第14話 ミア

 咳を我慢したが、我慢しきれずに咳き込むと、これでもかというくらい生臭い鮮血が出たところまでは覚えているが、今はベッドにいた。

「どれくらい寝てた?」

 何とかかすれた声が出た。

「二日くらい」

「戦は終わってるとかないよね」

「街が攻められてる」

「風に当たれるかな」

 わずかに開けられた窓際のラタン網のカウチに体を横たえた。すでに中央広場付近も怪しい。市街戦なんてしているとは思わなかった。

「規模は小さいけど」

 雲が流れる。

 風が心地よい。

 暑苦しい包帯を外して、薬草の湿布だけを何度も取り替えた。息をするたびに喉で空気が漏れているような気がしたが、そんなことなどあるはずはなかった。

「レイ、暗い顔してるね」

「何とかしてリングを外す」

「やめてくれ。リングがなければ首が跳んでる。レイのおかげで砕けずに済んでる。何か飲みたい」

 レイはポットから深いカップに生ぬるいお湯を注いで、僕に飲ませようとしたが、僕は自分で飲んだ。

「苦っ。何だ、これ」

「薬湯」

「そうなんだ。苦さが喉から胃へ流れるのがわかるよ。軋むみたい」

 カップをレイに渡した。飲んでみたかと尋ねると、飲んでいないと言うので勧めた。僕が治るために準備してくれたのだから、自分が飲むわけにはいかないと答えた。

「まあいいから」

「苦あっ!」とレイ。「これ本当に治るの?死なない?」

 僕は笑った。回復のための栄養が入っていると伝えられていたが、ごくごく飲めるものではない。

「確か医療部の呪術科が調合したと話してた。ひどい味じゃん」

 しばらく間が空いた。

 僕は「剣は?」と尋ねた。

「陛下が見たいと」

「そうか。何となく扱えそうな気がするんだよ。言葉では言いにくいんだけど、何か気づいたというか」

「ダメ」

「聞いてくれ」

「聞きたくない。あれはこの国が教会から借りたもの。もうシンには関係ない。陛下が使えばいい」

 レイは早口で答えた。

「怒ってるのか?」

「うん」

「試したいことあるんだけどな」

「傷が癒えるまではダメ」

「体が覚えてるうちに」

「ダメ」

 レイは湿布をわずかに剥がして指を突っ込んで傷口を調べた。激痛でもんどり打った。

「ほら」

「誰でも痛いわっ!」

「それに癒えてもダメ。二度と剣には触らない。約束だからね」

 扉にノックが聞こえた。

 レイがミアを迎え入れた。

「あ、飲んでくれたの?」

 コップを見て笑った。

「でもね、一回にこんなに飲むもんじゃないわよ。量を飲むなら水で薄めるの。一緒に水を置いてたはずだけど。そのまま飲むなら親指くらいの量でいいのよ」

「レイ、間違えただろ」

「たくさん飲めばそれだけ早く治らないの?」

「そんなわけないわよ」

「わたしが飲ませてあげようとしたのに勝手に飲んだのが悪い」

「レイはおもしろいわね。後でお水飲めばいいわ」

 やさしく話しながら、一気に湿布を剥がした。さすが生き馬の目を抜く塔の街でしっかりと修行してきただけはある。図太い。

「レイ、寝た方がいいわよ。ずっとつきっきりなんでしょ?」

「わたしは平気よ」

「ダメよ。わかるわ。しばらくわたしが代わるわ」

「油断できない」

「わたしはこれでも薬学と治癒学の免状あるんだけどな」

「二人にできない」

「そこのベッドあるじゃない」

 ミアは指差した。レイはなるほどと納得して、寝転んだ瞬間寝た。

「前に何かしたの?」

「何もないよ」

「ずいぶん弟くんが好きなのね。これを飲んで。わたしの調合よ」

 粉薬を水で流し込んだ。この世界の薬の効果はどれも苦いのか。ともかく飲んだ瞬間に死ぬ奴もいそうだと思った。吐き出したいが、吐けばまた飲まされる。

「姉弟じゃない」

「知ってるわ」

「だと思った。言い方が意地悪いんだもんな。姉弟なんて通じるか」

「でも一緒に旅してるんなら勘違いされる。姉弟設定しててもおかしくないわね。でも逆じゃない?」

 どう考えても兄と妹の方が良くないかと言われたが、レイが姉がいいと言うからしようがない。

「でも意外に姉さんなところもあるんだよ。見てる分にはわからないだろうけど」

「ごちそうさま。ノロケ話は楽しいわね。ところであれからどこか具合悪くなってない?」

「薬はよく効いてる気がする。お世辞じゃなくて本当に」

「ありがとう。うれしいわ。でも揉めるかもね」

「何がですか?」

「セゴはレイに夢中よ。ルンルンしてるわよ。レイに部屋に鍵掛けとくように伝えてあるけどね。あれは羽根があれば飛んでるわね」

「レイはどう思ってるんだろ。幸せになるんならいいんだけど」

「どうも思ってないわね」

「わかる?」

「あなたは鈍いのね」

「何とでも言ってくれ」

 ミアはカップに残った液体を口に含んでまずいと顔をしかめた。我ながらまずいものを調合したわと笑ってみせた。でもよく効くのと。

「不愉快?」

「自分でもわかっていることを言われると答えに困る。確かに鈍いのかもしれないけど。これまでも気持ちを殺して生きてきた」

「言い訳は置いておくとして、たぶんもうセゴはお付き合いを申し込むわよ。申し込むのは結婚かも」

「そうなのか。でもセゴには僕たちは婚約者と話してあるんだよね」

「だから何?」

「え?」

 僕は当惑した。レイのウェディングドレス姿を思い浮かべた。

「ほらほら。図星ね?」

「いろいろとあるんだよ。それは二人のことだからどうしようもない」

「レイがセゴに応じたら?」

「もういい。話を変えよう」

「こ・と・わ・る」

 これは診療ではなく、ただの茶飲み話だ。僕は窓から見えている街の炎と立ち込める黒煙を見た。

「でもここが安住の地になれるとは思えない。二万の軍で取り囲まれた国だよ。しかも命を賭して持ち帰ってきた剣を扱える者もいない」

「わたしの弟は犬死になの?」

 笑おうとして涙がこぼれた。それでも指で涙を拭いて続けた。

「ごめんなさい」

「そうならないために僕がしなきゃならないんだよ。だからずっとどうすればいいのか考えてた」

「あなたに義務はないわ。どう考えても王や王子がすることよ」

「でもどちらがにせよ、難しいとは思うんだ。扱えなければ死ぬよ」

「あなたの姿を見てたらわかるような気がするわ。あの剣を一度でも扱ったことがあるんでしょう?」

「だからこそいろいろ考える」

「考えた末、レイを捨てる結論に至ったわけね?」

「追い込んでくるね」

「女一人、塔の街で呪術を学んでいたのよ。そこそこ厳しくもなる」

「捨てる気なんてない。僕は川の上の橋なんだよ。人は通れたときにはありがたさに気づかない。でもなくなったときに気づく」

「あなたは臆病者よ」

「まあね。レイがいなくなるのは怖いんだ。でも連れ回せないよ。イジメに来たの?」

「そういうわけじゃないわよ。治療したらすぐ帰ろうかと思ってたんだけど、ちょっとね。弟のこと話してくれないかと思ったの。結局ね、わたしも臆病なの。わたしが塔の街にいた間、弟は立派な剣士に成長してた。近づき難くてね。だから今さら弟のことを聞きたいと思うのはエゴなんじゃないかと」

「そうでもないよ。ただ申し訳ないけど、弟さんのことについては話すことなんてないんだ。元気になったらビアを奢ってくれると約束したくらいだ。それと……」

 僕は少し身を起こした。ミアが楽になるようにクッションを背中にずらしてくれた。

「それと?」

「よく剣を持って帰れた。教会の封印があるとはいえ、よほどの精神力がなければ惑わされてる。精神的に追い詰められていたはずなのに」

「そうか。凄いことした?」

「もちろんだよ。僕は剣に魅入られた人も見た。でも彼は耐えた」

「任務のことしか考えてなかったのかもしれないわね」

「それか家族や仲間のことだけを考えていたのかもしれない。だからこそ僕はあの剣を活かしてやらないといけないと思うんだ」

「あなたはやさしいのね」

「なぜ呪術学校へ?」

「小さい頃よ。わたしは自分に力があることに気づいたの。父が成功するんじゃないかと考えた」

 ミアは水差しから水を汲んで、一つを僕に渡した。もう一つは彼女が両手で覆うように持った。

「初めは父と一緒に塔の街に行ったのよ。父は商人でね。塔の街での生活には自信があったみたい。でも塔の街を舐めてたのね。父は冬にちょっとした風邪がもとで死んじゃったわ」

 帰ろうとは思わなかったのかと尋ねると、借金があるからと。呪術学校自体は安いが、暮らすとなれば必要なものは多いと話した。

「だからわたしは学んだ。気づいたら三年。ほとんどの人はすぐに辞めていった。友だちもいない校舎で学んだわ。お金持ちの子は遊んでたけどね。あなたも学んだみたいだからわかるわよね。趣味の人もいた。わたしの呪術も使えるか使えないか何とも言えないくらい。こんなんで帰れないと薬学も学んだ。こっちの方が得意みたい。教官にアイデアも技術も褒められた。帰ってきてからは王族に召し抱えられた。基本は医療部所属だけどね。恵まれてるわ」

「王族もこのくそまずいのを飲んでるのか」

「確かに味を何とかしろと言われるけどね。でも贅沢言わないでほしいわ。庶民が飲めない薬よ」

 ミアは顔をしかめた。

「姫様も文句言うのか?」

「カザミ姫とお会いしたの?」

「話したよ。剣を使いこなしたいと話しかけられた。いずれ城のために戦わなければいけなくなると」

「そんなことをね。あの子は苦いお薬はギャンギャン泣いたわ」

 ミアは「言うことを聞かないと苦いおくすりを持ったミアが来る」と脅されていたらしい。

「ひどい話よね。でも姫様がそこまで考えてるなんて驚きね」

「人それぞれ意地があるのかもね」

 レイは村から捨てられた。僕たちが塔の街にいたのは一年前だ。塔が消えたときだ。なぜ彼女が塔の街に行こうと決めたんだろう?死ぬ前に白亜の塔というものを見たかったのかもしれない。たぶん覚悟はしていたと思う。だからこそ僕はレイが幸せになることを望んでいる。

「あなたと一緒が幸せなら?」

「まだこの話を続けるの?始終こんなことに巻き込まれて幸せなわけがないよ。今も僕は吐血して倒れたんだからね。幸せは平穏にこそあるんじゃないかな」

「あなたの考えはね。あの子は一緒にいられるならどこでもいい。それにこの世界に平穏はないわ」

「やめよう」

「や・め・な・い」

 友だちがいなかったのは別に理由があるんじゃないのか。僕の周りにはこんな女しか集まらない。これこそ呪われた剣のせいだ。国ノ王は別として、普通に考えれば女王こそおっかないのかもしれない。

「わたしね、レイと一緒にお風呂に入ってるの。いい子よね。いろいろ話してくれるわ」

 僕は薬湯を飲み干した。これからの話は込み上げてくる苦さで紛らわせるしかない。そもそも別の世界から来ていて、いずれどこかへ消えてしまうこと。僕がいなくなることを考えれば怖くなるということ。

「あなたとのことしか話さないんだけどね。村から追い出されてからのこと。角の獣に追いかけられたの?塔の街はでの暮らし。生きてるのに死んだと間違われて墓に埋められたこと。もうおかしくて笑い転げて聞いてるわ。湖を壊したこととか」

 ミアは立ち上がると、遠く市街地を燃やしている炎を見つめた。閃光が彼女の顔を照らした。

「もうわたしは父とも弟とも話せないわ。たぶん近いうちに他の人とも話せなくなる気がするのよ」





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