第8話 追手
僕たちは倒壊した神殿の地下にいた。僕はレイの術が効いているうちに彼女を抱いて逃げ込んだ。地下とはいえ、建物が半分ほど壊れていたので、あちらこちらから差し込んだ光が昔の死体を照らしていた。昔といっても、もちろん遥か昔のことではない。記憶としては昔だ。ここに転がる死体たちは、すでに死体になる前から忘れ去られていた。
レイは僕の膝枕で気を失っていた。一気に敵の力を受け止めた衝撃のせいか、自分の力の消耗のせいかはわからないが、珍しい。僕は眼を隠すように、ずっと彼女の額に手を添えていた。埃塗れの顔を地下水で濡らした布巾で拭いた。
生きてるのか?
息を確かめようと覗いたとき、レイが「シン!」と叫んで急に起きたので、お互いに頭をぶつけた。
「痛ぁ」
「シン、どこ?」
「痛い」
「ああ」安心したらしい。「変なことしようとしてた?」
「しとらんわ。それに変なことってなんだよ。まったく」
「え、あ、その……ウラカが話してたみたいなこと?」
「僕のいないところで何を話してたんだか」
「忘れた」
「どうでもいいけどさ。落ちたときのことは覚えてないのか?」
「シンに抱き上げられた」
「そこまでか。落ちきるまでレイの術が効いてたんだ。無意識だね」
僕の膝枕からレイは喉に手を伸ばした。特に何もないと話した。泣きそうな顔で本当に?と尋ねるので、包帯代わりの袖をほどいてみた。
レイは顔をしかめた。
そんなにひどい?
「首がちぎれてない?」
「今んところ」
僕は頭を左右に動かしたが、今すぐに転げ落ちるようなことはなさそうだと答えた。レイの術については関係ないのでは?と思った。もし関係があるとすれば、コロブツのでっかい穴を空けたとき、とっくに死んでる気がする。
「ちゃんと治さないと」
「自分でやるよ」
「ここは?」
「神殿の地下だね。あっちには倉庫があった。台所みたいなところには溝があった。水も流れてた。暮らしていたのかもしれない」
レイは僕の膝枕の上で聞いているのか聞いていないのかわからないくらい上の空だった。
「狙われてたな」
「シンも気づいた?」
「気づいたのかな。レイの眼のおかげかもしれない。でも驚いた」
「相手は強い」
「レイよりも?」
「うん。比べもんにならないくらい強い。シンを守れないかも」
レイは自分の体を抱いた。僕は震えている彼女に覆いかぶさるようにして「逃げる」と答えた。これまでもそうしてきた。この世界に来て学んだことは今も変わらない。何が何でも逃げきる。後のことなんてどうでもいい。逃げるときは全速力で走る。振り返るなということ。
「起きられる?」
「どうするの?」
「ここにいても意味があるとも思えない。それに上は怖い。だから地下道伝いに街の真ん中へ戻る」
「戻れる?」
戻れる。地下道が続いていたらという条件付きだ。途中、聖女教会が恵んでくれたロウソクに火を灯し、壁際に積み重ねられた骨の一つを燭台に借りた。南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏。地下道の両脇には骨が収められた棚が続いていた。
「それ何にでも効くの?」
「気休めみたいなもんか。しかしまあ狙い撃ちされるとはね」
「敵には見えてたのかな」
「見えるも何もないよ。あれだけ同じところから鳥を撃ち落としたんだからね。そりゃ気づかれる」
「まったく考えてなかった。シンは考えてた?」
「いや。考えてたらこんなことにはなってない。そもそも街の結界が壊れるなんてのも考えてないし」
話しているうちに、次第に腹立たしくなってきた。結界内から攻撃できないんなら意味がない。じっと殻に閉じこもるカメだ。
だから塔の街の結界は限定的だったのだろうか。ひょっとしてじいさんは攻撃に特化して、守ろうという気はなかったのかもしれない。
「シン、ずっと上りだね」
「疲れた?」
「平気」レイは続けた。「土塁は低いところだと思うの。だからちゃんと反対へ向かってると思っただけ」
「待てよ」
僕は振り向いた。
しゃれこうべが現れた。
「心臓止まるわ」
「暇だし。急にどした?」
「僕たちは中央から東の教会くらいに行かないとならんわけだ」
「だから上りすぎるといけないんじゃないかなと思ったの」
しゃれこうべが話した。要するに上れば上るほど城に近づくと。そう言いたいんだな、レイは。
「正解。一つあげる」
レイは僕の頭にしゃれこうべをかぶせた。ありがとう。しかしこの死人は大きな頭だな。僕は左に手を差し伸べた。こっちだな。
「こっちに通路があれば進んでいこう」
「さっきあった」
「なぜ言わない」
「どんどん進むから、秘密の抜け穴みたいなの知ってるのかと」
「知るわけないよ。どれくらい戻ればある?」
「神殿の下くらい」
「マジか」
「マジ」
僕はレイに頭のしゃれこうべをかぶせると、顔半分が隠れた。
「似合うね」
「うれしくない」
レイはかぶったまま、
「次見つけたら曲がる?」
「そうしよう。今さら神殿みたいなところまで戻るのは怖い」
戻ったはいいが、また狙い撃ちされたら堪ったものではない。土塁の外の外、丘の上からだぞ。しかしあれは三撃目だ。一撃は西の教会、二撃目は東の教会。そして三撃目にレイが狙われた。しかも結構連続だったよな。もし一撃目で食らっていれば死んでいたかもしれない。
「シン、邪気だ。他にも」
「住人?」
「わからない」
「どのみちやるしかないか」
僕はロウソクを吹き消した。レイが寄り添うと、ずいぶん前に人の姿が見えるような気がした。
「僕には霞んでてわかりにくい」
「目で見るんじゃない。考えるんじゃない。ただ感じるの」
「わかった」
「たぶん邪気だと思う」
何かおかしくないか?今の言葉の使い方は、単なる当てずっぽうという意味ではないはずだぞ。
僕は、
「燃やすか」
と何気なく呟いたが、他にもいる可能性もあるのか。レイは正々堂々とやろうと駆け出した。まあ邪気以外もいるかもしれないしな。
「まったく!」
僕もハンドアックスを抜きながら追いかけた。レイの手から鞭がしなる。地下道に潜んでいた影が一気に照らし出された。僕は鞭の下、飛び込んだ。左のハンドアックスで棒状の剣が跳ね飛ばし、右で敵の腹をえぐろうとした。しかし相手は逆宙返りでかわした。すかさず脇から刃を突いてきた別の敵にハンドアックスを投げつけた。つい今、僕から逃れた敵は攻撃に反転した。一瞬でレイの無数の鞭で粉々に刻まれた。
「こんなところにいるなんてね、それにしてもロウソクいらなくね?」
僕は息を整えながら精一杯の冗談を言った。塔の街やコロブツにいた連中とは違い、一人一人の強さが際立っていた。
「シン!」
倒したと思っていた敵の体が噛みつこうとして飛び跳ねた。僕のハンドアックスは牙ごと敵を倒した。
「こいつら頭がおかしいんじゃないか?ここまでするか?」
すると、まだ先からガチガチと音が聞こえた。火打ち石だ。
「まだ向こうに邪気がいる!」
レイが突っ込もうとしたところを寸前のところで止めた。焦げ臭い煙が流れてきて、袋を手にした男が走ってきた。
「レイ、結界!」
僕はとっさにレイの体に覆いかぶさった。敵は自爆した。僕たちは結界ごと吹き飛ばされた。地上は地盤の弱いところが亀裂が走って、ところどころで陥没していた。
「レイ、大丈夫か」
「大丈夫に見える?」
レイの顔は煤塗れで、煙のせいで涙を浮かべていた。結界が転がった後、ようやく止まった。球体の結界は石畳の石や骨、壁のレンガで埋もれていた。
「何で結界が球んこなんだよ。もっと普通のがあるだろ?」
「普通って何?こうしなきゃいけないとかあるの?とっさにイメージしたら球んこになったんだもん」
「泣くことはないだろ」
「煙たいの」
「それならいいけどさ」
と言いつつ何とか這い出すことができたのもつかの間、ゆっくりと巨木が倒れてくるのが見えた。僕は慌てて肩で担ぎ止めた。
「今の何!」
「あれだよ、あれ。土塁のところで爆発した奴。火をつけたら爆発しただろ?花火と同じだよ」
「花火、塔の街で一緒に見た!シンは覚えてる?」
「忘れるもんか!」
「うん。きれいだったよね」
「きれいだった」
「また見たいね。ところで何で木なんか担いでるの?」
割れた天井からは光が降り注いでいて、頭上からザワザワと人の声も聞こえてきた。
「どなたか引き上げてくれませんか!」
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