのだろう。目の前で白楽先輩が殺されたのだろうし、目の前で人外同士の戦闘を見せてしまった。そのストレスは一人の少年が受け止めるには重すぎるだろう。だから、眠らせてあげた。お母さんの元に送ってあげる約束をして。


「長官‼どうか撤退を‼」


 白楽先輩のご遺体の前にしゃがみこんでいた長官。郷羅先輩はもう既に押され気味。少年を抱えて長官に近寄った。長官は白楽先輩のご遺体を肩に担いでボクに命令を下す。


「白楽は私が連れて帰る、私の判断ミスで彼女を殺してしまった。お前はその少年を母親の元へ届けてやれ。郷羅は負けん。急げ」


「っ、了解!」


 ボクはまだ倒れている菜の河ユキに目を向ける。一度無くなったはずの頭部はもう既に再生していて僅かだがまぶたが動いている。つまり、そろそろ意識も戻る。ボクの見立てよりほんの少し早い。もう一度致命傷を与えておこう。


「――《蛍の襲撃ルミネクト・ライド》」


 菜の河ユキの心臓を狙う10の光。それは同数の紅い何かによって弾かれて、何かが僕の体を通り抜けていった。

 『蛍の襲撃』は本来、自由自在の軌道で相手の初動を潰す程度の魔法だが、ボクのは人類程度の肉体なら貫けるほど強力なはずだ。速度だって、銃弾には及ばないもののそれに食いつけるぐらいの速度はある。でも、それをボクが打ち出したと同時に撃ち落としやがった。ついでにと、ボクにも攻撃をして。


「アスター‼」


 篠原はボクに笑みを向けやがった。郷羅先輩の攻撃を受け流しながら。

 長官がボクの名前を叫んだ。心配をかけてしまった。ボクが一番頑張らないといけないのに。


「ボクは大丈夫ですッ、任務、遂行します‼」


「頼んだ。その少年を家に帰せ」


「了解‼」


 ボクは空を飛んでいく。扉があった場所から外を出て、山道を下っていく。

 少年はしっかり眠っていて、このまま休んでほしいのだが。

 このまま島を抜ければ任務は九割達成したも当然だけど、それを阻止するように1つの人影がボクの前に現れた。


「ここから先は通しませんよ」


「菜の河ッ‼」


 現断罪人であるボクの前任、菜の河ユキが立ちはだかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る