第7話 怪鳥
いったん空高く舞い上がった怪鳥は、再び城に急降下した。城にぶつかるたびに、衝撃と苦しげな鳴き声が街に響き渡った。これだけでも住人を怯えさせるのに十分だった。
「あ!」
僕は日の昇る教会の向こうから二匹の怪鳥を見つけた。二匹とも続けざまに超高速で城へ突っ込んだ。びくともしない城の結界に怯んだ三匹は街の上で旋回を繰り返した。
「連中、どうする気だろ」
「あれは何?」
「この世界が長いレイにわからないもんが、僕にわかるわけないよ」
「何か冷たい」
「そう?」
さすがにこうなると街は騒がしくなってきたな。そりゃそうか。
「見に行こうよ!」
こっちは興味津々だ。
僕たちは教会から離れ、路地を走り抜けると、丘の上に向かう長い階段を上がりきった。石造りの神殿が建っていたが、もはや誰にも見向きもされていない様子だった。
「何の神様だろ?」
僕は気になった。時間があれば興味本位で調べたいところだ。この世界は古いのだとわかると面白い発見がある。ちなみにコロブツの教会も湖の精霊の土地に建っていた。
「上へ」
「これ以上どこへ?」
レイは屋根を指差した。
「ここで見えるし」
「ああ!」
「急に何だよ」
「さっきのことまだ怒ってる」
「さっきのこと?」
「食堂で」
「忘れてたよ」
「♪何もない何もない。わたしも覚えてない♪」
何だ、その歌。
どうせ付き合わなければいけないので、探索ついでに行こう。形だけは封鎖されていたが、すでにあちらこちらのレリーフは剥がされ、誰かが暮らしていた気配もある。何を祀ってあったかすらわからない。こういう建物は祭壇裏には階段かはしご段があることが多い。地下へと通じるものもあれば、屋根裏に通じるものもあるのだが、今回は地下へと行く必要もないので、はしご段で屋根裏に向かった。
「もう盗まれた後だね」
「本当に何もないな」
「そこに死体がある。死体だったようなものだね。壁際にもある。女と子供かもね。二人とも冬越せなかったんだね」
僕は手を合わせた。
「何?」
「南無阿弥陀仏だよ。なむあみだむつ。僕たちの世界では死んだ人に言うんだ」
屋根裏は意外に光が差し込んでいるが、特に点検口はわかる。いつもこんなことをしているようだが、しているのだ。かつては栄華を誇っていたであろう建物は、打ち捨てられた後は、たいていこんなものだ。建物が潰されていることも多い。
「ナムアミダブツって?」
人が死ぬと、魂が阿弥陀様という仏様のところへ行く。そのときに見送る者が、どうか今から行く人をよろしくお願いしますと祈る。
「他にもあるけどね。こっちの世界と同じで、いろんな宗教があるんだよ」
屋根に上がった。
「また死体だね。こっちは干からびて白骨化してる。なむあみだぶつ」
「やめときなさい」
「どして?罰当たる?」
「レイの場合、迂闊に言うとどうなるかわからん」
「わたしをバケモノみたいに言うんだから」
「言霊ってわかる?」
「わかんない」
「僕の世界では、言葉には魂が宿ると言われてるんだ。だから無闇に死ねとか殺すとか呪うとか言わない方がいいと言われる」
「へえ。シンの世界は魂がたくさんいた世界だね」
怪鳥の様子を見上げた。全体は銅褐色で長いくちばし、緑の目、背びれのついた首、コウモリのような翼を持っていた。気味が悪い。
「城も攻撃を防いでる」
レイは怪鳥の動きを見ながら感心していた。僕はどこから来たのか推測の材料がないか探した。
「おお?」
「どしたの?」
すでに一つの軍が南の丘陵地に布陣していた。迷いの森を背にハイデルの側からも、逆の側からも進軍していた。リュックから取り出した望遠鏡を延ばした。教会は何でも持っている。一つ巨大なテントが設営されつつある。そこには真紅の旗がたなびいていた。ほれとレイに望遠鏡を渡すと、援軍かなと呟いた。
「そんなわけない」
「じゃ援軍は?」
「僕たちが来るとき森の向こうにもいなかったし、ハイデルまでの街道にもいなかった」
「来ないのか」
「たぶんね」
聖なる山から迂回して、南に陣を敷いたんだな。おそらく籠城戦だと思い込んでいた。
「こっちがら空きだね」
西は多少狭いが、あの丘に陣を置けないこともない。しかし誰もいないように見えた。そしてレイは東を覗いて、眩しいと顔を背けた。
「お日様を見るからだ」
「目がぁ!目がぁ!」
「つまんないことしてないで逃げる手段考えよう。こっちからは逃げられるかな。森と峠越えだな。森と峠にはろくな思い出がない」
「わたしは楽しい思い出しかないけど。角の獣に追いかけられて、必死で逃げた」
「木こりから余計なもん盗もうとして崖から落ちかけただろ。まだあのカウベルの音が聞こえるわ」
「今となってはすべてが楽しい思い出だね」
「あの頃に戻りたい?」
「今がいい」西を指差して「あっちから逃げられるんじゃね?シンは戻りたいの?」
「いや。どうせ同じことするんだろうし。今がいいとも言えない」
「どして?」
南西の陣に複数の巨大なクロスボウが組み立てられていた。まともにここに飛んできそうだ。敵の目的は落とすだけではないのでは。
「何してる」
レイが怪鳥に指を差した僕に尋ねた。何となくやってみた。
「落ちろ!」
一匹が城に激突する瞬間、あさっての方へと向きを変えて街から離れた丘へ突っ込んで、しばらく藻掻いていたかと思うと、緑青の柱に覆われて消えた。
「……」
「シン……凄くね?」
レイは僕の手を持ち、食い入るように指を調べた。匂いを嗅いでみて、舐めてみて、噛んでみた。
「凄い指だ」
「指が凄いのか?」
レイもできるかもよ。
「おう!」
レイは額飾りをネックレスにした。そして街を脅すように旋回する一匹に狙いを定めて、右の拳で「死ね!」と殴りつけた。怪鳥は首がちぎれて頭が破裂し、胴が南の土塁に衝突した。レイは神妙に自分の拳を見ていた。
「えぐいな」
「わたし強い」
それは違う。レイの場合は攻撃のバリエーションが増えただけのような気がする。しかしレイは神々しいまでの明るい顔で、
「シン、もう一度して!」
と頼んできた。多分二度はできないと思うよと言いつつ、同じようにしてみた。今度は爆発しろと。
怪鳥は粉々に吹き飛んだ。
「シン、凄い!」
「そっかな」何だか照れくさい。
「そんな力あるんじゃん!」
レイは僕の手を取って感極まったかのように抱きついてきた。
「お姉さん、うれしい!」
「待て。誰がお姉さんだ」
「へ?だって婚約者は嘘つきだと言われたから」
マジメだな。
そして急にレイは落ち込んだ。
「シン……」
レイは手の平で僕の首を拭うようにした。そこにはべったりと血がついていた。彼女は無言でシャツの腕を裂いて僕の首に巻いた。
そして、
「使わないと約束して」
と泣きそうな顔をした。このリングは僕の命を削るのか。ひょっとしてレイが術を使うときも僕の命を糧にしてるのかもしれない。レイが焚き火なら、僕は薪だ。僕はこのことは言わないでおこうと決めた。
不意に西の陣から風を裂く低音が押し寄せてきた。とんでもない大きさの矢が街へと射掛けられた。
「来た!」
しかしあれくらいは結界があるから大丈夫だ。矢は僕たちの頭上を衝撃とともに飛び越えて、中央広場と城の間に突き刺さった。
「何で?」と、レイ。
第二、第三の矢が時間を置いて飛んできた。第五の矢が僕たちのいる神殿の丘に突き刺さった。
僕は認めたくない。
「シン、結界壊した」
「僕のせい!?」
「二回壊した」
「たぶんちゃんと修復するんじゃないか?こんな大きな結界が壊れたらおしまいなわけない」
中央の陣から閃光がしたかと思うと、西の教会が倒れた。刻を告げる鐘が陰鬱な音とともに落ちた。
再びの閃光。
東の教会は跳ね返した。中央の結界も復帰した。まだ結界は一部を覗いては機能していた。機能していない一部というのは、ここだ。
「逃げよう」と、僕。
「どこへ」
まともに閃光が煌めいた。
レイはとっさに両手の平を差し出した。衝撃が岩で別れる水のように後ろの建物へと流れた。城の下までの建物が薙ぎ倒されていた。
もちろん神殿が倒壊した。
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