第10話 抜け穴
正門をくぐると、姿が映るほど輝いている巨大な一枚岩が待ち構えていた。僕とレイは二人並んで同じような間抜け面で眺めていた。
「大きな岩だね」
「御影石みたい。他の岩とは違うものだね。硬そうだ。壊すなよ」
「何でも壊してきたみたいに言わないでください」
レイは答えた。これまでどれほどのものを壊してきたのか考えてみろと言うと、シンも同じくらいだと返された。それに関しては大小の差こそあれ、お互い様だ。
「前の世界でも壊してたの?」
「んなわけない」
「怪しい」
「レイに怪しまれるのは悲しい」
「うそうそ。ぜんぜん怪しんでないし。何ならこの世界でも壊してないことにしてもいいじゃん」
僕は指折り「白亜の塔、貴族屋敷、呪術学校、聖女教会コロブツ分院、コロブツ湖のミタフ村堰、精霊の地下神殿、穀倉地帯の水路」と数えた。
「ルテイムの街の結界」
レイは付け加えた。
「この岩、きれいだね」
「ピカピカしてる」
「術がかけられてる気もする」
「なぜわかるの?」
レイは驚いた。そして僕の首に巻いている包帯代わりの袖に手を伸ばしてきた。
「使わないでと言ったよね?」
レイは食い殺さんほどの顔で睨みつけてきた。特に何も使ってはいないと答えると、表情を緩めた。
「約束はね、シン、守らないといけないんだからね。いい?」
「あ、う、うん」
レイは笑っていない。
「な、何となくそんな気がすると思ったんだよ。こんなもの見るからに怪しいだろう。ところで僕の首そんなにひどい?」
「痛くないの?」
「特には」
「ちゃんと治さないと。いつまでもこんな袖巻いてちゃいけない」
「さっきから自分に治癒の術やってるんだけどね。でも自分の傷を自分で治すのは呪術じゃないね」
右手の奥には礼拝堂らしきものが見えた。大きな広場、間もなく戦場になるだろうところへの砦にもなっている。
「これ外してもらえんの?」
僕は手鎖をレイに見せた。
「わたしに聞かれても」
門兵は誰かを待っている様子で手持ち無沙汰にしていた。
「シン、あの建物にいる神様か精霊様か悪魔に力を借りるとか?」
「いい考えだ。悪魔はいらん」
「別に悪魔でもいいじゃん。呼び方なんて気にしない気にしない。いい悪魔かもしれないよ?わたしも聖女様からすれば魔族なんだもん」
「僕は魔族に仕えてるのか。大きなくくりで言うと魔族だね」
僕たちが礼拝堂へ歩き出したところ、二人の門兵が慌てて正面に回り込んできて槍で止めた。だいたいからいつまで待たされなきゃならないんだ。僕とレイが同時に文句を言おうとすると、軽い衝撃が響いた。
「どした?」
「あれだね」
外廊の結界に怪鳥が衝突したのが見えた。二匹、三匹と結界を破ろうとして遥か上空から急降下してきたが、ここでは石ころでも落ちてきたかなというほどの印象しかない。
「おまえたちセゴ殿が来るまでここから離れるなよ」
門兵が自分の持ち場まで急いで戻った。歩廊の下の暗がりに消えるのを見てから、レイは上空にも門兵にも興味がなさそうに歩き出した。
礼拝堂は開け放たれていた。
天窓にはステンドグラスがはめ込まれていて、そこには花畑にたわむれる女の子たちが描かれていた。
柱と床しかない。
僕は祭壇に近づいた。
「聖女様かな」と、レイ。
「かなぁ」
僕は祭壇を覗き込んだ。聖女教会のコロブツ分院など比べるまでもなく巨大で豪華だった。
「何か聞こえた?」
レイが言うので、すぐに僕は祭壇に背を向けて礼拝堂を後にすることにした。いつもこんなときはろくなことがないことを学んでいた。とりあえず正面玄関に戻って待つことにした。それにしてもさっきからガツンカツンと鳴る頑丈な結界だ。
「誰かいないか!」
祭壇から男の声がした。
ほらね。
僕たちは礼拝堂の出入口で止まった。どうする?と互いに顔を見合わせたが、どうもこうもない。
「そこの二人!ノイタ様を呼んでくれ!頼む!チウタキが戻ってきたとお伝えしてくれええっ!」
僕はレイに門兵にこのことを告げるように言うと、しようがなしに声の主のところへ戻った。
「あ、レイ、これ頼むわ」
僕は鎖を見せた。レイは自分の手鎖を力任せに外して、僕の鎖も破砕して駆け出した。声の主は泥と煤を引きずりながら祭壇から這ってきた。足は靴がなく血に塗れ、手の爪は剥がれて、耳が削げて、なおも生きようとしていた。
「貴様は?」
「僕はセゴ殿の知り合いです」
重い頭を抱いて、ひょうたんから水を飲ませた。
「セゴか。また会いたいな」
「すぐ来ます」
「もう間に合わんよ」
「これくらいまだまだです」
心臓が激しく動いていた。太ももには棒平剣が刺さっていて、これは邪鬼の持っていたものだ。
「うまい水だな」
「後でもっと飲めますよ」
「どうせならビアがいい」
「命の恩人の僕にごちそうしてください」
「どうかな」
「衝撃があるかもしれませんが堪えてください。白亜の塔で学んだ治癒の術です。いきますよ」
「待て。死ぬ前に渡さなければならんもんがあるんだ。こうしてはいられん」
「生きればいいんです」
僕は彼の鍛えられた筋肉の上から心臓に手を添えた。ガツンと脳天へと突き上がる衝撃がして、それが腕へと伝わると、チウタキの全身にどす黒いものが流れていたが、僕は焼き尽くしてみせた。チウタキは断末魔の叫びを上げて気絶した。煤を手で拭ってやると、やつれた白い顔が現れた。髪は白髪で、髭にも泥がついていた。白亜の塔で学んだできるだけのことはしてみたが、後は本人の生きる力に任せるしかない。
レイが門兵を連れてきた。そして祭壇に光る鞭を繰り出し、二人の邪気を刻んだ。もう反対側にもいたが祭壇ごと斬り捨てた。
「シン、地下にいた奴かな」
「レイはどう思う?同じ邪気?」
「三人以上いたと思う。土塁に火をつけた数ほどいたかもね」
「そりゃそこそこな数だね。僕たちもあのまま来てたら、ここに着いてたのかもしれないのかな」
セゴが現れた。
レイの姿を見て喜んだのもつかの間、床で横たわるチウタキに走り込んだ。僕は「今、治癒をした」と告げた。後は本人次第だとも。セゴはおまえは何者だ?というように驚いた顔をした。
「とにかく傷が深い。毒にもやられている。手当をしてやらないと」
レイは斬り捨てた祭壇の下に通じる通路を見つけた。頭を入れた格好をしていたので、首から斬り落とされても知らないぞと伝えた。
「もう誰もいない。ここは何?」
覗きながら聞くので、僕はセゴに答えを求めた。セゴはよそ者に答えるかどうか迷っていた。
「そこは街へと通じる秘密の抜け道ですよ。城の中でも一部の者しか知りません。いつもは途中途中に魔術を施して鍵をかけて、敵は入れないようになっています」
続いて二人の護衛兵とともに青年が現れた。声の主は肩までの白い肌と金髪に青い瞳をしていた。たぶん僕と同じような歳だが、姿勢からして気品に満ちていた。
「この者は鍵を持っています。その話は後で。早く治癒の間へ運べ」
礼拝堂の外にいた兵士が担架でチウタキを運んだ。セゴはどうすればいいのか迷いつつも、チウタキを見送った後、祭壇まで戻ってきた。
「ほい」
レイはセゴにメダルを返した。気品のある青年は苦笑しつつ、凛とした声で「他の者は外へ。こちらから呼ぶまで入るな」と命じた。
「セゴも隅に置けないね」
「ノイタ様、これは」
「まあいい」
彼は「私はルテイムの第二王子ノイタです」と名乗った。次にセゴに抜け穴を調べるように命じた。
気をつけるようにね。
「セゴに誘われたのですね?」
王子はレイに微笑んだ。レイは頷くと、僕に寄り添うように移動してきた。王子は僕をないがしろにはしていない。もはや一国の王族くらいになれば、誰であろうとも平等に扱ってくれるんだな。
「あの者は何か携えていませんでしたか?」
「何も」
レイは無言で首を横に振った。
「そうですか」
「でも渡さなければならないものがあると言っていました」
僕が言うと、
「殿下、ございました!」
セゴが船荷などに使う大きなドンゴロスを持ってきた。袋には平剣が刺さっていて、焦げてもいた。
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