第28話 唐突の朝食タイムとラテアート

小鳥のさえずりさえも聞こえないくらい熟睡していた。今日は日曜日。仕事は休み。夏楓が家にいることを忘れて眠り続けた。1週間分の疲れがたまっていたんだと思う。夢も覚えていないくらい深い眠りについた。体がけだるい。むくっと体を半分起こして、ベッドの宮に置いていたスマホ画面を見た。開くとタスクに夏楓の自宅住所と地図が表示された。ㇵッと瞬時に思い出す。ベッドから駆け下りて、豪快に転んだ。


「いててててて……」


 腰をさすって、ドアノブに手をかけた。まさか転ぶなんて情けないと思った。体を起こすといい匂いがした。フライパンで目玉焼きを作る音がする。コンコンとたたく音とジュッとする。まさか、夏楓が料理をしているのかと空翔はドアを開けて、リビングを見る。昨日の服のままの夏楓が髪を上に結って、鼻歌を歌っている。料理をしていた。信じられない光景にびっくりした。


「夏楓……?」

「あ、空翔。ごめんね。起きてすぐにここどこだって思ったけどさ。懐かしいって思っちゃってさ。勝手に台所借りてたよぉ。朝ごはん作ってたから食べてね」

 夏楓は手早くテーブルに平たいお皿をならべて、次々とフライパンの目玉焼きとウィンナーとサラダ、コーンスープの準備をしていた。電子レンジではチンッと音が鳴って、焼きあがった食パンを出していた。本格的な朝食は久しぶりだった。


「あ、ありがとう」

「コーヒーはさ、砂糖とミルク入れていいよね? 実は、見せたいものがあってさ」

端の棚の奥にしまっておいたコーヒーメーカーを取り出して、マグカップにコーヒーを注いでいた。夏楓は小さな銀色の入れ物をマグカップに当てる。


「あ、それ。ラテアート?」

「うん、そうだよ。知ってた? 定番のツリーの模様描くね」

 鼻歌を歌いながらご機嫌に作る夏楓が以前と別人に見えた。どちらかと言えば、大人しく喋る言葉も少なめだったが、全然フランクにぺらペらと話している。アメリカの生活が刺激的だったんだろうか。テーブルに置かれたできたてのラテアートに頬が緩んだ。木の模様だった。


「ちょっと貸して」

 空翔はパジャマ姿のまま、夏楓のマグカップに入ったコーヒーにラテアートを描いた。可愛いクマの模様だ。独学でいろいろ調べていた時にマスターしていた。ここで役に立つとは思ってもみなかった。自分より高度なアートに圧巻した。


「嘘、まじで?! 私よりもすごいんだけど。これ、最近覚えたばかりなんだよ。ちょっと、空翔、いつの間に描けるようになったの? バリスタやってた?」

「いーや、何もしてないよ。俺はそのまま。変わりない」

 

自分のまわる時計ははみ出しもしないそのままの動きを繰り返している。何も変わっていない。独身のまま。結婚したいと思える女性も出会えていない。夏楓で最後の恋愛で終わりになるんだろうなって思っていた。


「そっか。私の3年と空翔の3年は違う道を進んでいたんだよね。それは、そうだよね」

「……ああ。せっかくだからいただくよ」

 空翔は手を合わせて、夏楓の作った朝食を食べた。誰かの作った食事は美味しいってなぜだろうと考える。上げ膳据え膳が良いとはよく言うが、こんなにおいしく感じたのは久しぶりだ。


「あ、そういや。昨日、飲みすぎて酔いつぶれてたみたいだからここに連れて来ちゃったけど、大丈夫だった?」

「あ、ああ。うん。ごめんね。空翔に迷惑かけたね。これ食べたら、すぐ帰るから」

「別にゆっくりでもいいのに……」

「そういうわけにはいかないよ。いくら元彼だからってわきまえてます。すいません。気をつけます。飲みすぎには」

「…………」


 空翔は夏楓に言いたいこと聞きたいことがたくさんあったはずだが、言葉がつまり、何も言えなくなった。どうして、アメリカじゃなく日本にいるとか、孝俊はどうしてるのか。左手にしているはずの結婚指輪を外しているのを見て、聞いてはいけないと勘づいた。


「我ながら、美味しくできた」

「それは良かった」


 ほっと安堵した空翔を見て、夏楓は首を振った。


「あ、やばい。時間だ。そろそろ行かないと……これ、残っちゃったけど、代わりに食べてね。んじゃ、行かないと。お邪魔しました!!」


 急に舵を切ったように急いで、空翔の家を出る夏楓。丁寧に見送ることもできず、玄関のドアをしめた。空翔は、出るタイミングを見つけるのが大変だからだろうなと想像した。



 ドアの向こう側、全然急ぐ様子を見せない夏楓がいた。本当は時間なんて差し迫っていない。演技をして、急いで外に出た。空翔に甘えるのは良くないと自分自身に言い聞かせた。ハイヒールの音を鳴らして空翔のアパートを後にした。



 近所の公園で寂しげに鳩が鳴いている。

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