第11話 王子

 通された部屋は大型犬でも走り回れるくらい広かった。床には絨毯が敷かれ、その上には何人もが寝られるくらいのテーブルが置かれていた。僕とレイは攻撃を耳にしながら繻子張りの椅子に並んで腰を掛けていた。そこにノイタ王子とセゴが入ってきたので、僕たちはお互いぎこちなく立って迎えた。お付きの者が二人で大剣、一人で片手剣を持ってきて、うやうやしくテーブルに置くのを眺めていた。そして王子の頷きとともに、彼らは退室した。

「どうぞお掛けください」

「はあ」と、僕。

 掛けたくないが、掛けるしかないのか。一目散に逃げる。このまま二人ともどこか遠くへ行かせてはくれないものか。僕は渋々腰を掛けると、レイも慌てて僕に倣った。

「こちらにあるのは何かご存知ですか?」

「剣ですね」

 セゴは革鞘から大剣を抜いて重そうに両手で置いた。次に片手剣を抜いて、丁寧に大剣と並べた。

「これは私の部下のチウタキが命に代えて持ち帰ったものです。我々ルテイムは塔の街からの援軍を待っていました。同盟関係なのです」

 いましたということは、今は待っていない、もう来ないと知っているんだな。いずれにしても僕には話が大きすぎる。国同士の関係のことなどわからないし、興味もない。

「チウタキさんは?」

「今はまだ何とも」

 セゴが答えた。

 すぐに王子が話を継いだ。

「我々が頼りにしていた援軍は来ません。白亜の塔が潰れ、今塔の街は援軍どころではないのです」

「ちょっと待ってください。どうして僕たちに話してるんですか?」

 これは単純な疑問だろ。そんな重要なことを、旅の人間に話したところでどうにもならない。隣でうたた寝しているレイがかつて世界を支配した三つ目族だとしても、本人が支配したわけでもないし、今は世界の片隅で細々と暮らしている一種族に過ぎない。

「そうですね」

 王子は苦笑した。

「我々はあなた二人が援軍ではないかと信じたいんです」

「ご冗談を」

「ええ。冗談です。さすかに二人では心もとないですね」

 王子はポケットから厚い封筒を出した。それが封筒であるということがわかるまで、少し時間がかかった。以前の世界に住む僕なら手紙以外にないと思ったはずだが、ここしばらく紙のことを忘れていた。

「失礼を承知の上でお尋ねしたいのですが、字は読めますか?」

「塔の街の字でしたら多少は」

「結構です」

 王子はセゴに封筒を渡して、セゴが僕に渡した。聖印で封が剥がされていた。聖印というのは、封印に術を施して、共通の鍵がなければ開いても読めないようにするものだそうだ。暗号化だな。

 僕は四つ折りを開いた。

 まず下段にどこかで見た印があるのだが、どこで見たのか。

 あ、旗だ。


『聖女教会の下、この二振りの塔の剣をお貸しすることをお約束いたします。この剣は現在は教会に所属していること疑わぬようお願いいたします。戦の済み次第、お返しいただけること信じております。聖女教会評議会』


「何て書いてあるの?」

 いつの間にか起きていたレイが食い入るように見てきた。僕は手紙を封筒に戻してセゴに返した。王子に少しだけ時間をもらい、レイに聖女教会が二振りの剣をルテイムに貸したということを話した。初めは興味なさそうに聞いていたが、さすがにレイも気づいて片眉を上げた。

「ちょっとすみません」

 僕とレイは部屋の隅に行き、

「シン、おかしいよ。まだあれは教会のものじゃないし」

「だろ?でもここで逆から考えてみよう。教会はあれを自分たちのものだと認めてることにもなる」

「あ、ということはわたしたちに関係なくなる?」

「そう」

「問題ないじゃん」

「話はまとまったね」

 僕たちは席に戻った。晴れやかな気持ちとはこのことだ。すでにレイも僕も帰ることしか考えていない。

 王子が、

「よろしいですか。我々は聖女教会に援助を求めました。具体的には教会騎士団の援軍です。しかしそれには議会の決議が必要なのだそうです。もともと白亜の塔と同盟を組んでいたのですから、今さら虫が良すぎる申し出ですし。ただそういう間にも敵は押し寄せてきました。ただの軍ではないのです。敵は異世界から招き寄せたバケモノを軍に組み込んでいるのです。奴らに村々を蹂躙させているのです。今ここに攻撃してきている鳥もそうです。ですから聖女教会も我々の要請を無下にするわけにはいかないのです」

 髭面の騎士が話していた話も通じないバケモノというのは、こういう連中のことか。言葉が通じなければ話し合いもできないもんな。

「街の外れでの噂ですが、第三軍を倒したと聞きました」

「私が指揮をしました。あれは籠城戦と踏んでいた連中の虚を突いただけです。闇討ちです。指揮を失った敵は、もはや……」

 王子は言葉を止めた。

「あれは軍じゃない。虐殺を趣味にしているバケモノの集団です。白亜の塔が維持していた世界の秩序が蝕まれているんです。今好まざる世界へとつながる門が開きつつある」

 吐き気がしてきたが、関係のないふりをして我慢した。世界へとつながる門なんてのは、塔がなくても緩んできていたはずだろうと。

「教会からの援軍はこの剣でおしまいになるかもしれませんが、待つしかないというところです」

「しかしまあよくこんなもんで納得したもんですね。聖女教会ともあろうものが二振りの剣とは」

 王子はしようがありませんねと笑うと、詳細を話し始めた。

「我々の調査では第五軍の規模は約二万です。見立てでは指揮官は光の剣の持ち主です。どの光の剣かまではわかりません。東西の教会、神殿跡への攻撃。ラナイと呼ばれているとか。そんなところです」

 そんな相手に援軍もないこの城はどうするんだ。昨夜から今朝、今も続く攻撃に街も滅入るだろう。

「降伏するとか」

「降伏ですか。条件次第では考えられるかもしれません。でもそれは国王陛下が決められることです」

「あなたは反対なんですか」

「そうですね。私は賛成も反対もありませんが、この状況で降伏するというのは処刑されることと同じですからね」

「厳しいことを言いますが、よろしいですか?もし嫌ならば言わないでおきます。お互いに不愉快な思いはしなくてもいいですしね」

 僕が淡々と言うと、

「いいところに住んで、いいもん食べて、寒ければ綿の服を着て。多くの命を踏んづけてきた。でも自分たちの命は惜しいのか?」

 とレイが聞いた。

 セゴは剣を抜いた。斬り捨てる気持ちはないにしろ、尊敬する王子様が愚弄されて頭には来たなのは違いない。レイも彼の尋常ではない殺気に対抗しようとした。僕は目の前の女王の剣を手にしてセゴに向けつつ、国ノ王の剣をレイの首に突きつけた。王子は身動き一つしなかった。さすが肝が据わっている。

「レイ、控えろ」そっとレイの首から剣を離しつつ「セゴ殿も剣を収めてください」

「セゴ、いいんだ」

 王子はニッコリと笑った。

「やはりこの剣を扱えるのはあなたですね?」

「え?」

「私も精霊の剣を扱う身です。これは扱えないと思いました。さっきも二人がかりで持ってきた剣、セゴでもようやく抜いた剣、でもあなたは片手で扱える。もちろん私も持ちましたが重くて驚きました。この剣はあなた以外認めていませんね」

 僕は剣を置いた。

 策士にやられた。

 ふと隣でレイがうつむいて泣いていた。どうしたんだと小声で尋ねると、シンを怒らせたと足に大粒の涙をこぼし、肩を震わせていた。

「怒ってないから」

「本当?」

「レイが本気になる前に止めたかったんだよ。でもごめん。急に剣なんて怖かったね」

「わたしも」

「守ろうとしてくれたんだろ?」

「うん」

 王子は咳払いをして、

「こちらも試して申し訳ない。セゴも悪いことをした。お嬢様の言うことは間違いではありません。こうもはっきり言われるとは思いませんでしたが、私は人々の犠牲の上で暮らしています。だから私の命で済むなら降伏してもいいでしょう。もし国王の首が必要なら殺します」

 穏やかに話した。目の前の王子は自分が死ぬことや王族が滅びることに対して気負いがない。セゴは唇を噛み締めていた。

「新しい国が今の国よりも民を幸せにするというんなら。もうこの城も街も世界も古い。共和国、新しい風が必要なのかもしれませんね」

 廊下から扉をノックした。セゴが開くと、人影が見えたがすぐに扉を閉めた。僕たちが見る中、セゴが王子に耳打ちすると、王子の表情は見る見るうちに沈んだ。

「内輪のことで申し訳ないのですが、聞いていただけますか」

「どうぞ」

「今チウタキが死んだと」

 王子は顔を伏せた。

「このセゴ、チウタキは昔から私の稽古相手をしてくれました。子供の頃からです。申し訳ない。少し取り乱してしまいました。今すぐ決めてもらいたいというわけではありません。しばらく城で。もしどうしても出ていかれるのでしたら、私に一言お願いします。セゴ、後でこの方たちを案内するように」

「はい」



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