第9話 心にぐさっと突き刺さる
夏楓は展望台レストランのディナーを満足げに完食して、ナプキンで口の周りを拭いた。空翔はどんなに頑張っても食欲が沸いてこない。高いディーを食べられないとは情けない。悔しい思いをしながら、ほとんどをメニューを残してしまった。
「最後だからここは私におごらせて。ここに誘ったのは私だし」
夏楓は今までにないくらいガツガツした様子で財布を持ち、空翔の脇に置いていた伝票を持って、会計にすすむ。本当ならば男としてのプライドも込めて、止めて僕がと言いたいところだが、意気消沈してそれくらいはしてくれよという欲求が出てきてしまった。体は動かない。ただ、ただ後ろをついていくことしかできなかった。大人げない僕は情けない。分かっているが言葉が出ない。会計を終えて、静かにエレベーターに乗る。沈黙の時間が長く感じた。高所恐怖症じゃないのに、何かに恐怖を感じている。
街中の歩道をハイヒールの音が響く。夏楓の歩く後ろ姿。ショートボブの黒髪がモデルのようにサラサラで、香水のムスクの香りが広がった。別れることになったのに僕の方が夏楓の後ろを歩いているのに後ろ髪ひかれている。訳がわからなくなる。
「夏楓、聞いていい?」
前を歩く夏楓に後ろから声をかけた。夏楓は立ち止まって振り返る。
「なに?」
「アメリカには1人で留学行くの?」
「え、うん。まあ、そうだけど……」
言葉を濁す彼女の眉が歪んだ。少しの沈黙が気になった。嘘なんだろうと気づく。ごまかすように歩き始める。
それは1人ではない。僕じゃない誰かと一緒だ。意外と寂しがり屋の夏楓が1人で海外に行けるとは思えなかった。その後、詳しい話を何も聞けずに留学の話が終わってしまった。責められるんじゃないかと考えてしまった。別れるのに色々根掘り葉掘り聞くのはよくないと思った。
「あ、そうだ。あと、今日は友達の家に泊まるね。荷物は後で取りに行くから」
ハッと思いだすように明るく言う。夏楓が別れを宣言したら、空翔の同棲してる家には帰れないと言うことか。同棲するのも家族公認で結婚前提じゃなかったのかと悔いが残る。別れたと両親が聞いたらがっかりするだろう。可愛くて気遣いできる子がと絶賛して、夏楓のことを気に入っていた。自分自身が悪いのだから仕方のないことだ。 理由としては、空翔は夏楓に尽くしすぎたのかもしれない。コーヒーを淹れる以外家事はほぼ全部空翔がやっていた。お嬢様のように扱うのがいけなかったのかもしれない。家事をする力があったのにやらなくていいよって言った一言でできなくなった。夏楓はそれが嫌で居心地が悪くなり、空翔と一緒にいるのも嫌になってきていた。同棲をしなければ気づかなかったことかもしれない。タイミングがよくなかったかどうかは神のみぞ知るだ。
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