第10話 2人の思い出に浸る

 交際したばかりの頃、空翔は夏楓の家に遊びに行った。初めての女性の家に行った時は興奮しっぱなしで、想像以上にインテリアのこだわりと片付いていたのを覚えている。リラックスできるアロマをたいたり、アジアンチックの暖簾をかけていたりとおしゃれだなと思った。その時に気づけばよかったんだ。夏楓は、こだわりがある人だと。同棲が決まった時は、ほとんどが空翔の両親が出資してくれることもあって、文句が言えず、家具や家電もこだわることなんてしなかった。思い出すだけで良くなかったんだと後悔するものが見つかる。


 でも、いいこともあった。何気ない夏楓のそばを通るだけで良い匂いがしたんだ。ミックスベリーシャンプーの香りですごく癒された。肌に触れて、髪に触れて、N極とS極の磁石みたいに世界で2人しかいないという幻想を抱きながら没頭していた。お互いに。

不意に椅子に座った夏楓にバックハグをして、空翔は夏楓の肩に顔を置く。彼女の耳が赤くなるのを思い出した。夢中になっていた時は一緒に笑い合っていたはずだった。


 空翔は仕事から帰宅してすぐ部屋の片付けをした。お菓子空き箱に入れていた思い出の写真を見て記憶が蘇る。スマホに保存していた写真もあった。スワイプしてどんどん見ると、保存容量がいっぱいになるくらいの夏楓のワンショットが出て来た。

 2人で撮ったものは少なかったが、どれも笑顔で満たされた顔をしていた。その時は2人の心は同じ気持ちで一致していた。


◇◇◇


空翔はかなりの猫舌で熱いのが嫌いだ。

中華料理を食べるときもふーふー冷ましてからじゃないと食べられない。片栗粉でとろみをつけた酢豚やかに玉などのものほど熱すぎる。それが美味しいんだと夏楓はいうが空翔は耐えられない。コーヒーも本当は無理して飲んでいた。特にブラックコーヒーは苦くて本当は飲めたもんじゃ無い。舌が敏感だからか、大人になった今でもコーヒーだけじゃなくて、ビールも飲めない。子どもだと言われても嫌いなものは嫌いだ。

 苦味というものは舌の味蕾という部分の劣化で感じなくなるのだとかいうが、それが本当ならば空翔の舌は劣化してないのかもしれないとそこだけ自信持ってしまう。結果、そのことも夏楓に自慢できていない。


 砂糖とミルクをたっぷり入れたカフェオレなら飲めるのにたまたま夏楓に大人ぶってブラックでと言ってから本当の事を言えなくなる。ビールのことは素直に飲めないって言っていたのに何を考えていたのだろう。いつも台所に立って、楽しそうにコーヒーを準備する夏楓を見て言いそびれてずっとそのままだった。

それでも嘘ついて飲んでいたのは、間近で彼女の、満面の笑顔が見たかったからだ。

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