第35話 夜風に揺れるそれぞれの絆
人々が行きかう街の路上で夏楓は孝俊に殴られそうになった。そこへ孝俊の腕を止めた男性がいた。止めようとした途端にかけていた眼鏡が飛んで行った。
「暴力は良くないですよ」
低い声で言うのは同じカフェで働く橋浦隆吾だった。風邪で休んでいたはずだった。街のドラッグストアで風邪薬を買おうとフラフラと歩いていたところ、夏楓が危機的状況になっているのを見かけた。さらに孝俊は隆吾に殴りかかろうとしたが、隆吾は力いっぱいに腕を背中にひねって動けなくした。
「まだやりますか?」
「ち、ちっくしょ!! 覚えていろよ」
力負けしたとわかった孝俊はそそくさとその場を駆け出した。手をパンパンと手をたたき、倒れていた夏楓の手をつかんで体を起こした。
「大丈夫ですか?」
「あ、ありがとう。今日、仕事風邪で休んでたよね。大丈夫なの?」
「……危険な目に遭っておいて僕の心配してる場合ですか」
転がっていた眼鏡を拾ってかけ直した。背中をぶつけた拍子に肘をけがしていたズキッと痛み出す。
「肘ケガしてますね。さっきドラッグストアで絆創膏を買っていたので使ってください」
ビニール袋に入れていた絆創膏を取り出して、夏楓に渡した。
「ありがとう。準備いいね。なんで買ってたの?」
「ちょうど、足の指にできたささくれはがしたら、血が出てたので……絆創膏と熱冷まし用に解熱剤も買ってました」
「え? まだ熱あるの?」
夏楓は橋浦の額を触る。かなり熱かった。熱があるので、孝俊に対するあの動きが素早かった。
「橋浦くんって何かスポーツしてたの? すごかったね。さっきの」
「あー、護身術ですね。まぁ、柔道を中学の頃からしていたので、あれくらい簡単ですよ。こう見えて、黒帯持ってますから。途中ケガしちゃったので初段までしかとってませんけどね」
頭をぼりぼりかきながら照れる橋浦に、夏楓はぼーと見つめる。
「そうなんだ。熱あるのに俊敏な動きにびっくりしちゃった。ありがとう。何か、変なところ見せちゃったね。肘に絆創膏つけたし、大丈夫。早く帰って体休めて。私は大丈夫だから」
橋浦の背中をぽんと軽くたたいて誘導した。見られたくないプライベートに見せてしまった事を思い出す。助けてくれたことは嬉しかったが、何だか複雑だった。
「ああ、そうですか。んじゃ、帰ります。夜道は危険ですから社長も気を付けて」
「うん、そうだね。気を付けるよ」
手を振って、慌てて、横断歩道に駆け出す夏楓に眼鏡を光らす橋浦は、最後まで見送っていた。街中の明かりが綺麗に輝いて見えた。
橋浦は、仕事では見せない夏楓を見て嬉しかった。熱が38.0を超えていても心は満たされていた。コホンと咳をして、家路に向かった。
◇◇◇
一方、その頃、橋浦の護身術に痛い思いをしながら歩いていた孝俊は路上にペッとつばを吐いて悔しがった。元嫁にすがろうという作戦は失敗に終わったからだ。フラフラとネオン輝くお店に入ろうとすると、居酒屋から4人の男性が酔いながら外に出て来るのが見えた。1人だけ冷静にほかの人をタクシーに乗るよう誘導する人がいる。見たことある姿だった。
「空翔!」
孝俊は思わず、大きな声を出した。周りにいた空翔の上司がびっくりした顔をしていた。
「ん? 君の知り合いかい?」
「あ、そうですね。高校の同級生です」
「きみは人望が厚いね。さらにきみとの仕事が楽しみになってきたよ。んじゃ、お先するね」
空翔の会社の代表取締役社長はタクシーに乗り込み、手を振って別れを告げた。空翔は深くお辞儀をした。
「もったいないお言葉です。ありがとうございます」
オフィスの仕事だけではなく、上司の接待にまで呼ばれることが多くなった。帰りも遅い。早く帰る理由もない。社長と同僚が乗るタクシーを見送ってから、そばに寄ってきた孝俊に声をかけた。
「空翔、ずいぶん、立派になったもんだなぁ。接待してるのか?」
「孝俊、こんなところで珍しいな。アメリカじゃないのか?」
「……最近、日本に帰ってきた」
言いづらそうに話す。
(あれ、夏楓も日本にいるけど、一緒に住んでる感じはしなかったな。どうなってるんだ。この2人)
「夏楓はどうしたんだよ。一緒にカフェ店員していたんじゃないのか?」
そっと本音が出た。2人の問題につっこむ立場じゃないのに踏み込んだ。状況も知らずに、聞いてしまった。空翔のネクタイごと、孝俊に胸ぐらをつかまれた。
「俺、夏楓に直接聞いたわけじゃねぇけど、知ってるからな。お前ら付き合ってたんだろ!」
孝俊の眉がゆがみ、理解しにくい理由で殴りかかろうとする。
「……だったら、どうだっていうんだよ。お前たちは今夫婦なんだろ? 俺は関係ない話だ。すべて過去のことだ。殴られようとしてる意味がわからない」
顔が近い。呼吸が荒い。闘牛士のように興奮している。空翔も負けてない。土俵の外にいるはずの空翔にどう関係するというのか。
「ムカつくんだよ。その態度が!!」
つじつまが合わないとか、正当な理由がとか、孝俊の頭にはなかった。むしゃくしゃして、空翔に八つ当たりをしたかっただけだ。空翔に結婚してるという言葉に反応した。もう離婚していたため、何も反応することができなかったからだ。もう、相手にされていない。みじめな思いをしてることに情けなくなる孝俊だ。なぐりかかって、一発空翔になぐるとその場に崩れた。何も仕返しされてなくても自分はここに存在してるだけで空翔に負けてる気がしたからだ。声を押し殺して、地面を何度もたたいた。空翔は頬を殴られて唇から血が出たが、気にもせず、落ちた黒いリクルートバックを拾って、孝俊の腕をつかみ、体を起こした。
「……飲みに行くぞ」
「空翔……俺を見捨てないのか?」
「いいから。歩け」
空翔は表情を変えずにただまっすぐに歩いて、小さな居酒屋に連れて行った。孝俊は泣きながら、空翔にしがみついた。近くにあった電灯が今にも消えそうになっていた。車のクラクションが交差点に響いている。
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