第4話 転落
僕たちは空き家を借りることにした。外とどう違うのだと言われると、屋根と壁とベッドがあるくらいだ。しかし埃が舞っていない中で眠れるのはいい。
ここも決していい暮らしをしているとは思えない。すでに布団も鍋もない。初めからないのか、誰かが持ち出したのか。住人も生きているのか死んでいるのか、また逃げてしまったのかわからない。ただレイが言うには家の中には邪気はないとのことだ。もうね、誰が生きてて誰が死んでいるのかドキドキするよ。
隣で寝ていたレイが不意に上体を起こした。何をしでかすのかと見ていると、寝ている僕を見た。
「邪気が来た」
と呟いた。僕は「へえ」と答えて背を向けた。レイも体を寄せてきた。少しして火が爆ぜる音が聞こえて煙の臭いが充満した。
火だ。
焚き火の不始末か。
僕は外に飛び出した。レイは自らはリュックを持ち、僕には革帯を投げて寄越した。僕に向かって黒い影が飛んできたところ、レイが影を蹴飛ばした。転がった影は人だ。小剣の刃を突きつけてきたので、レイはショートソードで斬り返した。
「邪気だ」
レイが叫んだ。
僕はハンドアックスで背後の影を払い落とした。地面に転げた頭が炎に照らされ、泣き別れた首からは血飛沫が溢れていた。
村が燃えていた。
近くで、
「おっとう!」
と子供が叫んだが、殺されるのが見えた。向こうの十数軒には人がいるようだ。僕はレイの背を追いかけるように走った。土塁の雑木林から何人もの人が飛び込んできた。
「貴様、我が息子を!」
上半身裸の男が剣で応戦していたが、群がるような人影に飲み込まれて地面に倒れた。家が簡単に燃え落ちた。正体のわからない誰かが火をつけている。レイの漆黒の蛇が敵らしき影を倒しているが、乾いた空気のせいか火の手は広がる。どんどん勢いを増して、煙が土塁の村に充満していた。ただ敵としてもこんなところに手練れがいるとは想像もしていなかったようで、予想外の反撃に集団としての呼吸も乱れていた。
笛の音が三度聞こえた。
僕に襲いかかろうとしていた敵は背を向けて、外の土塁へと逃げようとした。僕はハンドアックスを投げつけて足止めしたが、仲間が逃げ遅れた奴を始末してしまった。
僕たちが見えるところの集落は焼け落ち、寝ていた者たちは焼け死んでしまい、気づいて外に出た者は声を上げる間もなく殺された。
僕はつるべ井戸から水を汲み出して飲もうとしたが、やめた。これくらいのことをする連中が井戸に何もしていないわけがない。
「毒?」
「わからない。もう火は消せそうにない。このままじゃ僕たちも煙に巻き込まれる。ここから離れよう」
「まだ生きてる人もいるかも」
「レイ……」
「うん」
「何が何だかわからない。生きてる敵がいれば聞けるんだけど」
僕たちは一人を運んだ。味方にやられた若い男は敵なのか村人なのかわからない格好をしていた。火打ち石と火薬臭い砂の入った巾着を持っていた。若いなと思いつつ金の入ってない巾着を燃える家に捨てた瞬間、爆発ででんぐり返った。
「痛たた」
「何!」
「爆弾かも」
「何それ」
僕は火をつけたら爆発するものだと答えた。大丈夫だ。そんなに強い爆発でもない。この世界に火薬があるのかと思った。
「シン、わたしは子供が殺されるのを見た。親もだよ。こいつらは迷いがない。でもこいつも子供だ」
レイがふらついた。手の甲にかすかに切傷を負っていた。ここで白亜の塔の治癒が使えるのか。片膝をついたレイを抱き締めるようにして、両手で手を包み込んだ。僕たちのところに無数の矢が降ってきた。燃える集落は、ますます崩れ落ちて何とか出てきていた人々は、矢で命を奪われた。レイがまとう緑青色の結界が矢を跳ね返していた。一瞬、攻撃がやんだ。僕はレイを抱えて内の土塁を上った。突き刺さる矢を足場にして、勢いで十メートル上の雑木林に飛び込んだ。
「レイ?」
「少しマシかな。視野も戻ってきたみたい。ただ煙で涙が止まらない」
「風が街へ流れてる」
とはいうものの、逃げるところはテイムの街しかないので、煙の薄いところを這うようにして進んだ。
見下ろしたルテイムの街は、墨を流したように黒ずんで見えた。いくら夜とはいえ暗すぎた。どこかしらに火があるものだが、ここには何もない。土塁の下は川が流れ、降りられるところはなさそうだ。
後ろには火と煙が迫る。今は多少無理をしても岸辺まで、十メートルの高さの土塁を降りるしかない。ハンドアックスを突き立てつつ、斜面を下るしかない。まだ矢は雑木林の枝や葉を引き裂いていた。
「歩ける」
「もう結界はいらない」
「うん。でも連中、どこから来たのかな。何者なの?雑木林にも潜んでた?」
「いたはずだよ。でもまったく訳がわからん。じいさんとばあさんとお別れしてるのに、何でこんなことに巻き込まれるんだ」
僕たちは土塁を降りようとしたところで川まで転げ落ちた。まさか断崖になっているとは思わなかった。
湖の精霊の嫌がらせだ。
竹が引っ掛かる。
川底を転がるようにして、流されるまま渡りきることができた。ようやく街の外れの川原へ這い上がるることができたとき、レイが「もう平気だから」とむせた。
「ん?」
僕は手を離した。川を渡るときに離さないでいたのだ。引きずり込んだのか。ごめんと謝ると、気持ちはうれしいけど死ぬかと思ったと答えた。すでに傷はほとんど消えかけているようだ。単にレイの回復力が凄まじいのかもしれない。僕に治癒の力があるのか疑問に思えてきた。疲れるということは、少しくらいはあるはずだ。これで効果がないなら恥ずかしいので、もう自分にだけ使うことにしようかと考えた。
「自分ではわからないの?」
「何が?」
「治癒の力」
「どうしてそんなこと?」
「シンが考えてた」
「読めるのか?」
「今は読めた」
「じゃこれは?」
「わかんない」
「そうか」
「何を考えたの?」
「街が暗すぎないかと」
「わかんなかった。でも言われてみたら本当に暗いね。まるでみんなで息を潜めてるみたいだね」
とりあえずリュックも何もかもがずぶ濡れで、川を歩いた。もうこんなことは慣れていたが、自分から進んでしようとは思わない。
雑木林にも火が見えた。
揺れる闇の向こうから一人、また一人と近づいてきた。着ているから服とわかるくらいの格好で、手に手に鍋やら釜やら包丁を持つ女、鎖帷子に剣や盾を持つ者もいたし、ハンマーや斧を持っている奴もいた。
どこの誰かわからない者が煤塗れで川を渡ってきたのだから、誰もが警戒するに決まっていた。こちらもどこの誰だかわからないのは同じだった。身構えた僕は、まだ本調子ではなさそうなレイを背に隠した。
レイがひっくり返った。
浅瀬でバタバタした。
「押したし!」
「守ろうとしたんだよ」
「守られなくても平気!でも気持ちはうれしい」
レイは答えた。
武装した連中は、やり合う僕たちに警戒心を解いた。長い剣を持つ一人が言うには、元々は土塁の集落に住んでいたとのことだ。
「子供も大人も殺されてた」
「そうか。腕に覚えがある人は残ると話してたが」
「何ですか?」
「おまえさんらは見たところ旅をしているようだな」
「ハイデルから来ました」
「ハイデルの前は?あそこは港だからな。皆、風待ちに使う」
「コロブツです」
どこだ、それという気配が満ち満ちていた。気まずいな。レイが言わなければいいのに、
「塔の街にいた」
と、付け加えた。
「塔が崩れたのは本当か?」
僕はレイに「ほらね」という顔を向けた。同時にどこまでも噂は流れてくるもんだなと感心もした。
「でもさ、どこから来たって聞かれて知らないと言われたら何か腹立つじゃん」
「言いたいことはわかる。ちょっと有名なところで話を続けたい」
「でしょ?」
僕は潰れたと頷いた。
しようがない。
「本当に塔が潰れたのか?おまえは見たのか?」
見たも何も。
レイが僕を指差していた。
冗談でもやめなさい。
「じゃこの街もおしまいだな」
「なぜ!」
僕とレイが同時に放った。
「そりゃおまえさん、ここは塔の街からの援軍を待ってるからだ」
ちょっと待て。ここはレイと話さなければならない。僕はレイの肩を抱いて、皆に背を向けた。
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