第8話 地上345mの絶景で絶食
空翔とはもう一緒にいても何も求めるものは無くなってきた。知り合った最初は、どんな人なのだとか趣味が合うかとか知ることの楽しみがあった。同棲もするようになって好き嫌いも環境で分かって来る。育ってきた環境や、好みや家の中での過ごし方が少しだけ違うだけで徐々に違和感を感じ始めた。お風呂を洗うタイミング、柔軟剤の香り、トイレ掃除の道具選びなどちょっとしたことでもめるようになる。たかだか、ポテトサラダの作り方で大喧嘩したこともある。じゃがいもとにんじんは別にゆでるのが常識だと思っていたら、鍋の中で同時にゆでると言われた時は発狂しそうになった。冷静になるとどっちだっていいって思うこともある。小さな出来事が大きな心の傷になる。
「他に好きな人できた。私の事は忘れて」
一緒に生活していて、ずっと自炊で頑張ってきた。この言葉は、久しぶりに夏楓と一緒の外出中に言われた。突然、夏楓からデートに誘われて、1人浮かれ気分だった。空翔は、1週間前から休日が待ち遠しくて仕事の進みも早かった。
そんな中、びっくりするような発言で今は、後頭部を叩かれたようにショックだった。
「最後だから、一緒にスカイツリー見ようと思って」
スカイツリーの展望台頂上だが、空翔の心は一気に急降下した。高所恐怖症でもないのに透明なガラスの下を見て、嘔吐しそうになる。空翔の気持ちを知ってか知らずか夏楓は笑顔で過ごしている。釣られて笑顔を作ったが、それは本心じゃない。胃が痛くなる。夏楓の頭を勝ち割って本心を覗きたくなったが、実際にそれは無理だ。
スカイツリーの地上345mからの絶景を
楽しめるレストランで2人で交際の最後の食事を
した。本当は仕事帰りにここで待ち合わせするということは、逆プロポーズじゃないかと想像したが、心底ガッカリした。想いとは裏腹にメインディッシュのステーキに集中する。手が震える。小さく刻んでゆっくりと口の中に運んだ。
ダメだ、舌がおかしい。高級で美味しいはずなのに、全く味がしない。冷や汗をかく。
それでも夏楓はスッキリした笑顔だ。食べながら、思い出話を始めた。
「空翔のこと好きだったよ。良い思い出。あのソフトクリームの時は今でも忘れられないよ」
夏楓は頬杖をついて懐かしむようにスマホの写真を見返した。空翔の何の変哲もないチョコとバニラのミックスソフトクリームが鼻の頭に付いただけで大爆笑された。
たったそれだけ。他にも沢山思い出あるはずなのになぁ……。
空翔は、夏楓のどこを好きになったの過去を振り返ってみてもここだというものが思いつかない。結局、人間、顔とか性別、性格、体格じゃない。一番気になるのは、心を通じ合えるか。今は通じるどころか空翔の心は手のひらで遊ばれている気がした。持っていたステーキナイフを皿の上に置いて食べることを諦めた。もう、ここに来ることはできないだろう。
東京都でもう一つ大きなタワーができないだろうかという願望ができた。赤い東京タワーでは心穏やかになれない。赤色じゃないスカイツリーと同じ色でも違う形を要望したい。そう言ったところでどんなに高い展望台にのぼっても、夏楓を思い出す。苦い思い出を作って終わってしまった。ひどい彼女だ。
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