第28話 炎上

 第一王子の眠る城の間に国王陛下とノイタ、カザミ姫、ミアが入った。そしてロブハンもいた。ロブハンだけは、初めて見る城の秘密に畏怖とおそらく野心で興奮していように見えた。僕はそんなロブハンの姿を見ながら煙い廊下を近づいた。

「ここがこの城の姿か。いにしえから伝わる聖地だ」

 国王や王子を守る剣士が待ち構えていた。皆、旅装束で顔を布で隠していたが、一人として剣を抜こうとする者はいないはずだった。しかし彼らはロブハンの掛け声で剣を抜いてきた。

「近づけるな!」

 僕を見つけたロブハンが、剣士たちに命じた。国王の剣士ならば剣を抜くことはないが、おそらく彼らはロブハンの部下だった。疾風のごとく襲いかかってきた。すでに入れ替わっていたか。僕は左手でハンドアックスを抜いて、右手も体も国ノ王の剣に任せるように剣を操った。平剣が刺さったかと思った首は、国ノ王の剣が破風で砕いた。ハンドアックスまで国ノ王の剣の力が宿ったかのように軽々と敵を打ち砕いた。圧倒的な強さに、連中が怯んだのが見て取れたものの、僕は彼らを容赦なく打ち砕いた。扉を閉めようとしたロブハンは青白い顔で尋ねた。

「なぜ貴様が剣を持っている」

「届けに来たように見える?そりゃ奪い返しに決まっているじゃないですか。国王陛下、いや、あなたの手に渡らなくて残念でしたね。教会殿は何をしているんですか?」

「私は陛下たちが亡命できるように協力しているのです」

「では志は同じです。本当ならの話ですけどね。ここであなたが共和国軍の内通者として殺されても誰も文句は言わないでしょうね」

「共和国軍?私は教会の者だ。わたしを殺したならば、教会は貴様を許さないだろう。それでも敵にする気か?」

「あなたが死んだ後、教会が僕たちをどうするのか、あなたには関係ないです。死ぬことには変わらないんですからね。まぁこちらも聞いておきますか。ここで僕たちを敵にする気ですか?死にますか?生きていたいですか?さっさと選んで」

「正気か」

「冗談に見えますか」

 国ノ王の剣が冴えた。彼は格好をつけるところをわきまえている。セラミックのように白い剣がロブハンの喉を捉えていた。熱か冷気が首から全身にまとわりついているようで、ロブハンの体は小刻みに震えていた。

「廊下で見ているだけでよろしいのですか?入れるといい。あなたも後学のために見ておけば。後学があればの話ですけどね」

「貴様はこの城の価値を知らないのだろうから、私が教えてやる」

「どうも。でも静かに。家族のお別れの邪魔をしてはいけない」

 国王は兄でもある、息子でもある第一王子に頬を寄せた。城を離れることになることを話した。ちゃんとは聞こえないが、そんなようなことを話しているのかもしれない。

 カザミ姫が促され、第一王子の手を取ると、頬を地下涙で濡れた頬を近づけた。わずかに顎を上げて、

「嫌よ!」

 突然、僕の耳をカザミ姫の声がつんざいた。僕はロブハンを押し退けるようにして前に出た。前の席はロブハンにはもったいない。

「わたしはこのお城から出ていく気はないわ!このお城でずっと暮らしていくのよ!どうしてわたしが出ていかなければならないの!出ていきたいんなら、あなたたちだけで出ていけばいいわ。わたしはルテイム城の姫なの。巻き込まないで!」

 カザミ姫は旅装束に身を包んだ国王の革帯を強く押した。髪を振り乱して、体を折るように叫んだ。

「わたしはお兄様と一緒にこのお城で好きなことをして暮らすの。ずっとずっと安らかに過ごすのよ」

「カザミよ」

 国王がカザミを抱いた。

「おまえはどこにいても、お父さんたちと一緒に暮らせるんだ。ここである必要はない」

 瞬間、国王の首筋から血飛沫が飛び散った。カザミの手には僕に斬られた剣が握られていた。国王は王子を制して膝から崩れた。カザミ姫の瞳孔はガラス粒のように輝き、全身は国王の返り血を浴び続けた。

「お城を捨てるなんて愚かなことを考えるからこうなるの。あなたたちはいけない人なのよ。お兄様を捨ててまで生きていけないわ」

 ロブハンは国王が沈んでいくのを目の当たりにして、ようやく部屋の異形に気づいた。人や獣の部位が寒天状の床や壁、天井に埋もれているのにガタガタと震えた。尻もちをついた自分の下には闇とニヤニヤ笑っている唇と目玉が見えていた。

「ロブハン、本当の城の価値を知らないのはおまえだよ。そしておまえたちはこの剣の価値も知らない」

「ま、待て。本当に貴様は私を殺す気なのか?」

「そんなことをしなくても城に魅入られてしまえば終わる。あんたは取り込まれて異界軍の一員として死ぬことなく働き続けられる」

「私を部屋から出してくれ」

「弔ってやれよ」

「頼む」

「じゃこれを見てろ。自分の顔から目を逸らすなよ」

 僕はハンドアックスを彼の顔の前にかざしてやった。ずっと自分の顔に集中しているんだ。少しでも隙を見せると、引きずり込まれるぞ。

「わかったな」

 必死で頷いた後、

「生きたいなら静かに。まだお別れの儀式は済んでいない。今だ」

 僕は蹴飛ばした。ロブハンはまとわりつく粘液から逃れるように廊下へと逃れた。廊下に転がる死体に足を取られたながら遠ざかった。

 ノイタは剣に手をかけた。

「お兄様にわたしが斬れる?」

「斬るしかない」

 国王の体が沈む。

 カザミ姫はバランスを崩し、ノイタの脇から飛び出したミアが姫の体を抱くように飛びついた。二人は第一王子の眠るベッドの上を跳ねて向こう側へ転がり落ちた。

「どうして?」

 カザミ姫は腹に刺さった剣を見ていた。腹は鞘から飛び出した剣の先でえぐられていた。

「ここで暮らしたいと思ってるわたしが死なないといけないのよ。あんたらが死ねば済むのに!」

 姫の下の床にが沈んだ。重力が一点に集中したかのように彼女の体が吸い込まれた。とっさにノイタは姫の手を握った。僕は彼の襟首を掴んで支えた。ミアも手を差し伸べたが、姫は剣を離さなかった。

 限界だ。

 僕はミアを制し、力任せにノイタの体を扉まで投げ捨てた。

「嫌あぁぁぁっ!」

 カザミは断末魔の声を残して闇へと落ちた。新たな者を消化するように部屋全体がうごめいた。

「シン、剣を貸してくれ」

『弟よ、おまえにできるのか?』

「ここに生まれた以上、嫌なことだけを誰かに任せられない」

『使えば死ぬぞ』

「覚悟はできています」

 僕には決められなかった。この期に及んでは、彼らの話に任せるしかない。できることは彼らが選ぶ道をただ見ていることくらいだ。

「ミアはどうなる?」

 僕は無意識に聞いていた。

「わたしのことは」

「ごめん。僕はノイタに聞いてるんです。あなたはいい。でも残された者のことは考えているのか?」

 僕はノイタを押し退けて、ためらいもなく国ノ王の剣を第一王子の心臓に突き刺した。

「行ってくれ」

『これでいい。ようやく私も眠ることができる。ノイタ、ミア、この者の気持ちを無駄にするな。これから生きるんだ。私はうれしいぞ。おまえたちが生きてくれるのがうれしいんだ。早く去れ、この城から』

「シン、あなたはバカよ」

「たぶんね」

 僕は笑い、

「でも彼と約束したんだ。ここに封じ込められた魂を還してやると」

 続けて、

「行ってくれ」

 ベッドを中心に床が歪み、暗闇に引き込まれそうになる。僕はノイタとミアを廊下へ追い出して扉を閉じた。これで城もおしまいだ。

「出ておいで、お姫様」

『何でなのよ。わたしはここにいたいだけなのに』

 カザミの姿が粘液の中から浮かんできた。

『そうよ。わたしがお兄様の代わりになればいいんだわ』

「お兄さんは苦しんだ。だから死ぬことを選んだんだ」

『あなたが殺したのよ!』

「ああ」

 僕の足が沼に沈んだ。

 カザミが、

『あ、そうだわ。きっとあなたとなら一緒にいられるわ。ね、ここでは何も苦しまなくてもいいのよ?ずっと生きていられるの』

 一歩、また一歩と沼の中を近づいてきた。しかし不意に止まった。

『一緒ならいいわね』

 すでに片頬が溶けて、崩れ落ちていた。自分の中からこぼれ落ちそうになった心臓をつかんで差し出すようにした。必死で近づいてこようとしていたが、闇から出てきた蛇が彼女の足首を巻いていた。

 ふと消えた。

『他には誰もいらない』

 僕は彼女を見つめながら、ベッドに横たわる兄の心臓から剣を抜いこうとして、それが奪われたことに気づいた。国王が奪い、カザミ姫を抱き締めるように突き刺した。

『すまぬな。もともと逃げようなどとは考えておらん。共和国は甘くはない。あわよくば姫だけでも』

「行き違いはつらい」

『時間は稼いだ。我々はカザミの言うように城以外で生きられぬ』

「首謀者はロブハンですね。共和国軍と内通していた。そうでなければ話が通じませんしね」

『後のことは生きているものでやってくれ。去るがいい』

「ご無礼を」

 僕は乱暴に泥から引き抜かれるように廊下へ吹き飛ばされた。部屋が一気に炎に包まれて、視界から二人の姿が消えた。

「シン!」

 ノイタがいた。

 まだこんなところで何をしているのかと無性に腹が立ち、殴ろうとしたが、ミアに止められた。

「相談したの。わたしたちは逃げるわけにはいかない。陛下やカザミを残しては行けないわ」

「お父さんが娘を殺した。だからもう済んだんだ」

「ではなおさらだ」

「なぜ死のうとするんですか」

「一緒にいたいからだ」

 迷いがないとは、たぶんこのことだろうなと思った。ノイタとミアを両腕に抱き締めるようにした。

「さよならだね、王子」

「すまない」

「謝らないで」

 僕は腕を振り上げるようにして二人を置き去りにした。どうしても振り返ることができなかった。

「あなたは卑怯者じゃない!」

 僕は言葉を受けて離れた。

 悔し紛れにロブハンの首を斬り捨てる真似をした。

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